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産業政策と金融

佐藤清文
Seibun Satow
2013年1月11日

初出:独立系メディア E-wave Tokyo
無断転載禁


「金銭は召使でもあり主人でもある」、

クィントゥス・ホラティウス・フラックス


第1章 産業政策の時代とその終焉

 歴史の経験を踏まえることは経済政策においても大切である。当時と背景が異なっているとはいえ、今の政策を相対的に検討することができる。現政権は経済再生の手始めとして、日銀に圧力をかけ、国債の買い増しによるさらなる金融緩和を主張している。経済再生のために金融緩和をするというのはいささか漠然としている。現政権の金融緩和は円高是正が主であって、設備投資を支えるという本来の目的は二の次である。

 昨年続いた円高水準が決して各国の競争力を反映しているとは思えない。しかし、為替レートの決定理論にはいくつかの説があるが、実際には、よくわかっていない。解明されているなら、対応も容易である。現在世界の政府・中央銀行が行っている為替相場対策はあくまで対処療法である。

 戦後史を振り返るならば、金融緩和が過剰に期待されていると言わざるを得ない。日本では金融緩和が必ずしも経済の健全な成長に寄与してこなかったからだ。それをバブル崩壊までの産業と金融の関係から見てみよう。

 政府は、戦後復興期から高度成長期まで、企業の設備投資を円滑にするために、戦時統制体制の枠組みを利用する。社債発行を厳しく制限し、企業の資金調達を銀行による融資に誘導する。そのためには低利で資金を銀行に集める必要がある。

 そこで、当局は銀行間の競争を抑制する。都市銀行の預金金利を全国一律に定め、支店の出店でさえ指導、また長期信用銀行3行に特権的に金融債発行を認め、長期資金を集めさせている。

 その上で、政府が戦略的に重要とする企業に対し、その意向に従う見返りとして、優先的に資金を配分する。当時の日本企業は欧米へのキャッチアップ型であったため、政府がその進んだ技術を斡旋してくれれば、学習コストの低減につながる。また、製造業は世界的にまだ信用度が低く、市場から資金調達をしようとすれば、リスク・プレミアムを用意しなければならない。直接金融よりも間接金融から資金調達する方が有利である。

 銀行にとっても製造業は最良の顧客である。設備投資に融資すれば、長期的かつ安定的に返済が見込める。しかも、事実上政府の保証付きである。銀行は特定企業との長期的取引関係を結び、他行の融資には協調的調整を取り計らうメインバンク制が成立する。

 日本政府の産業政策は輸入代替である。国内産業育成の妨げになるとして事実上市場から締め出す。今日、輸入代替政策は、多くの国々で失敗したため、評判が悪い。けれども、日本の場合、国内に複数の企業がいる状況があり、その競争によって切磋琢磨している。

 高度経済成長と言うが、これは日本だけの現象ではない。西欧では「繁栄の30年間(trentes glorieuses)」と呼ばれている。政党政治の安定、労使協調関係、福祉国家やケインズ主義が広く受容されている。

 ただ、財政出動による景気対策はこの当時はともかく、先進国においては費用対効果の点で期待できない。インフラが未整備の途上国では極めて有効である。GDPの成長率に対する税収の伸び率は、途上国が2倍に及ぶ場合もあるけれども、先進国では限りなく1倍に近い。ちなみに、公債発行残高700兆円で税収40兆円の政府が名目成長率3%を掲げて、10兆円支出の緊急経済対策を行うとしたら、計算ができないか、無責任かのいずれかである。持続性を考えて、カネをできるだけ出さずに、各主体のインセンティブを刺激する経済政策を練るのが政府というものだ。

 もっとも、ケインズ主義と称される財政出動は、1893年に起きたアメリカの不況の際に、民衆の知恵としてすでに見られる。93年だけで1万5000の企業と600以上の銀行が倒産、翌年には5人に1人が失業者という状況に陥る。全米各地でデモが頻発、民衆が地方政府を突き上げ、道路工事などの公共事業をさせている。インフラ整備はいずれ必要であり、それを前倒しにすればいい。仕事があれば、カネも使い、景気はよくなる。ジョン・メイナード・ケインズはこの民衆の知恵を精緻に理論化したと言ってよい。今のアメリカ人がケインズ主義をしばしば社会主義と非難するのは理解に苦しむ。

 1970年代に入ると、国際競争力を獲得した製造業がこの産業政策から自立し始める。他国の企業と先頭争いをするには、政府の斡旋を待っていることはできず、自らの努力で勝ち取らねばならぬ。また、世界的なブランド力のある企業は銀行からではなく、証券市場を通じた資金調達も容易である。長期的には、間接金融よりも直接金融の方が低金利である。

 特に製造業が求めたのは社債発行の規制緩和である。それまで債券発行は非常に厳しく制限され、実際には市場が存在しない状態である。その主な理由は戦前に見られた金融市場の度重なる混乱の回避である。戦時統制に入るまで、日本は直接金融中心の自由放任の経済である。政府に金がなかったので、事業を始めるには市場を通じて広く薄く資金調達するほかなかったからである。コール市場はすでに明治期から成立している。加えて、労働力の流動性も高く、社会保障制度も未整備である。当時、アメリカと比べて、はるかに規制が少なく、プリミティブな資本主義である。

 金融市場は政府の統制が及びにくい。当局は、だから、厳しい規制によってその活動を抑制する。それが戦時から70年代に入るまで続いた状況である。しかし、70年代後半、政府は財政赤字を拡大させ、国債消化のため、公社債の発行規制を段階的に緩和していく。公社債の発行規制の緩和は産業政策ではなく、政府の財政規律の緩みが主な要因である。けれども、そのおかげで、80年代には製造業の資金調達の中心が銀行融資から証券市場での株式や社債へと移行する。

 企業が資金調達を直接金融に変えたことは、バブル崩壊後、経営の考えの変化として世間は実感する。市場の変動に備えるため、企業は内部留保金を積み立てるようになる。銀行融資は経費であるが、内部留保金は課税対象である。法人税減税を政府に要求する主な理由である。また、企業は利益が上がっても、内部留保金の増額を優先し、社員の給与の伸びを抑制する。これは実感なき成長の原因の一つとなる。

 製造業の銀行離れは銀行にとっては大打撃である。護送船団方式は銀行の保護ではなく、製造業の資金調達の円滑さを目的としている。正当化の理由がなくなれば、銀行業務の自由化も避けられない。金融市場の対外開放と自由化が80年代から90年代にかけて進むことになる。

 しかし、銀行にも金融当局にも、製造業の設備投資を支えるという従来の役割が縮小したのに、それに代わる展望を見出していない。将来の銀行がいかにあるべきかがつかめていない状態で金融自由化に突入してしまう。

 しかも、事前の参入規制を緩和しながら、政府は事後の監督等の制度をなおざりにしている。先に述べた通り、大蔵省による参入規制は戦前の金融市場の混乱という苦い経験に基づいている。規制を野放図に緩和すれば、20年代の金融恐慌の再現が危惧される。それを避けるには、統治のルールを制定しなければならない。

 加えて、先に自由化した米国の経験も参考にできる。危機が起こると、その金融機関が不都合な情報を外部に隠蔽していたことが明らかになる。金融危機は情報の非対称が招くと言っても過言ではない。金融に自由を認めるなら、その代わりに情報の厳格な開示を強要する。ところが、緩和と監督を同じ大蔵省で取り仕切る体制が変わらず、ルールを整備しないまま、自由化だけ進んでいく。


第2章 金融緩和とバブル

 80年代を迎える頃には、日本の製造業の生産性がアメリカのそれを上回り、北米市場をメード・イン・ジャパンの製品が席巻する。アメリカの貿易収支が赤字を計上、ベトナム戦争に伴う財政赤字と相まって、双子の赤字を抱える。しかし、日本国内が不況に陥れば、企業は輸出を増やす。対米貿易黒字が膨張し、日本政府へ内需拡大への圧力が高まる。85年のプラザ合意により、国際競争力に見合った為替レートへの是正が図られる。ところが、当局者の予想をはるかに超える円高ドル安へと急激に向かっていく。

 この時、実は、アメリカの技術開発力自体は決して落ちていない。あくまで生産性の低下である。次を睨み、米国は、日本に対抗しようと従来の方針を転換する。知財保護のプロパテント政策やイノベーション促進のためのベンチャー・ビジネス育成を進めている。90年代以降、これらは成果を上げていく。

 1986年、日本は円高不況に見舞われる。今日これはJカーブ効果の一例と理解されている。80年代半ば、政府は財政再建に取り組まざるを得なくなる。赤字を縮小するためには、財政出動をするわけにはいかぬ。政府は、そこで、景気対策を日銀に期待する。マンデル=フレミング・モデルによれば、変動相場制で資本移動が不完全な場合、財政政策も金融政策も景気対策として効果がある。戦時統制期から日銀は政府からの独立性を奪われている。政府の干渉により、日銀は、必要以上に長期間、低金利政策を続ける。製造業への融資が減少しているため、国内金融市場には資金があふれ出てしまう。

 銀行の融資先は製造業が離れたので、中小企業と個人の構成比が高まる。銀行は大口の資金供給先を持貯めて、住宅専門企業を通じた不動産や事業会社を介した株式に着目する。資産投資に巨額の資金が流入することでバブル経済が到来する。

 97年のアジア通貨危機のような資金不足による不況なら、金融緩和は有効だろう。しかし、為替の急変動によって引き起こされた景気後退は設備投資増加の動機にはならない。しかも、これは内需拡大を目的として誘導されたレートだ。けれども、日本の製造業にとって国内市場はもはや小さい。かつてのような為替水準が見込めないのなら、人件費も上がっていくことだし、生産拠点の海外への展開を考えざるを得ない。

 設備投資は生産力の拡大や生産性の向上をもたらす。将来の見通しが立っている時に、企業は設備投資をする。金利はあくまでその時期を決める条件の一つである。先行き不透明では設備投資の意欲はわかない。景気や雇用の対策としての金融緩和は資産投資を増やしても、製造業の設備投資拡大に必ずしもつながらない。

 当時、銀行は晴天の日に傘を貸しに来ると揶揄されている。貨幣数量説に従えば、貨幣には限界効用逓減の法則が働かないはずだが、実際には、巷ではそう感じられている。返済を考えると、無責任な人は別にして、必要以上のカネの供給は迷惑である。設備投資の側から考えるならば、貨幣にも逓減の法則が働く。金融緩和の産業に及ぼす効果は、直観的には、ロジスティック曲線を描くと推察できる。

 カネは足が速い。明確な目的を持って支出されない限り、それは自由に動き回る。国境もあってないようなものだ。機動性が高くなれば、環境の変化を察知したら動けばいいので、思考が短期的になる。カネは自らを保存し、できれば増殖したい。採算性という位差によって移動する。

 バブルは経済のファンダメンタルズから説明できない現象である。1985年から91年位にかけての実質成長率は4.9%である。平成不況期と比べれば、大きいように見える。しかし、74年から85年までの安定成長期のそれは4.0%で、わずか1ポイントしか上昇していない。一方で、株価と地価は、80年代の10年間で、およそ3倍に高騰している。このデータを考えただけでも、製造業の設備投資が経済成長にとって大きいことがわかる。

 バブルを招いた主因の一つに日銀の長すぎた金融緩和が挙げられる。なぜ日銀が判断を誤ったのかと言えば、物価が高騰していなかったからである。中央銀行は通貨の信用のために物価の安定を任務の一つとし、先進国ではインフレ率3%程度は正常とされている。86年から88年までのインフレ率はいずれも1%未満、89年2.3%、90年3.1%、91年3.3%である。物価水準を見る限り、金融緩和をやめる理由がない。円高に伴い輸入品の価格が下がり、消費が旺盛であっても、物価水準はさほど上がらない。市中にまかれたカネは株式や不動産に集中し、金融緩和はインフレ率の上昇につながっていない。貨幣数量は物価水準と直結していない。

 現在世界的に支配を広げる合理的期待形成は多くの経済学上の仮説に立脚しており、実際には、実証されていない。バブルの経験を考慮するなら、インフレ目標による金融緩和政策は健全な経済成長をもたらすとは言えない。そもそも金融政策は財政政策と比べて、実行は早いが、効果が遅いとされている。インフレ率が大きくなったのは、日銀が金融引き締めに転じてからである。かりに目標に達したから緩和を停止しても、その後もインフレ率上昇が続くことになる。

 証券市場が過熱し、製造業の大企業は資金調達が容易になっても、設備投資にそれを回さない。採算性を考えて財テクに走る。バブル崩壊後、この負債が企業経営の足を引っ張ることになる。

 70年代までの産業政策において産業と金融の関係は明確である。産業の需要に応じて金融が資金を供給する。経済成長を牽引するのは産業であって、金融はそれを後押しする。産業政策の戦略があり、そこに金融という戦術が位置づけられている。

 しかし、70年代から、政府は産業と金融を有機的に捉える戦略を失う。フロントランナー型の産業政策を持ちえなかったとも言える。80年代から繰り返される金融緩和は産業の需要に応えているわけではない。カネを独り歩きさせるだけである。イノベーションの勃興という戦略を立てた上で、金融をどのような戦術として使うかというデザインがない。

 キャッチアップ型がエンジニアの発想だとすれば、フロントランナー型はデザイナーである。エンジニアは、もちろん、必要だ。デザイナーとエンジニアの相互作用は大いなる可能性を秘めている。ただ、トレンドとスペックばかり気にする専門バカなら不要である。また、制約の下で、市場展開する商品を提示しなければならないのだから、あくまでデザイナーであって、アーティストではない。デザイナー育成をどうすればよいかを考えれば、イノベーションの制度化も思い浮かぶだろう。

 80年代の失敗を踏まえて、90年代に日銀の独立性の確保や財務と金融の分離が進められている。ところが、12年末に発足した現政権はそれを元に戻そうとしている。古臭く、デザイナーのセンスからほど遠い。しかも、当時以上の赤字を政府は抱えている。その状況で日銀による国債の買い増しは危険であるが、どうやら政府は時間稼ぎと見ているようだ。しかし、それは場当たりすぎる。

〈了〉

参照文献
野村達郎、『現代アメリカ合衆国史2─フロンティアと摩天楼』。講談社現代新書、1989年
宮本又郎、『日本経済史』、放送大学教育振興会、2008年