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被災と物語
第五章 先祖祭祀
佐藤清文
Seibun Satow
2014年3月11日
初出:独立系メディア E-wave Tokyo
無断転載禁
第5章 先祖祭祀
伝統社会における最も基礎的な幸福感は無病息災に要約できる。この四字熟語は仏教に由来するが、同様の幸福感は世界的に広く認められる、何事もなく、無事日常性が繰り返される。その反復自体に幸福がある。英語の単純現在形の主な用法は日常性や習慣、いつものことの表現であり、この幸福感がよくわかる。
こうした幸福感に裏打ちされ、死者が子孫から祭祀を享受できる先祖になるためには条件が要る。死者が先祖として死後においてなお子孫に影響を及ぼす以上、資格要件がある。日本の場合、先祖は子孫集団に繁栄という利益のみならず、祟りや障りなどの不幸をもたらす。
先祖集団は子孫集団を統合する。先祖祭祀は子孫集団にとって重要な儀式であり、アイデンティティと考えられている。日本人と比べて、中国人はその認識が強い。中国人の基準は血統ではなく、文化受容である。現在、東南アジアを始め、世界各地に中国人移民やその子孫が居住している。彼らの中には、現地の国籍を取得したり、中国語を解さなかったりする者も少なくない。しかし、そうした人々の間にも「華人」という自覚が強い。彼らは先祖祭祀や家族観念の遵守をアイデンティティと認めている。父系の単系的な家族組織において先祖祭祀が発達している。中国人とは何かと尋ねられたら、伝統的家族観念に基づく先祖祭祀を執り行う人と彼らは答えるだろう。
死者が先祖になる要件は、山泰幸関西学院大学教授の『死者の幸福』によると、大きく三つある。第一は、その共同体において異常と見なされた死に方をしていないことである。特定の病気による死や事故死、自殺、戦死など忌避の基準は当該コミュニティによって異なるが、そうした死者が先祖から外されるケースは多い。
第二は、祭祀を行う子孫がいることである。祭祀を執り行うのは子孫であるが、それは死者と一定範囲の親族・血縁関係に限定されている。それがいない場合、生前もしくは死後に当該者と養子縁組を結び、祭祀者を確保する。しかし、こうした子孫が存在しない死者は先祖になれない。のみならず、生者に災いをもたらす死者として恐れられる。
江戸には、遊女を始め独り身が多い。それは子孫のいない死者が発生することを意味する。先祖として供養されないため、簡素な棺桶に遺体を入れて寺の集団墓地に粗雑に葬る習慣が普及する。こうした寺を「投げ込み寺」と呼ぶ。今日の発掘により、酒樽が転用されていたり、六銅銭だけしか所持していなかったり、棺桶が積み重なり、下のものがつぶれていたり、本当に投げ込んでいたことが確認されている。
新宿の円応寺の遺跡では二つの墓域が見つかっている。一つは一般用、もう一つは投げ込み用である。男女比は前者が2.7対1、後者が7対1である。投げ込みの男性比率が非常に高い。従来、投げ込みは遊女に対して行われていたとされてきたが、これにより下層庶民の間で常態化していたことがわかる。先祖として供養されない死者は最低限の扱いしか受けない。
第三は、死亡時に定められた年齢に達し、社会的カテゴリーに属していることである。死亡した乳児は先祖になれない場合が多い。また、人殺しの罪で刑死した人はその扱いを受けないのが通常である。
この三つが先祖の資格要件だが、死者がそうなるには期間と段階を経なければならない。日本の場合、一周忌や三回忌などの年忌供養、命日供養、彼岸や盆の供養といった行事が繰り返され、五十年忌で個としての祭祀が終わり、以後は先祖集団の一員と扱われる。死者は祭祀儀礼を通じて個から集団へと先祖としての性格を変えていく。
先祖と子孫の交流は社会によってさまざまである。両者が非常に身近な例を挙げよう。内堀基光放送大学教授は、『食べるものを作る』において、世界各地で行ったフィールドワークの経験から、稲作文化圏では米に関するこだわりが見られると指摘する。稲作を行い、米飯を中心とした食生活の地域では、自分たち、あるいは自分と同じ文化に属すると認知している生産者が作った米が世界一だと信じている。しかも、稲作自給農民が稲の一本一本まで大切に扱うという姿勢も共通している。
内堀教授は、ボルネオ島で、イバンの若者が風にあおられて折れた陸稲を一本一本丁寧に立て直す光景を目にしている。ここの人々は自分たちの米がこの世で一番おいしいと神話を使って説明する。人は死ぬと、天に上り、その魂は雨として地上に戻ってくる。稲はこの雨水によって発育する。米には先祖が宿っているのだから、世界で最もおいしいと信じている。先祖が自分たちの米をうまくさせているわけだ。イバンは日本よりもはるかに先祖と子孫が近い。人類学の知見は近代を相対化する眼を養うだけではない。前近代に関する固定観念をも相対化する。
なお、日本人と先祖の関係を最も端的に示すのが位牌である。位牌自身は中国から伝わった制度である。けれども、火事の際に人が位牌を持って逃げる光景は、世界広しと言えど、日本以外に見られない。日本文化とは何かと尋ねられたら、火事になったら位牌を手に逃げることと答えられる。日本人が固有の伝統として挙げるものはたいてい国外にある。位牌を持って逃げる姿はあまりに見慣れているので、独特の習慣と思っていない。しかし、固有性とはそういうものである。
第六章につづく