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“The ubiquitous nature of the Internet means that not only threats but also hate speech and other inciteful speech is much more readily available to individuals than quite clearly it was 8 or 10 or 15 years ago”. Robert Mueller アリゾナ州トゥーソンで、2011年1月8日、ジャレッド・ラフナー(Jared Laughner)がガブリエル・ギフォーズ(Gabriel Gifords)下院議員等を銃撃し、6人が死亡、同議員が重体になるという事件が起きる。翌日、地元の保安官クラレンス・ダプニック(Clarence Dupnik)は、同地で、FBI長官ロバート・モラー(Robert Mueller)と記者会見を行い、リベラル派に対する扇動的な非難を次のように厳しく批判している。 “I think that when the rhetoric about hatred, about mistrust of government, about paranoia of how government operates, and to try to inflame the public on a daily basis 24 hours a day, 7 days a week has an impact especially on people who are unbalanced personalities to begin with”. この事件後、そうした扇動者の一人として最も糾弾されているのが、前アラスカ州知事サラ・ペイリン(Sarah Palin)である。自身のホームページ上に被害にあった議員への銃撃を先導するような地図を掲載していたことが発覚している。昨年11月に実施された中間選挙の際、バラク・オバマ大統領が進めた医療保険制度改革に賛成した民主党下院議員20人の選挙区に銃の照準に見立てた十字線を合わせた全米地図を載せ、「態度を決める時だ!(IT’S TIME TO TAKE A STAND)」と訴えている。ギフォーズ議員はこうした扇動的な行為に懸念していたと伝えられている。 しかも、医療保険制度改革法案が議会で可決された直後、ツイッターで「退却せず、再装填せよ!(Don’t Retreat, Reload!)」と呼びかけている。 この好戦的レトリックを濫用する政治家は、ティーパーティーのお気に入りである。バラク・オバマ大統領の就任式直後から始まったその運動は、同政権の自動車産業や金融機関への救済、景気刺激策、医療保険法改正に反対し、2010年の中間選挙で共和党右派の議員を数多く誕生させている。 日本のメディアは、政治学の専門家でさえ、しばしばこの共和党穏健派も顔をしかめる運動を「ポピュリズム」に分類している。けれども、ティーパーティーは共和主義の運動であって、ポピュリズムではない。それどころか、反ポピュリズムが共和主義である。 ポピュリズムは中南米研究の際の最重要概念の一つである。ポピュリストは、寡頭体制から民主政への移行するときに、旧勢力の支配に反対する諸階級の支持を背景に権力を掌握し、彼らにばらまきを行い、経済的・文化的ナショナリズムに訴える。しかし、財政危機を招き、左右の対立を誘発、その混乱の収拾を名目にした軍部の政治介入を許してしまう。こうしたポピュリストの典型がアルゼンチンのフアン・ドミンゴ・ペロン大佐である。ポピュリズムにもいくつかの種類があり、ペルーのように、軍部がポピュリズム政権を始めるケースもある。 ポピュリズムの定義を確認しておけば、富の再配分や財政出動を嫌うティーパーティーをそれと見なすことはありえない。反ポピュリズムをその反対と捉えて議論を展開したところで、不毛に終わる。 共和主義はアメリカの政治的伝統の一つである。合衆国を独立に促したのはこの共和主義にほかならない。イギリスの共和主義者で、フランス革命の糾弾者であるエドマンド・バークは独立戦争を擁護している。昨年、日本で話題になったマイケル・サンデルも、自由主義者ジョン・ロールズを批判し、共和主義に政治的可能性を見出している。 共和主義の起源は共和政ローマに遡る。「共和主義(Republicanism)」はラテン語の”res public”に由来する。これは直訳すれば、「公の事」であるが、「公共の利益」や「国家」とも解釈できる。共和主義は国家によって具現される公共の利益を優先して考える政治思想だと言える。ただ、それは多分にローマの特徴が反映されている。 ローマは、地中海の他の都市国家との共通点も多いが、ならではの特色も持っている。ローマ人は第一に考えるべきことを国家、第二を両親、第三に自分という優先順位をつける。当然、権利より義務が先んじる。国家の維持には、法の支配に基づく厳格さが不可欠である。また、祖先の遺風を権威とするローマはアテナイのような直接民主制ではなく、経験と知恵を兼ね備えた元老院を中核とする代表制を採用する。政治家として祖国に奉仕することを何よりも重んじ、愛国心はいかなる都市国家よりも強い。ローマはもともと武器自弁の市民皆兵の社会であり、市民の財産は軍事的な利益・関心に直結し、膨張主義的傾向がある。 ローマにおいて公共の利益はどのようにして実現されていたのかには、ポリュビオスの政体循環論と政体混合論を見ておく必要がある。このギリシアの歴史家は、前167年の第三次マケドニア戦争の後に捕虜となりながら、従軍していた小スキピオに迎えられ、わずか53年ほどで地中海世界を配下に治めた理由を大著『歴史』で解き明かす。 これまでの国家は政体が循環している。君主政が暴君政に堕落すると、貴族政が取って代わる。しかし、次第に寡頭政へと変容し、それを打倒して民主性が誕生する。けれども、腐敗して衆愚政治に至り、再び君主政が現われる。アテナイは、この循環の中で、僭主を生み出している。僭主は貴族派の対立に乗じて、対外戦争での軍功を基盤に、民衆派に富の再配分や債務の棒引きを示して味方につけ、権力を掌握する独裁者である。ペイシストラトスがその代表である。 一方、ローマは政体が混合している。君主政を示す執政官、貴族政の元老、民主政の民会・護民官が相互に牽制しているため、それぞれが私的利益に走るのを抑止し、公共の利益の実現に向かっている。執政官は、毎年、選挙で二名選ばれる最高権力者である。この執政官を始めとする公職の経験者から構成されるのが元老院で、経験と英知に基づく権威によって実質的に統治を行う。公職の選挙の選挙や立法は、多くの市民が参加する民会で決定され、また護民官は執政官の命令に対する拒否権が与えられている。この混合政体のダイナミズムこそがローマ国運隆盛の原因である。そのため、ギリシアの都市国家と違い、僭主を出現させていない。 共和主義は、諸権力の均衡によって私的利益の追求を抑止し、愛国心に訴えつつ、国益を実現することを目標とする。共和主義は王国であっても、共和国であっても適用できる。これを政治思想と説いたのがキケロである。 キケロは多くの著作や所管を遺しているが、共和主義をとり上げる際に、しばしば『義務について』に言及される。この著作はカエサル暗殺と翌年の自身の死の間に書かれている。それはローマの共和政存亡の機器の時期であり、キケロはその擁護を試みている。 キケロは貴族階級ではなく、騎士階級の出身である。執政官は、その経験者の家計から構成される貴族階級出身者にほとんど占められている。それ以外でありながらも、その地位に就いた人をローマで「新人」と呼ばれ、キケロはかの伝説的な雄弁によってそうした例外の一人に加えられる。その後、元老院の中心的政治家として、弁舌とは逆に、のらりくらりとした遊泳術を発揮し、活躍する。しかし、熟議と思慮深い政治は、支配領域の拡張に伴い、転換期を迎え、彼のような文人の影響力が低下している。 こうした変化の中で台頭してきたのがユリウス・カエサルである。この平民派のマリウスの甥は金をばらまいて公職を歴任し、人気取り政策を実施して平民から圧倒的な支持を獲得、ガリアでの軍功と忠誠心の高い軍団を背景に、政治的発言力を強めている。けれども、即決即断ですばやく行動するこの軍人は、元老院からは毛嫌いされる。その大物キケロから見れば、あの成り上がり者はローマの僭主であり、混合政体の均衡を破壊し、内乱を引き起こす危険分子にほかならない。けれども、この共和政ローマの守護者は政局には強いが、時局に疎い。政治的処世術は人脈に依存しているのであって、時代の流れを見据えてそれを組み入れるしたたかさを持っていない。 前46年、元老院はそのルビコンを渡った人物に屈服、終身独裁官に就任し、彼は数々の改革を実行に移す。都市国家ではなく、帝国となったローマの現実に適合した思考・行動をカエサルは体現していたが、それは、共和主義者には、伝統に反する君主政でしかない。前44年、「ブルータス、お前もか」と言い残して、息絶える。しかし、歴史の流れは反転しない。前43年、暴君暗殺に手を汚さなかったキケロも、ローマ脱出の途上、アントニウス派に暗殺される。カエサルのヴィジョンを受け継ぐオクタウィアヌスが前30年に地中海世界を制圧、前27年、元老院から「アウグストゥス」の称号を贈られ、帝政ローマが幕を開ける。 『義務について』はカエサルとその後継者の政治を敵と見なし、共和主義の規範を説いている。社会の絆を強めるには、所有権と信義の尊重が不可欠である。公的なのものは公的なものとして、私的なものは私的なものとしてとり扱い、約束や契約を守ることは祖国の結束を固めるのにつながる。また、不正に苦しんでいる人を助けるのは云うまでもなく、それを見て見ぬふりをすることも不正を助長するので過ちである。社会的強者、すなわちエリートは、そのため、弱者を救済する義務がある。こうした慈善を施すには財力が必要であり、不正をしないで富を蓄えることは推奨される。社会的連帯の強化のために行われる救済なので、その際にはモラル・ハザードを招かないようにしなければならない。金銭以上に、法廷で、法律の知識と弁論術を駆使し、無報酬で恵まれない人々の弁護を引き受けることが不正をくじき、正義を実現する最良の方法である。公職を金で買い、雄弁でもないカエサルをあてこすっているのは明白である。 さらに、統治者は国家全体の利益を優先し、私利私欲を棄て、一部の保護のために他を見捨ててはならぬ。富の再配分をするなど平民にいい顔をして、門閥派と平民派に社会を分断し、内乱を巻き起こすことは何としても避けるべきである。敵に対しても融和的な態度で臨み、徳を重んじ、人々から愛されなければならない。恐怖による支配は短期的に終わる。友愛による信頼感は絆を永続的にする。内乱の扇動や恐怖政治は、明らかに、カエサルを念頭に置いている。また、祖国の利益と他国のそれとが衝突することも想定される。そのため、ローマは世界帝国化しなければならない。人類全体の平和は世界がローマ化することで達成される。 これを確認するだけでも、愛国主義の高揚、所有権や契約の重視、慈善の義務、富の再配分の忌避、政治家の集金力、法廷を通じた正義の実現、政治家への道徳性の要求、イデオロギー的軍事介入などアメリカの政治的土壌と共和主義との類似性が認知できるだろう。 共和主義は、その後、西洋の政治思想の主要な伝統の一つとして現在にまで続いている。キケロはエリート型の共和主義だったが、ニコロ・マキャベリは、ローマ史の研究を通じて、民衆型共和主義を解き明かす。人間は利己的であるが、参加と自治に基づくよき法・制度・習俗の下であれば、私利私欲に走ったり、腐敗したりせず、愛国心にかられ、公共の利益を追求し、自由な国家が実現される。また、17世紀、共和主義思想はイギリスで古来の国制論と結びつく。国王・貴族院・庶民院から構成されるイギリスの国制の説明に非常に都合がよい。シャルル・ド・モンテスキューは、古来の国制論を検討し、混合政体論を近代的な三権分立論と政治機構論へと編成し直す。さらに、エドマンド・バークは、古来の国制論を踏まえつつ、「ノブレス・オブリージュ」としてキケロのエリート型共和主義を復活させる。今日、英米で保守主義と呼ばれる政治思想は共和主義の一種である。 さまざまな共和主義がアメリカ合衆国に流れこむ。共和主義をアメリカ独自の政治思想にまで構築したのが合衆国第4代大統領ジェームズ・マヂィソンである。モンテスキューの影響を受けたこの合衆国憲法の父は、市民が直接あるいは間接に統治者を監督することができる政治制度と共和主義を定義する。と同時に、多数派閥の弊害にも警告を発し、少数派の権利の擁護も加味している。彼は、そのため、広域の共和国を提唱する。狭いところでは、少数意見が押しつぶされたり、逆に、世論を誘導する独裁者が出現したりしやすい。広ければ、さまざまな利害が相互に抑制・管理できる。また、史上最も小柄な大統領は、直接民主制ではなく、市民の選挙による代表制を重視する。多数の市民が直接統治すると、調整が複雑になりすぎて、公共の利益が何かがわからなくなり、それぞれが移ろいやすい私利私欲を望み、混乱と対立が激化する。長期的展望を備えた代表者による政治は公共の利益が犠牲になりにくい。 その一方で、アレクシス・ド・トクヴィルが『アメリカの民主政治』で報告しているように、19世紀初頭に市民が草の根で共和主義を実践している。アメリカにおいて地位が平等化しているが、その弊害であるいきすぎた個人主義の蔓延が生じていない。独裁者は市民に無関心につけこむ。しかし、アメリカでは自由な選挙が実施されているのみならず、多種多様な団体が組織されており、市民に公共の利益への関心を持たせている。公共の利益達成を目的とした自発的組織の活動が市民間の相互作用を促し、アメリカ政治のダイナミズムを生み出している。こうした参加と自治の民衆型共和主義もアメリカの政治土壌を形成している。マイケル・サンデルの見出す共和主義もこちらの方である。 アメリカの共和主義にはこの二つの流れが入り混じっている。他国から観て一種不可解と思われるアメリカの政治動向も、共和主義という観点から認識すると、合点がいく場合も少なくない。共和主義はアメリカの政治思想の重要な伝統である。しかし、アメリカの国益と人類全体の利益の齟齬のように、矛盾も孕んでいる。また、敵に対して過度に攻撃的になるなど共和主義者の言動がその理念違反しているとこともある。共和主義の過激化は、本来、背理である。ラテン・アメリカ諸国におけるポピュリズムの出現が政治的危険の兆候であるように、共和主義の暴走はアメリカにとってそうである。その動きを利用して極端な思想の持ち主が政治権力を掌握する。相互依存の進む現代では、それは大国アメリカにとどまらず、世界を悩ませる。 〈了〉 参照文献 恒川恵市、『比較政治─中南米』、放送大学教育振興会、2008年 角田幸彦、『キケローにおける哲学と政治』、北樹出版、2006年 村川堅太郎他、『ギリシア・ローマの盛衰』、講談社学術文庫、1993年 山岡龍一他、『共和主義ルネサンス』、NTT出版、2007年 A・トクヴィル、『アメリカの民主政治』上中下、伊井玄太郎訳、講談社学術文庫、1987年 アレグザンダ・ハミルトン他、『ザ・フェデラリスト』、斎藤真他訳、福村出版、1998年 キケロー、『キケロー選集9』、岩波書店、1999年 |