「民主主義は最悪の政治形態であると言える。ただし、これまで試されてきたいかなる政治制度を除けば」。
ウィンストン・チャーチル
国内外の歴史を見ると、大連立や挙国一致内閣は必ずしも成果を挙げていない。馴れ合うか、対立するかして政治不信を招くことが多い。馴れ合いのメカニズムは地方自治体でおなじみなので、言うまでもないだろう。
大連立を組むのは、有力政党が数の上で決め手を欠いているからである。お互いに次の選挙でこの状況を改善したいと思っている。大政党はお互いをライバル視しているので、多くの課題で相違点を明確化しようとする。両者はいずれもできれば単独、最低でも自分を中心にした政権を運営したい。そういう政党が連立政権を組めば、少なからずの場面で対立する。自分たちの政策が国家のためになると考えているのみならず、主導権をとり、責任ある政権担当能力をアピールし、次期選挙でライバルに差をつけようとする。しかも、選挙管理内閣であるとか、期間限定であるとかであればなおのこと躍起になる。
しかも、党内の妥協と党外のそれとは支持者の見る目が異なる。前者は支持者間の利害調整だが、後者は支持者の意向をないがしろにして、非支持者に歩み寄ったことである。これではなんのために支持をしているのかわからないと政党は身内から突き上げられたり、離れられたりする。大政党はお互いに妥協できない。
小党の連立参加は大連立と事情が違う。小党は特定の政治課題において存在感を示し、それを支持者にアピールする。他の政策はそれとの整合性において編み出されるが、あくまでも二次的である。連立離脱をちらつかせながら、党のアイデンティティにかわるその課題では自分の要求を貫徹しようとするが、それ以外では埋没しないように抵抗も見せるけれども、妥協の余地がある。一切譲歩する気がなければ、そもそも政権に参加しない。
加えて、大連立して失敗した際、その責任を誰かに転嫁できない。それは政治全体への不信につながる。その後に実施される選挙の投票率は急落する。特に、現在の日本の場合、政権交代可能な二大政党制はいったいどこにいったのかと大連膣成立時点で政治不信が高まると見られる。政党は政治不信を招かないように振る舞わなければならない。
企業の提携や共同開発は利益を上げるという目的がある。一方、政治では争点は一つではない。そのアナロジーで大連立構想を考えるのは根本的に間違っている。民主主義には不確実性があり、それを継続的に維持するためには、市民による強いコミットメントが不可欠である。事態が困難であれば、大政翼賛会であってもかまわないと思っているとしたら、それは民主主義へのコミットメントが弱い。大連立構想が政治家や財界人、ジャーナリストなどから提唱されるのはコミットメントへの意識が弱いからにほかならない。
〈了〉
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