エントランスへはここをクリック   


山口昌男、あるいは知的大食漢

佐藤清文
Seibun Satow
2013年3月11日

初出:独立系メディア E-wave Tokyo
無断転載禁


「常に流行歌のフィーリングでやろう、どんな深刻な問題でも鼻歌でやろうという志は立ててはいるんですね」。

山口昌男『EV. Cafe』


 かつて時代を象徴する批評家がいたものだ。50年代を代表するのが花田清輝と福田恒存、60年代のカリスマは吉本隆明である。2013年3月10日に亡くなった山口昌男は70年代のスターである。「七〇年代を通じて、吉本(隆明)さんの『共同幻想論』以降、山口先生の言ってらっしゃることというのは、八〇年代のポスト構造主義まで、ベーシックに僕らに影響しているものだと言えるんです」(坂本龍一『EV. Cafe』)。

 山口昌男の業績を挙げてその死を悼むことはふさわしくない。山口昌男は、『EV. Cafe』によると、71年のデビューから長い間、「何を書いているかわからないと言われ続けてきた」のであり、「論壇の醜いアヒルの子」と見なされている。三浦雅士や塙嘉彦、大塚信一など「ほんの少数」の「奇特な編集者の励ましで生き残った」ものであって、「わかられた瞬間には、もう遠い過去の人になっちゃってるっていう感じ」だ。

 70年代、西洋中心主義や近代文明に対する批判が高まり、その相対化が試みられている。また、既存の学問体系が行き詰まり、学際的研究が本格化し始める。山口昌男はこの時代の精神を体現したような批評家である。その彼には従前の思想家と異なる特徴が三つある。

 第一に相対的な文化認識である。文化人類学者としてさまざまな文化に接した経験から、自文化を含めそれらを相対的に認識している。従前の批評家には輸入思想か自前思想かの二項対立が見られる。前者は、中村光夫が典型であるが、近代の受容において歪みが生じており、それを是正すべきだという近代主義である。他方、後者は、吉本隆明のように、日本には固有の状況があり、輸入思想に依存することなく、それに適した独自のものを追求すべきだという自前主義である。

 外来思想をその発想から切り離して方法としてのみ吸収しようとすると、自己目的化してしまう。歪みはここに生じる。行き詰った場合、次の輸入を待ち望むことになる。こうした異存状態の打開のため、自前思想の希求が膨らむ。

 しかし、外来思想の受容と自前思想の創出は二者択一ではない。外来思想の圧力は思考の方向性を明確化にする。思想的発展には、輸入する思想を選択し、それを解説・定着・彫琢する必要がある。こうした模倣・導入の蓄積は思想の自前での思索なくしてはあり得ない。外来思想と自前思想は相互補完の関係にある。

 山口昌男はこの二項対立にとりこまれない。彼は、柳田國男と折口信夫の民俗学をバックボーンにして、文化人類学を始めている。しかし、西洋と日本の相克は彼にとって近視眼的問題設定である。アフリカを始め世界各地の先住民族や少数民族をフィールドワークした彼には前近代と近代の間に優劣はない。その認識では日本も相対化される。自前主義者が日本固有などと主張していることが、世界のあちこちでも見られる。

 部分的に正しい知識を持っていても、共通性よりも異質性を強調する認識の下では、組み立てられた全体像は歪んでいたり、偏ったりしてしまう。それは閉じられたアイデンティティによる自己絶対視である。共通性にも目を向けた開かれたアイデンティティを山口昌男は説く。
 ブラジルの場合は、あるとき、バイア州のサン・サルバドルっていう州都に行って海岸を散歩していたら、子連れの女の人が話しかけてきて、なんとなく話してたんですよ。そうしたら、今日は日曜日だからアパートに遊びにこいというのでついて行ったんです。(略)日中は病院で看護婦をやってて、夜はクラブに勤めて売春婦をしてる。ちょうど電話がかかってきて、緊急で仕事をしてくれといわれたから、六時間ぐらいいなくなると言うんです。それがまた子供が二人いるんですよ。子供の面倒を見てくださいって出ていっちゃって、気がついたら外からカギをかけられてるの(笑)。それで六時間、子供のお守りをさせられた。(略)
 帰ってきてから、子供のお守りをしてもらったから悪いからって、下着を脱いで前をはだけて、「かかってきていいよ、お金はいらない」なんていこうとを言うんだ。「まあ、いいよ、いいよ、子供に玩具でも買ってやってちょうだいよ」と言って、お金を置いて逃げたことがある。子守のお礼にさせていただいて、子どもができたなんていったら全く悪循環になってしまう(笑)。
(山口昌男『EV. Cafe』)
 第二が普遍的なキーワードによる理論展開である。「中心と周縁」や「トリックスター」、「スケープゴート」、「ヴァルネラビリティ」など印象的なキーワードが山口昌男の作品には満ち溢れている。そうしたキーワードが物語るのは要約能力と概念操作能力の高さである。キーワードの意味を知れば、彼のアイデアの概略がわかるし、概念操作をたどれば、理論構成が理解できる。こうした用法は汎用性があり、キーワードは彼の理論を離れて広く普及する。

 従来、独自のタームを使う思想家は少なからずいる。「絶対矛盾的自己同一性」の西田幾多郎や「共同幻想」の吉本隆明は好例だろう。しかし、独自のタームはその文脈に依存していて、往々にして曖昧である。そのため、そうしたタームが一体何を言っているのかから論じることになる。普遍性は乏しい。彼らの理論はそういった語彙に基づく論理によって構成されており、信奉者はその特有の言語を扱うことに喜びを覚えている。

 大江健三郎は山口昌男に影響を受けたと公言している。しかし、大江は山口昌男の理論を先取り押していたというのが今では通説である。だが、大江が暗黙の裡に小説の中で展開していたことを山口昌男がキーワードによって明示化させたと考えるべきだろう。山口昌男が内在知を形式化させたことで、大江は自己認識することができ、そこから発展のヒントをつかんでいる。大江にとって山口昌男はなくてはならないコーチである。「山口昌男がだれかに悪口を言われたとき、それを聞いた大江健三郎が山口昌男に電話をかけて、『くやしい』と言って電話口でサメザメと泣いたという噂があります」(森毅『ゆきあたりばったり文学談義』)。

 他にもこうした洞察の事例がある。1980年、柄谷行人が『日本近代文学の起源』を刊行した際、裏表紙に山口昌男は長い推薦文を寄せている。そこに「柄谷行人氏の方法は、すべてを根本的に疑ってかかるという現象学のそれにもとづいている」という件がある。88年に同書が文庫化された時、柄谷は、新たに収録された「ポール・ド・マンのために」の中で、彼の評に触れ、当時、現象学についてほとんど知らなかったと告白している。80年代、柄谷は現象学を援用して自説をしばしば展開しており、山口昌男は柄谷の暗黙知を明示化したと言えるだろう。
やっぱり意外な人と話していると、意外な自分に関しての盲点が出てくるというような感じがして、びっくりしたんですね。
山口昌男『EV. Cafe』
 第三が知的物量戦である。それは知識を理論として展開するので、荒俣宏のようなたんなる物知りとは違う。山口昌男の作品は博引傍証に覆われ、圧倒的な知的物量戦が持久的に展開されている。「ただあの人には知的大食漢みたいなところがあって、一つのテーマについてむやみに文献をいっぱい集めて、とめどもなくしゃべりまくる」(森毅『ゆきあたりばったり文学談義』)。海外の思想家には、これくらい少なくないが、日本では珍しい。

 山口昌男のアイデアは必ずしも奇抜ではない。それを論証する論理や修辞に博引傍証が用いられる。ここから考えを派生できるのであって、彼はインタープレイを求めている。能動的に読むならば、山口昌男の作品は宝の山だ、

 また、知的物量戦は汎用性が高い。専門には精通しているが、それから離れると、素人並みになってしまう人が少なくない。他領域については自分に位引き寄せて思いつきや思いこみに基づく価値判断を語るにとどまる。体系的知識に基づいて臨むと、全体像を把握できる。議論は恣意的だったり、断片的だったりせず、本質的となる。すべての領域で体系的知識による山口昌男の物量戦はつねにツボを押さえた考察を提示する。

 しかも、この手法は情報量が膨大になればなるほど強みを発揮する。情報量が増えても、要約して、体系の拡張・補完・修正・統合によって対処できる。山口昌男のようなタイプはどれだけ情報氾濫の状況が襲ってきても、戸惑うことさえない。知的消化力が高いからだ。

 知識が相互に関連して巨大なネットワークとして知の全体を構成している。山口昌男はそれを把握しようとした思想家である。けれども、こうした三つの特徴を踏まえた批評家は、それ以降、出現していない。浅田彰が登場した時、山口昌男の影響を感じさせたが、あまりにも寡作で、尻すぼみになっている。偏食や小食、つまみ食いは知的健康によくない。山口昌男から知的消化力を高める秘訣を学べるはずだが、そんな考えの人は稀有である。今の時代は山口昌男のような知性を受け入れることさえないだろう。

 90年代以降、体験や直観、生半可な知識を根拠にした思いつきや思いこみによる価値評価する論者が話題になっている。加藤典洋や東浩紀、内田樹など挙げればきりがない。体系的知識ではなく、恣意的解釈が幅を利かせている。「それで、たとえば山口昌男のこのスクラップブックのなかで、彼が言っていることのさまざまな変奏が、その雑多な寄せ集めのなかから嗅ぎとれないか。もしも、それがだめなら、読者の鼻が悪いというだけのこと」(森毅『一刀齋の古本市』)。

 しかし、フクシマを始め3・11は、それに向かおうとする時、体系的知識が重要であることを認知させる。断片的知識や恣意的解釈では手に負えない。今の社会で思考するなら、山口昌男のようにならざるを得ない。彼の姿勢は大いに示唆を与えてくれる。われわれは山口昌男との対話を必要としている。
 学生のとき、ある有名な文化人類学者の講義に出ていたことがある。彼は講義の時間だったのだが、常に学生に意見を出すことを要求した。学生ひとりひとりの研究していることを聞き出し、それに沿ったテーマを毎回用意してきた。チェコの言語学派やインドの独立運動、ソビエトの映像理論から、比較文化精神医学まで。すごかった。しかし、ぼくらはおとなしく、ほとんど意見を出さず、黙って聞き続けた。そのうち彼はかんしゃくを起して、学期半ばで講義を一方的に止めてしまった。腹が立ったのだろう。
 彼にはいろいろな思惑があったのだろうが、要するに、対話になる思いがけない発展をいつも期待していたのだと思う。異質なものとのインタープレイをしたいと考えていたのだろう。実際、彼の市民講座などでは、さまざまな意見が飛び交い、彼はそれが楽しかったのだ。しかし、意見を言えるほどの用意もこちらにはなかった。何せ、彼は日本で有数の博覧強記として有名だったし、こちらの感想程度の意見などは、頭からばかにされるにちがいないと恐れていたのだ。会話を求める人は、報われない。
 山口昌男先生、あのときは申し訳ありませんでした。
(金田一秀穂『新しい日本語の予習法』)
〈了〉

参照文献
柄谷行人、『日本近代文学の起源』、講談社、1980年
柄谷行人、『日本近代文学の起源』、講談社文芸文庫、1988年
金田一秀穂、『新しい日本語の予習法』、角川oneテーマ21、2003年
村上龍+坂本龍一、『EV. Cafe 超進化論』、講談社文庫、1989年
森毅、『一刀齋の古本市』、ちくま文庫、1996年
森毅、『ゆきあたりばったり文学談義』、ハルキ文庫、1997年