←エントランスへはここをクリック   
長期連載
Democratic Vista

第三章 代議政治の諸課題

 佐藤清文
Seibun Satow

2008年4月14日

Copy Right and Credit 佐藤清文著 石橋湛山
初出:独立系メディア E-wave Tokyo、2007年10月16日
本連載の著作者人格権及び著作権(財産権)は
すべて執筆者である佐藤清文氏にあります。
リンク以外の無断転載、無断転用などをすべて禁止します。

第三節 『代議政治の論理』

 護憲運動や普選運動が盛り上がる同時期に、アナーキストや直接行動主義者などから代議政治無用論も提唱される。中でも、大杉栄が、1915年4月、『早稲田文学』に寄稿した「個人主義者と政治運動」は社会的な話題になっている。彼は代議政治の無用を説き、直接行動こそ真にとるべき政治運動であると唱える。

 湛山は、こうした動向に対し、『東洋経済新報』1915年7月25日号に「代議政治の論理」を発表し、直接行動主義を厳しく批判する。

 しかも、湛山に危機感を抱かせたのには、大杉栄の理論的根拠それ自体にもある。大杉栄は、同4月号に、労働運動を個人主義とプラグマティズムとの関係から論じた「労働運動とプラグマティズム」および「労働運動と個人主義」も寄せている。そこで、労働運動におけるプラグマティズムと個人主義の必要性を訴えているわけだが、この理論は湛山思想の源流である。同じ出発点でありながら、展開・帰結がまるで違っている。湛山にして見れば、大杉栄の主張はプラグマティズムと個人主義の曲解・歪曲以外の何物でもない。

 加えて、こうした大杉栄の読解には近代の理念の持つ危うさがある。湛山と大杉栄の理論的対立は、市民の社会をどのように捉えるかという国際政治思想上の相異が反映されている。両者とも国際政治を国家の社会ではなく、市民の社会として認識している点は共通している。前者が市民の政府によって社会的紛争が解消されるとするのに対し、後者はそれを不可能と考える。

 湛山が功利主義者の系譜上にあるとすれば、大杉栄は、『ベルグソンとソレル』(1915)を書いているように、ジョルジュ・ソレルに立脚している。ソレルは、『暴力論』(1908)において、議会制民主主義を徹底的に糾弾する。国家権力に対抗して社会変革を実現するためには、暴力が不可欠であり、民衆を動員する手段として、「神話」の意義を主張している。ストライキやボイコット、サボタージュなどの直接行動を通じて資本主義を分断させ、生産手段をプロレタリアートが統制する。ジャコバン主義的な傾向のあるソレルはレーニンとベニト・ムッソリーニを賞賛し、戦闘的労働運動に参加している。

 代議制が実現したとしても、社会的紛争は続くという点では社会主義や共産主義と前提を共有しているが、その一方で、ブルジョア的民主主義を攻撃したとしてアクション・フランセーズといった右翼も讃える。ソレル自身はあくまでも自らをマルクス主義者として位置付けていたけれども、彼の思想はナチズムに重大な影響を与え、第二次世界大戦後になると、フランツ・ファノンやチェ・ゲバラなど植民地解放闘争にも援用される。政治的左右を問わず、社会変革には議会制民主主義はまったくの役立たずであり、直接行動だけがそれを可能にするという考えは、第一次世界大戦前後の時代の風潮だったと言える。自由・平等・友愛という近代の理念は民衆の政治参加の拡充をどのように進めるかを課題として突きつけている。功利主義もソレル主義もこれを踏まえているのであって、その意味で、アーノルド・シュワルツェネッガーとダニー・デヴィートほど似ても似つかないとしても、両者は「ツインズ」である。

 湛山は代議政治無用論が近代の理念の一つの産物だと察知している。「代議政治の論理」は短編ながら、J・S・ミルの意見を参考に、ソレル主義など近代の理念の一つの論理展開へ反論を加えている。

 湛山は、『代議政治の論理』において、代議政治について次のように述べている。

 何となれば、なるほど或る社会或る国家に生まるることは偶然であるが、この社会を改造することは人間の力にある。また帰化あるいは死によってこれから逃れることも自由である。しからば則ち私が石橋と呼ぶ家族の一員であり、日本と呼ぶ国の一員であることは偶然であったかも知れぬが、それが現在の如き石橋家、現在の如き日本国の一員であることは決して偶然ではない。自由意志の選択である。されば我々は仮令形式的に申し合わせはしないまでも、現在の社会に満足してその制約の下に生活して居る限り、それを社会契約だと言うに、大した差し支えはない。私はこの意味において、社会生活の論理はルソーのいわゆる社会契約なりと見るものである。

 しからばここで政治の意味はよほど明らかとなる。古から政治の形式は種々あった。しかしそのいずれの形式にせよ、論理的にいえば社会契約の結果である。即ち各個人がその形式を、その政治を善しとして承認せる処に成り立てるのである。例えば君主専制政治の如き、その表面から見ると全く人民には権利なしといえども、事実は人民が承認せるから存立し得る、換言すればいかなる政治の形式においても主権は国民全体にあるのである。(略)「代議士を通じて」と言うことこそ代議政治の特徴であるが、「最高の支配権」は、いかなる政体においても「全人民」にある。決して「何処かに存せねばならぬ」ではない。しからばかくの如き意味の政治から、代議なる形式はいかにして発生して来たか。これは既に私の前論から予想せらるる処の結論であるが、右に述べた「全人民の主権」を最も確実に、最も円滑に働かしむる手段として工夫せられたものにほかならない。あるいは代議政治を以て、君主もしくは貴族から、民衆が主権を奪うたものと言うけれども、私の見解を以てすればそうではない。元来主権は国民全体にあったのである、それをただ円滑に働かしむるものが代議政治である。

 (略)ここにおいて吾人は代表者代理者の必要を感ずる。而して代表者代理者は、ただに議会に送らるるのみならず、行政府その物がまた直接人民の代表者代理者となった。即ち責任内閣と呼ぶものがそれである。議会に多数を占めた政党が内閣を組織する、ここまで行かぬと代議政治は徹底しない。

 社会契約は、必ずしも、明示的ではない。人々が申し合わせをした覚えがないとしても、現在の社会に何はともあれ満足して生活している限り、そこには暗黙の社会契約が成立している。「社会生活の論理」が社会契約にほかならない。湛山はミルの主権と代議政治の関係についての見解を踏まえつつ、それをスコットランド啓蒙流の「市民的ヒューマニズム(Civic Humanism)」に逆に拡大する。どのような政体であっても、人民の積極的・消極的な支持なしには、存続しえないのであって、その意味で、「いかなる政治の形式においても主権は国民全体にある」。

 湛山は主権が国民にあると認めていても、必ずしも、天皇主権の大日本帝国憲法の枠組みをはみ出し、日本国憲法に見られる国民主権を唱えているわけではない。「主権(Sovereignty)」は最高の権力を指す政治哲学上の概念であり、国内政治においては、領土ならびに住民に対して適用できる法を制定する権利である。絶対王政の時代には、王権がそれを独占的に所有していたが、それが崩れるにつれ、主権の帰属が争点となる。君主もしくは、議会か、それとも国民の一般意思に主権があるのかと論戦が続く。第二次世界大戦後、日本でも国民主権と代議政治が制度として実現され、主権の所属をめぐる論争は終わる。主権は国民に帰属し、その意志は、選挙によって選出された代議員により構成される議会を通じて、発言・実施される。このテキストの論争のポイントは主権がどこにあるかではなく、人民の意志はいかにして反映されるべきかにある。代議政治無用論は主権の帰属をめぐって発せられているのではない。人民の意志は代議政治によっては表現できないとして、直接行動を提案する。湛山は、人民の意志の実現に関する議論を突き詰めていけば、直接的に記していなくとも、国民主権の明文化は導き出されると暗示している。社会契約に関する記述で暗示性が強調されているのと同様、湛山の主権についての意見もすかし絵のようになっている。

 湛山によれば、主権は、本来的に、「国民全体にあった」のであって、「それをただ円滑に働かしむるものが代議政治」である。民衆の意志がどのようにしたら最もよく代表されるかということを考察すべきであって、制度上の主権がどこに帰属しているかを必ずしも優先事項ではない。国民主権を明文化していたとしても、人民の意志が反映されるとは言い難い国家であっては、有名無実である。代議政治の論理をより効果的に用いることで、その主権が「円滑」に機能する方法を考える方が賢明である。議員を選挙して、その当選者によって議会を招集するだけでなく、代表者の代表による責任を持った行政府を構成しなければならない。選挙で代議士を選んだとしても、行政府が議会を自分たちの考案した政策を施行するための正当性を与える儀礼の場と見なしていては、代議政治は十分に働きえない。代議政治は議会に代議士を送ったことで完結するわけではない。責任内閣制によって代議政治の論理を徹底化しなければならない。

 湛山は、戦後発表された『湛山回想』において、責任内閣制が不徹底だった明治憲法が軍事的膨脹主義を促進したと次のように回顧している。

 しかし、もう一度考えなおしてみるに、そもそも、なにゆえに政党は、かような苛烈な政争をせざるを得なかったか、それには、もちろん政党者流の心の問題もあるが、一つは日本の旧憲法が、いわゆる大命の降下によって総理大臣を作る制度であったからである。英国でも、同じく国王の命によって首相が選ばれる。だが、ここでは必ず下院の多数党の首領に向かって、その命が下される不文律が行われている。しかるに日本では、右の憲法は閥族官僚に利用され、彼らの好む者を首相にあげる手段に供された。のみならず軍部は、陸、海軍大臣を現役大、中将に限る制度(一時は予備役にまで拡張されたこともあったが)を悪用し、ほしいままに内閣を倒し、あるいは作る横暴を働いた。ここにおいて政党は、いかに議会に多数を制しても、軍閥官僚の好意を得なければ、政権に近づくことが出来なかった。日本の政党が、民主主義の本道を踏みはずし、軍閥官僚に取り入り、政権以外の政争に、互にうき身をやつしたゆえんであった。日本国を滅ぼさんとしたものは、かくて、その禍根をさぐれば、明治憲法そのものにあったといえる。

 代議政治無用論は間接性を不純と斥け、全人民の意志を最も反映できるとして直接性を追及する。しかし、湛山はそうした直接性志向を批判する。代議政治の論理はその間接性にこそ意義があるからだ。

 湛山は、『代議政治の論理』において、直接民主制や無政府主義を次のように批判している。

 私は、今の代議政治無用論を以て、必ずしも直ちにルソーの脈を引けるものだとは言わぬ。けれどもこの二つの間にはよほど類似した思想が流れておる。即ち極端な個人主義(あるいはむしろ原始的なと言うた方が適当かも知れぬ)これである。彼らは、個人の意志は絶対にそのままで実現せられぬと、意志の自由は妨げられたものの如く解する。けれどもこれは全く人類の生活の事実を諒解せぬから起る誤謬であって、吾人の意志はいかなる場合においても決してそのままに実現し得るものではない。これは個人について見ても、各個人には種々なる欲望がある、その種々なる欲望を個人は決して、そのままことごとく実現するものではない、必ず彼之較量して、その上にいずれか一つまたはいくつかの欲望を実現することになる(この場合表面上捨てられた如く見ゆる欲望も、実は考慮の中に入れられて居ること申すまでもない)、これは個人が生活する場合に是非とも取らねばならぬ必至の方法である。社会においてもまたその通り、民衆各個の意志はあたかも個人心内における種々なる欲望に比すべきもので、社会が生存するためには是非その間に取捨選択を行わねばならぬ。

 (略)ルソーの言う如き非常に小さな国にしても、また従来の論者の理想とする如き無政府的社会にしても、決して各個人の意志をそのまま実現し得るものではない。やはりそこには取捨選択がある。しからば何故独り代議政治は奴隷政治で、小国または無政府的社会の直接民主政治は奴隷政治でないのであろう。もしその間に多少でも相違があるとすれば、代議士の選出は一年ないし数年に一度しか行われない、その間は、とにかく全権を彼らに托する、これに反して直接民主政治は時々刻々に必要に応じて各個人の意志を発表し、それによって政治を変化し得る、即ちここに時間の違いがある、おそらくこれだけであろう。けれどもこの時間の長短は、決して代議政治と直接民主政治とを区別する根本的のものではない、それはただ便宜から生じたことに過ぎぬ。厳密に言うならば、仮令一分間なりとも、自己の意志を他に依托すれば、依托である。而してかかる依托は、いかなる直接民主政治といえども、前に述べたが如く各個人の意志を総てそのまま実現し難き限り、避け得ない処である。

 ルソーは個々人の利害を超えていると「一般意志」を想定する。代議政治を支える参政権は普選に近づくほど、不特定多数になり、その参加者の関係は不透明になる。透明さを重視するルソーのようなロマン主義には是認できない。そこで、彼は相互の関係が無媒介に最も近い直接民主政を提唱する。ソレル主義のヴァリエーションである無政府主義者も直接行動主義者も、その点で、ルソーと同様のロマン主義者である。彼らは直接民主制が理想ではあるけれども、現実的には、人口の増加などの理由で、不可能であるから、その理想状態に最も近い体制をしぶしぶ了承しているだけである。

 一方、湛山はそうした理想状態を設定しない。人は、ある社会的・時代的背景の下で、個々の性向・事情に即して、さまざまなコミュニケーションをとりながら、生きている。多種多様な人々の「一般意志」がアプリオリに一致して存在していることはありえない。こうした状況においては、どのような政体をとったとしても、「各個人の意志を総てそのまま実現し難き」ことは明らかである。それを貫徹しようとすれば、独善性に陥らざるをえない。関係性・媒介性を障害と見なすのではなく、より発展的なコミュニケーションの契機と考えるべきであろう。それは問題ではなく、挑戦である。間接性・媒介性は社会における人間の条件であり、そうした宿命を見つめなければならない。実際、直接民主政にしても、何らかの「依託」は避けられない。偏った考えを打破し、自己中心的な見方を克服し、社会的な利益を追求するには、コミュニケーションが欠かせない。人民の意志はこの過程において顕在化し、意識化される。代議政治はコミュニケーションの政治、それを通じて「共」を志向する政治である。巷では「公共」というけれども、「公」と「共」は別の概念であり、その調停も民主主義の課題だと湛山は問い直している。代議政治無用論はコミュニケーションのないモノローグの政治にすぎない。代議政治は間接だから人民の意志を反映できないのではない。直接ではないからこそ、人民の意志を実現できる。

 現行の代議政治を根拠に、そのシステム全体を否定するのは乱暴な議論である。確かに、既存の代議政治が十分に機能しているとは言い難いし、また、それ自身も代議政治だけが政治システムだと独善性に陥る危険性もありうる。しかし、代議政治無用論は直接民主政や無政府主義に向かうのみならず、全体主義や軍国主義を含む官僚主義を正当化することにもつながる。市民社会ではさまざまな利害が対立し、妥協が図られることがしばしばである。国家官僚にしてみれば、議会や政党は調整の名の下に国家の「一般意志」を歪め、代議政治という間接民主主義など最善の政策を骨抜きにする邪魔者にすぎない。官僚主義は人々が間接性をまどろっこしく思うときに、「公」と「共」が無批判的に結びつけられて、「一般意志」の実現という表向きの顔をして忍び寄る。彼らから同質的な空間が強制され、それに異議を唱えると、「一般意志」に背くとして排除・迫害される。

 このように、湛山は、「代議政治の論理」において、ミルの思想を受け継ぎながらも、間接性の意義を強調することで、彼独自の代議政治論を提示している。彼は、通常、代議政治における消極的な意義、あるいは必要悪と見なされている間接性を積極的なものへと転倒する。民主主義と自由主義の調停やミルが危惧したようなみ危険性、さらに「公」と「共」の合意に対して間接性の検討にその方策が見出されよう。湛山は、間接性の意義を「討議の自由」というコミュニケーション論により吟味していくことで、今日では「熟議民主主義」と呼ばれる理論を展開することになる。