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「もし誇るべくんば、わが弱きところにつきて誇らん」。 『コリント後書』11:30 評判の高くなかった法王であるが、その在位中、最後の最後に歴史的な決断をする。存命中の自発的退位である。 2013年2月11日、ベネディクト16世は高齢による健康問題を理由に退位を発表する。2005年、ヨハネ・パウロ2世の逝去に伴い、第265代法王に就任し、現在85歳である。 存命中に退くのはグレゴリウス12世以来、598年ぶりである。ただ、当時は教会大分裂により法王が複数いるなど混乱状態にあり、強いられた辞職だ。自発的な退位となると、719年前のケレスティヌス5世にまで遡る。 自らの能力の限界を感じての引退と考えるべきで、深読みの必要はないだろう。万が一、床に伏すことにでもなれば、バチカンの意思決定は滞る。変化の激しい現代社会でそれは統治の機能不全を招きかねない。ツイッターを利用した法王ならではの判断とも言える。 前任のヨハネ・パウロ2世は「空飛ぶ聖座」と呼ばれ、外交に積極的にとり組んだ政治家である。けれども、就任時に78歳だったベネディクト16世は、外遊も非常に抑制されている。なにしろ、1億人の信徒によって構成された巨大な組織であり、官僚機構も肥大化している。組織改革が必須である。しかし、現法王は教義に通じた学者肌ではあったが、行政官としての能力は乏しかったと言わざるを得ない。 欧州での信者の減少や世俗化に歯止めをかけることに腐心したが、今日のカトリック教会にとってそれが必ずしも中心的課題ではない。むしろ、難題が堆積した8年間である。 各国で表面化した聖職者による児童への性的虐待をめぐっては、ベネディクト16世は就任前から認識していたのに、対処を怠っている。被害者団体は非常に厳しく彼の対応を批判している。 バチカン銀行は、『ゴッドファーザーPART3』を始め何度か映画で描かれているように、資金洗浄など不正疑惑が後を絶たない。その内部抗争の過程で、12年、大量の機密文書が外部に流出、法王の元執事が逮捕されている。 カトリックの信者の6割を中南米やアフリカが占めている。途上国においてエイズの蔓延が危機的状況に陥っている。にもかかわらず、09年3月、現法王はそのアフリカでコンドーム配布が問題を悪化させると発言する。 英国国教会や東方正教会などキリスト教内部での和解には積極的だったが、法王はイスラムとの火種をわざわざ作り出している。06年9月、イスラムの「ジハード」を批判してムスリムたちとの摩擦を生じさせている。同年11月イスタンブールのモスクを訪問して火消しに回る。 また、法王はナチスの名誉回復を行っている。09年には、ホロコーストを黙認した法王を「尊者」に認定したり、そのジェノサイドを疑問視した英国人司祭の破門を解除したりしている。戦後の国際社会と価値観を共有する気がないというのに等しい行為だ。 現法王は従来のバチカンの方針を堅持する保守派で、現代的要請に応える姿勢を示していない。一例が女性司祭の禁止である。これは、現代社会にそぐわない方針であるだけではない。地域によっては、女性信徒が多数派であり、男性司祭のみではいびつな組織になってしまう。日本の場合、カトリック信者の大半を女性が占めている。 ベネディクト16世は、他にも同性婚や離婚、中絶、避妊などでも現状維持を貫いている。キリスト教の無謬性を盲信する原理主義者ではないものの、めまぐるしい変化が伴う現代社会に向き合う姿勢は狭量だったと言わざるを得ない。 現代社会における宗教の意義は公共性への寄与である。近代主義の追求してきた公共性のはらむ諸問題に対して宗教が異議申し立てを続けている。宗教の持つ公共性を再検討することでその改善を図るのは非常に意義深い。キリスト教宗派の中でも、カトリックは歴史的にそうした公共的役割に積極的にとり組んでいる。 カトリック勢力は、他のキリスト教宗派と違い、政党を結成している。19世紀後半、信者が多数派ないし強力な少数派である国──ドイツやオランダ、ベルギー。オーストリア、イタリア──においてカトリック政党が創設され、選挙で躍進している。フランスも信者が多数派であるけれども、政教分離が厳格であり、国家と教会の対立も激しく、党派を形成していない。 近代体制確立と共に、個人主義的な自由主義が支配的になり、国家と教会の対立が激化、それによって社会的亀裂が生じている。政治的カトリシズムの台頭はこうした背景に基づいている。他宗派にはこうした亀裂感はない。ルター派は信仰を内面の問題にしているし、英国国教会は国王が教会の首長を兼ねている。 ただし、政党形成にカトリック教会は消極的姿勢をとっている。こうした動きが教会の階層秩序を混乱させたり、指揮命令系統からの逸脱を招いたりすると警戒したからである。場合によっては妨害しさえしている。カトリック教会はトランスナショナルな組織であり、国別に独自の判断で信者が行動するのを好まない。 政治運動は、従って、下級聖職者や平信徒が中心となって自律的に進められている。根づいてきた歴史もあって、カトリック勢力の組織力は群を抜いており、その団結力と機動力によって選挙ですぐさま成功する。教会も次第に政治運動を追認していく。 カトリックの組織力は、20世紀後半の中南米でも発揮される。従来、教会は持てる者で、政治権力者と癒着し、先住民からの搾取に手を貸している。バチカンは反対したものの、1960年代、「解放の神学」を支持する聖職者が先住民の運動の組織化に寄与する。体系的な理論を持ち、それを無学なものにもわかりやすく伝え、信頼感を得ることは神父の得意とするところである。さらに、教会のネットワークが先住民族運動の組織化の基盤となっている。寄付や事業などによる持続的な活動資金の確保もここから学んでいる。 1960年代、3年間に亘り、第2バチカン公会議が開催され、カトリック教会は排他的姿勢を改めている。解放の神学はこの会議の結果を踏まえて発展している。しかし、この神学は、その後、途上国で広がりを見せたものの、バチカンから拒絶されている。 このように、カトリックは公共性の再検討に積極的な役割を果たしている。ただ、いずれも上からの指導ではなく、下からの運動である。国境を越えた信徒の巨大組織であり、時代への対応もトップダウンではなく、ボトムアップとならざるを得ない。ベネディクト16世の8年間は、トップとボトムの乖離が拡大し、公共性の再検討への新たな提起は見られなかったと言わざるを得ない。 次期法王に誰が選出されるかは3月のコンクラーベの結果が判明するまでわからない。前回も有力候補とされたナイジェリアのフランシス・アリンツェ枢機卿の名も挙がっている。彼が選ばれれば初の非ヨーロッパ出身者である。重要なのは、その法王の下で、カトリック教会が現代社会の公共性への新たな寄与を提示できるかである。 〈了〉 参照文献 恒川恵市、『比較政治─中南米』、放送大学教育振興会、2008年 ロジェ・オペール他、『自由主義とキリスト教』、上智大学中世思想研究所編訳・監修、平凡社、1997年 |