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雪かきと漏水調査佐藤清文
Seibun Satow
2012年02月01
初出:独立系メディア E-wave Tokyo
無断転載禁
「人間は、本性上、ポリス的動物である」。
アリストテレス『政治学』
2011年12月30日、気象庁は北海道と東北の日本海側を中心に、雪を伴った非常に強い風が吹き、海上は大しけとなる恐れがあると暴風や猛吹雪による交通障害や高波に警戒を呼び掛けている。30日付『秋田魁新報』によると、秋田市では29日の積雪は42cm、平年同期の6倍に達している。道路維持課は同日午後に市内をパトロールし、今月26日に続く全市一斉除雪を始めている。12月中に2回一斉除雪するのは異例である。
この冬も雪国は除雪に日常的に苦しめられている。村上春樹は『ダンス・ダンス・ダンス』の中でその「雪かき」を重要な比喩として使っている。主人公の「僕」をフリーのコピーライターとして「文化的雪かき」に従事すると設定している。
「君は何か書く仕事をしているそうだな」と牧村拓は言った。
「書くというほどのことじゃないですね」と僕は言った。「穴を埋める為の文章を提供しているだけのことです。何でもいいんです。字が書いてあればいいんです。でも誰かが書かなくてはならない。で、僕が書いているんです。雪かきと同じです。文化的雪かき」
「雪かき」と牧村拓は言った。そしてわきに置いたゴルフ・クラブにちらりと目をやった。
「面白い表現だ」
「それはどうも」と僕は言った。
内田樹は、『雪かきくん、世界を救う』において、この「雪かき」について次のように解釈している。
雪が降ると分かるけれど、「雪かき」は誰の義務でもないけれど、誰かがやらないと結局みんなが困る種類の仕事である。
プラス加算されるチャンスはほとんどない。
でも人知れず「雪かき」をしている人のおかげで、世の中からマイナスの芽(滑って転んで頭蓋骨を割るというような)が少しだけ摘まれているわけだ。
しかし、雪国育ちの人にはこの比喩と解釈がさっぱりわからないだろう。この解説が「雪かき」と結びつかない。「雪かき」をしたことのない人がそれを語り、共感しているとしか思えない。
「雪かき」と言うと、自宅の車庫の前をスノーダンプで雪をどけている通勤前のサラリーマンの姿が思い浮かぶ。実態に即して、「雪かき」ではなく、「雪寄せ」を用いる地域もある。生活のリズム上、同じ時刻に各世帯で雪かきを始めるので、人知れずすることはない。だが、内田樹の解釈では、曖昧であるが、どうも「除雪」の意味として使われているようだ。
一定降雪量を超えると、道路管理者自身や委託業者(主に建設業者)がその除雪を始める。出動は昼夜を問わない。国道であれば国、県道なら県、市道は市が担当する。なお、幹線農道は基礎自治体が実施する。除雪には優先順位がある。幹線道以外は、交通量等の理由から除雪対象外の道路も少なくない。
2011年10月27日付『北羽新報』によると、国土交通省能代河川国道事務所が26日に能代除雪ステーションで除雪機械の出動式を執り行っている。担当者とオペレータ30人が出席、合資会社の塚本商会の大高銀市に長年に亘り除雪活動に尽力したとして功労者表彰状が贈られている。同事務所にはグレーダ3台、トラック2台、小型除雪車4台、凍結抑制剤散布車2台など計13台の除雪機械が配備されている。2010年では、11月17日に凍結抑制散布車が出動したのがその冬初めてである。
グレーダがチェーンを巻いていることもあり、除雪の音は大きく、道路沿いの住民は始まったら、すぐそれとわかる。また、表面を削るため、除雪車両通過後も滑りやすく、一般車両の運転には注意が要る。しかも、大規模除雪は車道の雪を路肩の方に押しのけるだけだから、歩行者スペースが狭くなったり、なくなったりする。
除雪作業は、対策を講じているものの、道路を破損する場合がある。また、環境負荷の少ない凍結抑制剤の開発・使用も進められているが、科学的知見は改められる可能性があるので、試行錯誤を続けるほかない。補足すると、かりに自然界にあるとしても、物質循環が滞るようであれば、その薬剤は環境へ負荷をかけていることになる。
除雪は費用がかかるため、苦しい財政事情の基礎自治体では負担になる。秋田県では、住民と自治体が話し合い、限界集落が全体で移転したケースも起きている。1993年、皆瀬村(現湯沢市)の4世帯が中心部に転居したが、除雪費の軽減がその一因に挙げられている。
学校や公会堂等の公共施設は除雪費が予算計上されている。また、住宅や店舗、事業所などの民間施設の雪かきは所有者もしくは使用者がたいてい行っている。携帯電話の販売店では店長が汗をかいている光景が見受けられる。地方は車社会である。広い駐車場の雪かきは業者に依頼することも多い。地方の都市化に伴い、駐車場が増加、除雪量も増えている。空スペースに積み上げるだけでは足りず、捨て場の確保が課題となっている。下水に投棄する場合もある。
付け加えると、住宅の屋根の雪下ろしもある。家人が自ら取り組む場合もあるが、冬季に仕事がなくなる大工の収入源と捉えている地域も少なくない。
東京では雪かきは一年に一度あるかないかの作業である。東京は、冬季、世界の主要都市で最も乾燥している。年間を通して降雪量が多くないので、除雪は高速道路や空港などが主な対象である。費用対効果を考慮し、一般的に、官民共に積雪の備えはあまりしていない。積雪があったとき、交通機関が混乱するのもやむをえない。雪寄せにしても、転倒の危険性があるものの、清掃とさほど違いはない。歩行者にとっては、11月から12月、街路樹の濡れた落ち葉の方がヒヤッとする。
以上が除雪関連の簡単な事情である。今の雪かきは通学路の確保や公共・商業施設への出入の維持など歩行者への配慮も確かにあるが、自動車の運行に支障がきたすことを減らすのを主な目的としている。対象外の道路もあれば、歩行者のスペースが著しく縮小するなど除雪は画一主義が強くない。また、各種の課題を考慮するなら、なぜ「雪かき」が世界を救うのか理解できない。
「人知れず」に雪かきをするのは危険である。除雪や雪下ろしを一人で行っていて事故に遭うニュースに年に一度は接する。
雪国住まいの経験があれば、内田樹の解釈が贔屓の引き倒しであって、村上春樹の「雪かき」の譬えが不適切だと思わずにいられないだろう。フィクションであるから、作品には登場する人物や事象に許容範囲があるものだ。作品もしくはメディアの都合上改変せざるを得ない場合だってある。ところが、村上春樹には改変の必然性が感じられない。ろくに調べず、思いつきと思いこみで書いている。読者には作品に登場する人物や事象のコンテクストに精通している人もいる。彼らが諸々の事情を考慮して納得できるとしたら、それは「書けている」ことになる。しかし、村上春樹の作品には不備が多すぎる。社会性が乏しく、読者をなめているとしか言いようがない。
初の女性真打の落語家古今亭菊千代は「お客様はプロなんですよ」と言っている。自分が落語で職人を演じたとする。お客の中に本当の職人がいるかもしれない。プロの前でそれを噺さなければならない。この師匠はそういう人から見ても納得して楽しんでもらえるように研究している。
「誰かがやらないと結局みんなが困る種類の仕事」は公務員の業務が好例だろう。お役所仕事の特徴は画一主義にある。ただ、それが完全であるか必ずしもそうでない分野に分かれる。完全画一主義がとられているのは公衆衛生部門である。水道事業はその一環である。安くて安全な水を採算をある程度度外視して住民に供給している。「プラス加算されるチャンスはほとんどない」が、「世の中からマイナスの芽」が「少しだけ摘まれている」仕事は水道事業にこそふさわしい。
ある人が土地を不法占拠して家を建て、井戸を掘ったとする。水道局はこれを黙って見すごしはしない。職員をその住宅に派遣し、水道の使用をお願いする。「義務」ではない。そのため、断られても、何度でも足を運ぶ。法的に問題がある住宅だとしても、水道局は公共の福祉を優先させ、それを二の次として扱う。井戸水が原因で感染症が発生した場合、その被害はそこだけですまない恐れがある
水道事業の中でも、まさに「人知れず」取り組まれている業務がある。それが漏水調査である。
自治体の(上下)水道局は水資源の有効利用を図り、道路陥没等の二次災害を防止する目的で、年間を通して地下埋設の水道管の水漏れを発見するため、管轄地域の道路や宅地内で給水管や配水管の漏水を調査している。職員と委託業者の調査員がペアで主に日中行う。調査員が音聴棒や漏水探知機等の専用調査機器を用いて、水漏れの音を探る。機器は大きな聴診器といった具合である。交通量が多い道路では音が聞きとりにくいため、調査は夜間に実施される。この業務は、つまり、「人知れず」でないと担当者が困る。雪国では、冬季は行われない。なお、盛岡市上下水道局のホームページによると、ニセ調査員が無料であるはずの調査費を請求したり、物品を売りつけたりする被害も報告されている。
漏水調査は、NHK・Eテレ放映の小学3・4年生向け教育番組『知っトク地図帳』の第6回水道局でも紹介されている。社会はこうした「人知れず」実施されている業務によっても支えられている。子どもたちにそういう社会を見る目の大切さを学んで欲しい。そんな意図が伝わってくる。
内田樹の「雪かき」に関する説明は、むしろ、漏水調査に適している。この論者には定義を曖昧にしたまま、類推解釈する傾向がある。「」を濫用、その内部を規定もせず、社会的なネットワークを軽視して、それを孤立して把握し、他のものとの恣意的な結びつけを展開する。自己完結性が強く、何も言っていないのに内実は等しい。
村上春樹はおそらく漏水調査を知らないだろう。彼は、周知の通り、ことのほか地下が好きである。『ダンス・ダンス・ダンス』で比喩として使うかどうかはともかく、大きな聴診器で地下を探るこの「人知れず」の調査を承知していたら、作品でとり上げていたに違いない。
社会には、作家の思いつきや思いこみを上回るものが溢れている。
〈了〉
参照文献
内田樹、『村上春樹にご用心』、アルテスパブリッシング、2007年
高橋和夫他、『市民と社会を生きるために』、放送大学教育振興会、2009年
村上春樹、『ダンス・ダンス・ダンス』上下、講談社文庫、2004年
NHK、『知っトク地図帳』
http://www.nhk.or.jp/syakai/tizu/index_2011_006.html
盛岡市上下水道局
http://www.morioka-water.jp/index.html