「何者だ?名を名乗れ!」
「ふっふっふっふ、誰でもない。月よりの使者月光仮面だ」。
『月光仮面』
2011年1月16日、マーク・ザッカーバーグが創立したフェイスブックの誕生を描いた映画『ソーシャル・ネットワーク』が第68回ゴールデングローブ賞においてドラマ映画部門作品賞など4冠に輝く。アカデミー賞の前哨戦と見なされている同賞の結果は次の栄誉も期待されている。
フェイスブック(FB)のユーザーは、現在、約5億8500万人に上り、全世界の人口のおよそ10%に相当する。もはやFBはたんなるサイバー空間の一チャンネルではない。2011年1月14日、高まる民衆のデモに恐れをなしたチュニジアのジン・アビディン・ベンアリ大統領と彼の一族はサウジアラビアに逃亡し、23年間続いた独裁政権が崩壊する。このアラブ初の民衆革命にFBの果たした役割は大きい。活動家はFBを通じてデモなどの映像を発信し、政府への抗議を呼びかけている。また、あえて実名を公表することで当局を挑発すると同時に、5億人以上の目を背景に、その動きを封じこめている。この政変は「FB革命」とさえ呼べる。
これまで新たに登場したチャンネルは、最初こそ海のものとも山のものとも見当がつかないが、世界に衝撃を与えた事件・出来事に立ち会うことで、その存在感を示し、伝説と共に成長している。湾岸戦争にはCNN、アフガン戦争にはアルジャジーラ、イラク戦争にはユーチューブ、ムンバイ同時多発テロにはツイッターがそれぞれ寄り添っている。FBもその仲間入りを果たしたというわけだ。
映画のモデルになったこの史上最年少の億万長者は、2010年6月の講演で、FBが主要SNSでない市場として韓国とロシア、中国、日本を挙げ、今後攻勢をかけると語っている。中でも、日本は最重点市場と位置づけられている。
FBの日本での浸透に関して議論となっているのがその最大の特徴ともいえる「実名主義」である。ネット上に安易に個人情報を載せる危険性は一般的にすでに浸透している。オンライン・サービスは、従来、そのため、匿名主義をとっていたが、2010年の『タイム』誌の「今年の人」はその常識を覆す。この実名が原則のSNSは04年2月にハーバード大学の学内限定で始まったが、瞬く間に他大学の間にも広がり、06年から一般にも開放すると、幅広い世代からも支持され、連鎖反応的に成長する。
ところが、日本のオンライン・サービスは依然として匿名主義が支配的である。国内最大のSNSミクシも匿名主義をとり、現時点で国内市場の占有率はFBを凌駕する。また、1日280万人が利用するニコニコ動画は匿名主義を採用し、日本語版のみならず、ドイツ語・中国語・スペイン語のサービスの提供も始めている。グローバルにはともかく、少なくとも、国内というローカルなレベルでは匿名主義が合っているし、世界にもある程度の需要が見込めるという判断がそこには伺える。
こういう国内外の差を説明する際に、その理由を文化の違いに求めるのは知的怠惰である。認知心理学者の研究成果を待つまでもなく、それは思いこみにすぎないことが少なくない。集団への帰属意識が希薄な対象には合理主義アプローチが適している。個々人にとってそう行動することが得だからだという見方である。
かつてピーター・バラカンがラジオ番組内で日本のリスナーに不満を漏らしている。自分の好きな曲をラジオ番組にリクエストするのに、匿名を使うことが理解できない。確かに、ボビー・ウーマック(Bobby
Womack)の『イフ・ユー・ドント・ウォント・マイ・ラブ (If You Don't Want My Love)』はDJをうならせるが、レイ・パーカーJrの『ゴーストバスターズ』は恥ずかしい。けれども、聴きたければ、やはり実名でリクエストすべきだ。このナチスの迫害から逃れたポーランド系ユダヤ人の息子は、自分の番組では、匿名の葉書を採用しないという方針を示している。
匿名を用いると、公私を分離することが可能になる。ラジオ番組に気楽に参加できるし、本音を語ることだってできる。1960年代、ラジオの深夜放送は教師や親といった大人の目の届かない若者の解放区である。けれども、彼らは、匿名を使って、DJやパーソナリティに葉書を送り、電話でリクエストをしている。受験競争が厳しく、周囲はみんなライバルである。本音もしゃべれない。高石ともやの『受験生ブルース』の時代だ。でも、匿名なら、気軽に参加できるし、本音だって言える。この気軽と本音のメリットもあって他の時間帯・年齢層でもラジオ番組では匿名主義が習慣化する。実生活への煩わしさもなく、アバターを演じてセカンド・ライフを楽しむ感覚である。
ただ、こうした匿名主義の空間は、気軽であれば、無責任や無内容な言説が流布するのが容易になる危険性がある。プライベート性を維持しようとすると、そこは内向的・集中的になるので、隠語や内輪ネタ、針小棒大な論理が増え、評価・判断が恣意的になる。また、本音で語れるということは、そこが感情に支配されやすいことを意味する。ラジオの場合は放送局が意見の取捨選択を行っているので露骨には現われないけれども、こられはまさにネット社会の問題点そのものである。
実名主義の長所短所は匿名主義と逆になる。実名を用いると、公私の分離が困難であるが、反面、責任と信用というメリットが生まれる。実名である以上、無責任や無内容な放言はみっともない。相手と共有しているものが多くなるので、得られる情報や人脈も信頼性が高い。また、感情にまかせた暴言も見苦しく、礼節と熟慮を重んじ、理性的な振る舞い、建設的な主張が必要とされる。さらに、開かれた空間で内輪にしか通じない隠語を使うわけにもいかない。実名主義の空間では社交術や社会性が求められるようになる。
FBの実名主義が世界的に広く受容されている理由は、匿名主義に基づいたネットの弊害に辟易したということがあるだろう。信頼性に乏しい不確実な情報の洪水、各種のネット犯罪、人格権の侵害、かまびすしいネットイナゴの蔓延、モボクラシーによる対立の先鋭化など匿名主義につけこむ連中が人類の財産であるインターネットの建設的な意義を台無しにしている。
FBの実名主義が日本に受け入れられるかどうかをマーケティングから考察することは後ろ向きである。それが認識の転換をもたらすかが重要だからである。実名主義は公共性の拡充という明確な理念がある。ユルゲン・ハーバーマスは、『公共性の構造転換』で、現代社会において公共性はコミュニケーション、すなわち人と人の間に発生し、そこから倫理が生まれると言っている。新しい公共性の構築がFBの実名主義の目標と見なせる。チュニジアの政変でFBが活用されたというのも、現代社会に向けられた理念があったからだろう。日本のオンライン・サービスにそうした伝説がないのも、無理からぬところである。
〈了〉
参照文献
ユルゲン・ハーバーマス、『公共性の構造転換―市民社会の一カテゴリーについての探究 第2版』、細谷貞雄他訳、未来社、1994年
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