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景気循環と金利循環佐藤清文
Seibun Satow
2011年11月7日
初出:独立系メディア E-wave Tokyo
無断転載禁
“The past does not repeat itself, but it rhymes”.
Mark Twain
「金融市場の極端な動きは人間の極端な性格や感情──楽観主義や高揚感から悲観主義や絶望まで──を反映している。金融市場は──人生と同じように──たいていは合理性で成り立っている」。
ヘンリー・カウフマン『カウフマンの証言』
第1章 債務危機と債権
2011年1月4日の欧州市場で、ギリシャ国債の指標となる10年物の利回りが33%台に突入している。日々ユーロ導入以来の安値を更新している状況で、同国が市場から資金を調達できる見込みはまずない。また、ギリシャ同様、財政と政情の不安を抱えているイタリアとスペインの10年物国債の利回りも悪化している。前者は、前日より0.1ポイント高い6.3%台、後者も0.1ポイント高の5.6%台でいずれも一時取引されている。イタリアのシルヴィオ・ベルルスコーニ首相は、4日、同国がIMFの監視下に入ると発表する。EU内で3番目の経済規模の国にまで債務危機が波及し、世界は、今、冷や汗をかいている。
ここで債権に関する基礎知識を確認しておこう。
債権は満期まで保有するなら、貸し倒れがなければ、償還金を受けとることができる。発行体が債権の利息を支払えなかったり、償還を行えなくなったりすることをデフォルト・リスクと呼ぶ。格付け機関は各債権に関する債務不履行のリスクを評価する。ただし、ある時点をめぐるさまざまな統計データを収集・分析し、指標に照らし合わせて評価するため、タイムラグが生じる。悪化しているのに、格付けが高かったり、改善しているのに、格付けが低いままだったりする。
債権は発行体によって国債や地方債、社債などに分かれる。国債がその国の債権の格付けのベースとなる。地方自治体の発行する債権が国債の格付けを上回ることはない。発行体による分類もあるが、債権は、利払い方法に基づくと、利付債権と割引債券に大別できる。前者は定期的に利息が支払われる。後者は額面金額より安く発行され、満期になると、額面金額が受け取れるが、その間の利息払いはない。
金利水準は債券価格に影響を及ぼす。毎年支払われる利息の額面金額に対する割合を表面利率と呼ぶ。たいていの利付債券は、発行時に決められた表面利率が償還まで変更されることはない。なお、定期的に変わる変動利付債権もあるが、主流ではない。
金利水準が上がると、それ以前に発行された低金利の債券は魅力がなくなるので、その価格が下がる。逆に、金利下がると、既存債権は価格が上がる。金利が上昇すれば、債券価格は下降する。金利が下降すれば、債券価格は上昇する。また、同じ表面利率の短期債券と長期債権では、同程度で金利が変化した場合、残存期間が問題となる。残存期間が長い方が価格の変動幅は大きい。
ギリシャやイタリア、スペインの10年物国債の利回りが上がっているというニュースは、その価格が下がっているという意味である。今回のギリシャの場合は危機的な財政状況が主因であるが、他の要因でも債権の利回りは変動する。
金利変動の要因として、国内景気や国内物価、為替レート変動、海外金利水準などが挙げられる。景気がよくなれば、企業などの資金需要が増え、金利が上昇するので、債券価格は下落する。景気が悪化すれば、逆の事態を迎える。物価上昇はインフレにつながるので、中央銀行はその抑制策として金利を上げ、債券価格は下がる。デフレが始まれば、反対の状況が生じる。国内通貨が為替市場で上昇すれば、それ建ての金融資産に対する投資が増える。国内通貨建ての債権価格は、当然、上昇、国内金利は下落する。国内通貨が売られれば、債券価格は低下、金利は高くなる。海外金利が高騰すれば、国内資産を売却して、そちらに投資を回す。国内債券価格は下がり、金利は上がる。海外金利が下落した際のことは言うに及ばないだろう。
国債を購入しているのは主に金融機関である。債券価格が低下すると、保有資産が目減りする。銀行には自己資本比率規制があり、その水準を維持するために、貸し渋りや貸し剥がしが増える。資金供給が滞れば、黒字であっても倒産する企業が現われ、景気は悪化する。
今回のギリシャとイタリアの危機の克服には、緊縮財政を行い、金融機関から債務の棒引きをしてもらい、国際的支援を受ける以外に手はない。当然、国内外から反発が出るだろう。しかし、国際金融ネットワークの維持のコストと考えるほかない。今、世界は相互依存している。日々練習に励んでいなければ、いざというときにすばやい連係プレーができないものだ。財政・金融部門移管して各国当局はお互いにコミュニケーションを持続し、情報を共有しておく必要がある。たんなる協調ではない。
第2章 長期金利とコンドラチエフ循環
金利の長期的趨勢に無頓着で、市場に参加するのは危険である。けれども、長期債権の利回りのトレンドを決定する要因ははっきりしない。戦争や財政危機、革命だけに限らない。財政政策や金融政策、規制強化・緩和、金融革新、思惑、国際金融情勢などさまざまな要因が複雑に絡み合い、主因を特定するのは困難である。金利の循環的傾向に着目し、その趨勢を把握するのが効果的である。
ヘンリー・カウフマン元ソロモン・ブラザーズ金融調査研究門最高責任者は、『カウフマンの警告』(1986)において、1798年から1981年までの米国の長期債の利回りの循環を次のようにまとめている。
山 谷 山 ベーシス・ポイント(BP) パーセンテージ 経過年数
1798年 (7.56%) 1810年(5.82%) 1814年(7.64%) -174+182=+8 -23+31 12+4=16
1814年(7.64%) 1824年(4.25%) 1842年(6.07%) -339+182=-157 -44+43 10+18=28
1842年(6.07%) 1853年(4.02%) 1861年(6.45%) -205+243=+38 -34+61 11+8=19
1861年(6.45%) 1899年(3.20%) 1920年(5.27%) -325+207=-118 -49+65 38+21=59
1920年(5.27%) 1946年(2.45%) 1981年(13.57%) -282+1112=+830 -54+454 26+35=61
1981年10月をピークに10年物米国債の利回りは下落を続けている。この9月、連邦公開市場委員会(FOMC)は短期国債を4000億ドル分売って、同額の10年物長期国債を購入している。すでにFRBは2013年までのゼロ金利政策の維持を打ち出している。さらなる金融緩和策として長期金利の低下を促したというわけだ。2011年11月4日現在で、10年物米国債の利回りは2.03%で、2%割れも目前に迫っている。長期米国債はこの30年間で史上最高値と史上最安値を経験したことになる。金利の高低は絶対的ではなく、相対的に見る必要がある。ちなみに、10年物日本国債の利回りは1%前後で推移している。
長期金利の46年から81年への上昇とその後の下落の周期は、明らかに、これまでよりも長い。この間に、経済のグローバル化が進展し、金融市場の規模は急速に拡大、金融商品も多様化している。
長期金利の循環はソ連の経済学者ニコライ・ドミトリヴィチ・コンドラチエフが1920年代に提唱した45〜60年に及ぶ波動にほぼ当てはまる。資本主義の内的論理による景気循環は短いものから3〜5年の在庫循環、7〜11年の設備投資循環、約20年の建設循環が挙げられるが、コンドラチエフ循環ははるかに長い。この景気循環の間に国際経済上の覇権国が移動したり、新産業が勃興したり、エネルギー・システムが転換したりしている。第1コンドラチエフ循環を1798年から1842年、第2コンドラチエフを1842年から1899年、第3コンドラチエフを1899年から1946年、第4コンドラチエフを1946年から現在まで至っていると見立てられる。彼自身はこの長期循環の理由を物価水準に見出しているが、19世紀ではまだ農産品の占める比率が高く、資本主義経済の特徴とも言える景気循環をうまく言い表せない。むしろ、長期金利を指標とすべきである。
景気循環と金利循環の関係を見るならば、現在はまさに歴史的な経済の転換期にあることがわかる。それは経済基盤の大規模な変革を世界に促している。大規模な投資を受け入れられる新規産業の市場が成長するだろう。最も有望なのはスマート・エネルギーである。
第3章 現代における金利
ヘンリー・カウフマンは、『カウフマンの警告』において、60年代後半以後、利回りと景気循環のピークの前後関係が変容していると指摘している。従来、投資家は、通常の利回り曲線の下では、短期金利が長期を上回り、かつその格差が最大になったときが長期債権購入の最適のタイミングだと考えている。好況期で逆転していた長短金利差が解消され、不況期を迎えると、当局は金融緩和政策を採用し、短期金利が下がっていくと予想されるからである。その際、パーセンテージを縦軸、償還期間を横軸にするグラフでは、利回り曲線は右上がりに転じる。長短金利が共に下がるものの、後者の方が前者よりも急激である。長期利子率が緩やかに下降するなら、長短金利差が逆転の最大値を示すときに長期債権投資を行えば、利益を手にできる。
ところが、60年代後半から様子が異なっている。利回り曲線が右下がりから右上がりに転じるまでにフラットの形状を示す。けれども、短期金利の下降が長期金利よりも大きくなってそれを迎えるのではない。短期金利の下落と長期金利の上昇が同時に起こったためである。投資家にとってこの分析は背筋をぞっとさせずにはいられない。利回り曲線の逆転の最大値の際に長期債投資を行うことは大損を意味しているかである。こうした利回り曲線のもとでは、長期債ではなく、短期債が選好される。景気循環と長短金利の関係は従来信じられてきたのと違ってくる。69年の好況以後、利回りのピークが景気のそれよりも遅れて現れる。
こういった景気循環と金利循環の関係は金融構造の脆弱化の下での資産選択がもたらしている。経済が不安定化すれば、デフォルトの可能性が頭を過ぎるので、リスクが低い短期債へ人気が集まる。土砂降りのときに雨宿りをするなら、近い方を選ぶものだ。好況末期における長短金利の逆転の最大値とその後のフラット形状において、投資家は資本損失を避けるため、短期債へのシフトに踏み切る。景気のピークに対して、短期金利が先行し、長期金利が遅れる。投資ポートフォリオの短期化は中長期的な投資を鈍らせる。資金は金融市場をぐるぐる回っているだけである。
金融は余剰の資金を不足しているところに融通して経済を活発化する役割がある。ただ、産業が利潤を最大にするために「生産性」の向上に励むのに対し、金融は同様の目的を達成するのに「採算性」を追及する。産業と金融の勢力が拮抗していれば、両者は協調できる。しかし、金融が膨張すると、この採算性に基づいて企業操作を始める。金融は産業にM&Aの資金を提供するが、設備投資は停滞し、生産性の向上は進まない。それなら、人件費の安い途上国へ生産現場を移す方が賢明だ。かくして米国の製造業は低落していく。
現状を景気循環と金利循環の観点から考えると、少々悲観的にならざるを得ない。米国の場合、短期金利はすでに下がりきっており、さらなる金融緩和を求める市場の声に押されて、長期金利の下降をFRBは誘導しようとしている。金利はまだ上がる兆しがない。短期金利の上昇の後に景気が上向くのが1960年代後半以降の傾向である。コンドラチエフ循環を考慮すればそろそろ上方を迎えると推測できるが、アメリカの景気回復はまだ先だということになる。
長期トレンドとは別に、短期的に金利の変動は激しさを増している。こうした状況下、債権をめぐる資産運用の認識が変わっている。ファンド・マネージャーは、金利変動を考慮して、ポートフォリオや資金調達の意思決定しなければならない。長期債を上回る先物市場の成長がそれをよく物語っている。平均寿命が延びれば、年金を始めとする日就労所得によって生活する時期が長くなる。それに備えて、人生設計における資産運用が重要になる。金融機関にはそうした資金が流入し、これだけでも信用市場は膨張する。債権は、前述した通り、償還期に一定金額が支払われるという信用商品としてのメリットによって所得保護の目的で購入されてきたが、新たな金融商品はその常識を覆す。
所得保障や元金の安全性を重視した貯蓄や投資といった資産運用の考え方は時代遅れだとして、債権にも価格上昇を謳い文句にした商品が登場する。それはリスク回避をかつてないほどに用意しておかなければならなくなったことを意味する。金利は期待ではなく、できる限り損失を出したくないという回避の動機によって形成される。信用市場においてリスクは「ある」のではなく、「生まれる」ものである。
リスク回避の方法自体が避けたい当のものを増幅させてしまうことが少なくない。「リスク分散」を例にとろう。これはまったく矛盾した概念である。変動は非常に急激に起きることがある。こういう即時性の支配する状況下、リスク分散の観点から流動性の高い資産を用意しておいても、とても間に合わない。第一、まさにそのときに市場が開いているとは限らない。しかも、多くの投資家がそこに殺到し、売り一色で買い手が見つからない。リスクを回避するどころか、増しているほどだ。経済学はしばしば数学を用いてモデル化を試みる。しかし、実際の活動では時間の要素を無視することはできない。リスク分散はその好例である。
グローバル化の進展に伴い、世界の相互依存が進んでいる。けれども、ある地域で起きた些細な事件や出来事であっても、ネットワークを通じて世界的な危機に拡大する。世界経済は、初期値敏感性を抱えてしまったため、安定化する可能性は低い。短期物商品への偏重は当分続くだろう。
金融機関が危機に陥った際に、他業種と違い、政府が救済に乗り出すのは、それが持つネットワークのためである。金融機関が、たとえ小規模であっても、世界的な金融ネットワークに接続されている。小さな銀行の破綻がグローバルな金融パンデミックになりかねない。ある端末を通じてコンピュータ・ウィルスが世界中にばらまかれるようなものだ。金融機関は公的責任を負っているのであり、関係者はグローバル化した自己という意識を持つ必要がある。他人の金を信託されながら、ネットワークを人質に、無責任な利益追求に走ることなど許されない。
金融市場の規模拡大と金融機関相互の区分の溶解、商品多様化のいずれの速度も急激で、国際的な規制が追いつかない。金融市場は自由放任主義的な状況に見舞われている。債権の格差の拡大はその一例である。世界的経済危機の本、投資ポートフォリオが短期化・集中化し、さらに国際金融を不安定化させている。その一方で、コンドラチエフ循環の周期が長期化している。
今必要なのは経済と金融のリンクを明確かつ精緻に解き明かすフレームワークの理論である。ケインズ主義は不況対策に有効ながら、財政赤字を生む可能性がある。マネタリストは財政規律を正せても、不況には術がない。不況と財政赤字を同時に解決することはできない。また、ケインズ主義は金融部門のストックを重視するものの、フローへの意識が弱い。ただし、信用フローを導入しても結果的に両立する。それを克服するために登場したマネタリストは信用フローを実質的に除外し、貨幣供給量にばかり焦点を当てている。いずれにせよ国民経済を主眼としており、政策の国際的波及効果を十分に考慮していない。金融が持続的成長を続けるには新たな理論が必要だ。
不況が長引いているが、政府は財政赤字を抱えているので、低金利政策をとっているけれど、はかばかしい効果は出ていない。現実的には、政府が産業と金融の勢力関係を政策によってリセットすることだろう。政府が新興産業を育成するための市場へ資金を政策的に誘導する。新規産業の場合、投資家にはどれが大化けするか見当もつかない。しかし、世界の趨勢を見る限り、この業種が成長することは予想できる。不確実性の高い時代であっても、投資しておいて損はない。金融は、本来、余剰資金を不足しているところに融通し、新たなネットワークを構築する。ならば、吸収できる市場を創出すればよい。いずれは成長していく産業の発展を政策によって前倒しさせるだけである。スマート・エネルギー産業はそうした分野である。ただし、政府は技術面に口を挟んではならない。そこは市場の競争原理に任せる方が得策である。
今後、高分子化合物に関する理論がおそらく経済学に援用されるだろう。現代化学は分子量が特定できないほど巨大な高分子さえも扱うことができる。しかも、そこには相互作用や結合、合成、構造、配列、官能基、保護基など経済活動を認識する際に参考となる概念に溢れている。政策を触媒として考えてみるのも興味深い。これまで経済学は数学や物理学、生物学を参照してきたが、高分子化学の力を借りるときがきている。
〈了〉
参照文献
伊東光晴、『ケインズ』、講談社学術文庫、1993年
ヘンリー・カウフマン、『カウフマンの警告』、佐藤隆三訳、オータス研究所、1986年
ヘンリー・カウフマン、『カウフマンの証言 ウォール街』、伊豆村房一訳、東洋経済新報社、2001年