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新興市場参入と
キャリア・ベース型組織


佐藤清文

Seibun Satow

2010年12月10日


初出:独立系メディア E-wave Tokyo
無断転載禁


「イワシも大群になると力が出る。みんなが心底から力を合わせることによって、何かが可能になる」。

西本幸雄

 国内市場の縮小化を一つの背景として、日本企業は未開拓の新興国の市場に参入を試みている。中国は言うに及ばず、インドやインドネシア、中東諸国など成長の期待される国や地域は少なくない。しかし、そうしたところは伝統的文化が根強く、独特の商習慣・経済観を守っている。そのため、ビジネスを展開するには、文化人類学的なアプローチが不可欠である。それには下からの組織、すなわちボトムアップ型組織は適している。

 もっとも、従来から日本の企業はボトムアップ型で成功してきたと言われている。けれども、80年代に、アジア諸国に進出した際、日本式経営を押しつけ、失敗している。ボトムアップ型は部下への委ねが不可欠であるが、現地従業員に対してそれを怠り、本社から派遣した日本人幹部が上意下達を行うトップダウン型の組織運営をしている。さすがに、この大失敗に懲りて、90年代以降は海外進出する祭には、この悪癖を改めている。2010年11月13日放映のNHKスペシャル『灼熱アジア第3回インドネシア 巨大イスラム市場をねらえ』は、さらなる日本企業の進化を伝えている。今では、新興市場に参入する祭に、意識しているかどうかは別にして、文化人類学的アプローチをとり、日本式経営のクレオール化を進めている企業も出始めている。

 ここで、トップダウン型とボトムアップ型の特徴を確認しておこう。ただ、これらは普及しているわりには、曖昧で、前者を「ポジション・ベース型」、後者を「キャリア・ベース型」と言い換えることにする。

 ポジション・ベース型組織において重要なのはポジジョン、すなわち地位である。地位に応じて人事権や意思決定権などの権限が認められ、責任が付随する。権限のないことに口出しするのは越権行為に当たるので、業務には際限がある。

 キャリア・ベース型組織において存在感を持つのがキャリア、すなわち勤務歴である。地位ではなく、何年その仕事を続けているかが物を言う。権限も責任も曖昧である。反面、業務の際限性はなくなる。

 両者の違いを譬えると、次のようになる。キャリア・ベース型では、社長が「営業部長、今すぐここで片足を上げてくれないか?」と言われたら、「なぜですか?」と反論するのが許される。他方、ポジション・ベース型の営業部長は、ボスの命令は絶対で首にできるので、せいぜいこう質問するのが関の山である。「社長、右足でしょうか?それとも左足でしょうか?」

 その組織体を外から見る分には、権限や責任が明確なポジション・ベース型が合理的で、効率がいいように思える。ところが、必ずしもそうとは言えない。

 ポジション・ベース型はポジションが重要であるので、それをできる限り維持しようと思考・行動する。それには、自らの権限を生かし、失敗したら、誰かにその責任をとらせればよい。しかも、意思決定と現場はわかれている。自分たちのあずかり知らぬところで決められたことを押しつけられる。何か気がついて、上司に提言しても、越権行為だと叱責される。ミスがあれば責任をとらされる。これではモチベーションや意欲が上がるはずがない。機械的にノルマをこなし、ミスがあったとしても見て見ぬふりをする。それは、最終的に大失敗を招いてしまうことも少なくない。経営者は非常識な金額の給与や賞与を自分に与え、会社をつぶした後でも、責任を自身以外になすりつける。責任を明確にすればするほど、構成員はそれを回避し、保身に走る。

 キャリア・ベース型はポジションが重要ではないので、ミスがあったとしても、それだけで責任をとらされることはない。むしろ、そうしたエラーを二度と出さないためにも、できる限り早く発見し、原因を解明、改善を試みることが勧められる。こういった向上につながることでは、同僚同士の話し合いは言うに及ばず、部下から上司への進言は推奨される。また、意思決定に現場も参加したり、声が反映されたりすることも少なくない。その際、一度決定されたら、不本意だとしてもそれを尊重し、現場も暗黙の責任を持つ。「分かち合い(Sharing)」と「練り上げ(Elaboration)」により現場のモチベーションや意欲が高いため、組織体に活気がある。

 キャリア・ベース型からポジション・ベース型への移行が企業を含む各所で一時推進されたが、賢明だとはあまり言えない。現場の創意工夫や努力、政府のマクロ政策や補助金制度が企業の業績に影響する点もあるのに、それを考慮しない査定で、経営者に分不相応な給与・賞与を与える口実になっただけである。

 こうしたキャリア・ベース型組織の経営者・管理職には、鋭い観察眼と高いコミュニケーション能力が要求される。経営者や管理職には、まず、熱意が必要である。やる気のない上司に部下はついていかない。それと同時に、部下との間に信頼関係を築こうとする誠意も不可欠である。しかし、仕事は一過性ではない。これ以降をどうするかを創意工夫しなければならない。

あるプロジェクトが始まろうとしていると仮定しよう。上司はメンバーの過度の緊張をほぐし、過度のたるみは諭して、今回の目的・計画・活動をわかりやすく説明する。実際にスタートをしても、思い通りにはいかないことが多い。だれたり、安易な変更の圧力が生まれたり、場合によっては内部対立したりしてしまう。その調停・和解は上司にしかなしえない。プロジェクトを進化させるために、タイミングを見計らってメンバーを揺さぶることが求められる。終わったときには、それを振り返り、実直に本音でメンバーに感想を告げる。その際には、決して思うような成果を上げられなかったとしても、ねぎらいの言葉を忘れてはならない。そうして次に向かっていく。

 キャリア・ベース型組織の欠点は、観察眼が弱く、コミュニケーション能力が低い人物が経営者・管理職に就いた場合に、現場が統制を失い、バラバラになってしまうことである。キャリアを理由にメンバー間で陰湿な嫌がらせや抜き差しならない対立が起きる危険性がある。また、心身の疾患や過労死といった生命の危機を招くことさえある。

 日本の企業では社食で社長が社員に混じって昼食をとっている姿がよく見受けられる。これは社長が社員の代表だと言うことをアピールするためだけではない。昼食中は、人は往々にして素に戻る。そのときの社員の表情や姿、雰囲気を見たり、感じたりすれば、社内の空気を知ることができる。社食での昼食は社長にとって社内の実情を調べる重要な情報収集の時間である。これを逃すのは、もったいない。

 海外に進出した場合、コミュニケーションは、当然、異文化間コミュニケーションとならざるを得ない。かつての失敗は、おごり高ぶり、それを軽視したことに起因する。これはまさに文化人類学者の得意とするところである。文化人類学者は少人数、時には単独で異文化に飛びこみ、彼らを観察し、コミュニケーションを繰り返し、信頼関係を構築する。企業も文化人類学の研究者など見向きもしなかっただろうが、大胆に採用することが推奨される。今後、文化人類学的アプローチの積極的な導入が日本企業のグローバル展開の鍵になるだろう。

〈了〉

参照文献
新井郁男他、『道徳教育論』、放送大学教育振興会、2005年