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長期連載
Democratic Vista
第二章 小日本主義
佐藤清文
Seibun Satow
2008年1月7日
Copy Right and Credit 佐藤清文著 石橋湛山
初出:独立系メディア E-wave Tokyo、2007年10月16日
本連載の著作者人格権及び著作権(財産権)は
すべて執筆者である佐藤清文氏にあります。
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第二章 小日本主義第二節 小日本主義の系譜
湛山の小日本主義は歴史中に孤独にあるわけではない。日本思想との関連で言えば、明治中期の自由民権運動に見られる小国思想や社会主義者の「小日本」論、内村鑑三の小国主義などの先行する議論を無視することはできない。
しかし、湛山の小日本主義は宗教性やイデオロギー性が見られず、功利主義的傾向が強く、経済的自由主義の系譜上に位置づけられるだろう。それは市場経済の拡大に伴い貿易量が増加し、国家間の相互依存が進み、戦争が抑制されるという思想である。貿易の増加は経済的利益にとどまらず、戦争を選択する合理的な根拠を希薄にさせる。国家を経済的に発展させようとするなら、貿易を拡大することが望ましい。ところが、戦争になれば、交戦国との貿易はとまってしまう。両者の間の貿易規模が大きければ大きいほど、交戦した際の損失は増大する。合理的に判断するなら、このようなリスクを犯すよりも、戦争を回避したほうが国家にとって有益である。これがアダム・スミスに始まり、マンチェスター学派へと至る古典的リベラリズムの論拠である。
東洋経済は、1910年から、日本における中国軽視の態度を戒める論調を打ち出し、翌年、辛亥革命が勃発すると、それを大陸の明治維新と捉え、不干渉と民族自決を呼びかけている。湛山が入社したのは1911年のことであり、以前からその方向性を持っていたことは確かであるけれども、小日本主義的傾向は彼のオリジナルと言うよりも、社の方針でもある。
それには天野為之からの影響がある。ジョン・スチュアート・ミルの経済思想を日本に紹介・応用に専心した天野は、アダム・スミスならびにそれを継承・発展させたマンチェスター学派の「小英国主義(Little Englandism)」を弟子の三浦銕太郎に伝えている。三浦銕太郎は、1912年、東洋経済第4代目主幹に就任し、それを「小日本主義」へと置き換え、論説などで主張していく。三浦銕太郎は、1913年4月15日号から6月15日号までの連載論説『大日本主義乎小日本主義乎』において、「大日本主義」をスン日を優先して商工業を後回しにする「大軍備主義」であると批判する。その上で、「小日本主義」を領土拡張・保護貿易に反対し、生活に関する経済を改善し、個人の自由を認めて意欲を起こさせ、国民福祉を増進する思想であり、日本はこの方向へ向かうべきだと提唱している。この三浦銕太郎が自分の後継者としていたのが湛山である。湛山は。1924年、彼の後を継いで第5代主幹に就任している。
マンチェスター学派とは別に、ジェレミー・ベンサムは、『永遠平和の構想』(1832)の中で、非常に大胆な主張を展開している。英仏関係から戦争の脅威をなくすために、戦争のもたらす市民生活への影響を強調し、秘密外交の禁止や植民地の放棄などを訴えている。これはアダム・スミスの経済的自由主義とイマヌエル・カントの平和論を受け継ぎ、両者を融合したと言える。
ベンサムの理論は現代の相互依存論のプロトタイプである。湛山の『大日本主義の幻想』も、次の引用が示している通り、マンチェスター学派だけでなく、このベンサムの基本線に沿っている。
我が国が大日本主義を棄つることは、何らの不利を我が国に醸さない。否ただに不利を醸さないのみならず、かえって大なる利益を、我に与うるものなるを断言する。朝鮮・台湾・樺太・満州というが如き、わずかばかりの土地を棄つることにより広大なる支那の全土を我が友とし、進んで東洋の全体、否、世界の弱小国全体を我が道徳的支持者とすることは、いかばかりの利益であるか計り知れない。
もしそのときにおいてなお、米国が横暴であり、あるいは英国が驕慢であって、東洋の諸民族ないしは世界の弱小国民を虐ぐるが如きことあらば、我が国は宜しくその虐げらるる者の盟主となって、英米を 膺懲(ようちょう)すべし。
この場合においては、区々たる平常の軍備の如きは問題ではない。戦法の極意は人の和にある。驕慢なる一、二の国が、いかに大なる軍備を擁するとも、自由解放の世界的盟主として、背後に東洋ないし全世界の心からの支持を有する我が国は、断じてその戦いに破るることはない。
もし我が国にして、今後戦争をする機会があるとすれば、その戦争はまさにかくの如きものでなければならぬ。しかも我が国にしてこの覚悟で、一切の小欲を棄てて進むならば、おそらくはこの戦争に至らずして、驕慢なる国は亡ぶであろう。今回の太平洋会議は、実に我が国が、この大政策を試むべき、第一の舞台である。
この相互依存論は、国境が低くなり、グローバル化が進んだ現代社会において、さらに重要度を増し、進展している。ロバート・コヘイン=ジョセフ・ナイは、『権力と相互依存』(1977)において、このリベラリズムを発展させ、「複合的相互依存」を展開する。
彼らは、人・金・物・情報が国境を超える状態の進展が各国政府の決定にいかに影響を与えるかを解き明かしている。その後、ナイはこの複合的相互依存を「ソフト・パワー」論へと昇華させている。これは、すべてを軍事力に翻訳して捉える伝統的な一元主義に対抗する多元主義の最も説得力ある理論とされている。こういった系譜を踏まえるならば、大日本主義を大国主義、小日本主義を小国主義と区別するではなく、前者を一元主義的思想、後者を多元主義的思想と理解するほうが適切であろう。以下では、この観点に立って、湛山の小日本主義を再構成することを試みる。ソフト・パワー論の先駆としての小日本主義は依然として未開拓である。
湛山の小日本主義を考える際に、思想形成をたどり、それを整理・解説するだけでなく、こうした系譜と関連付けて論じるべきである。そうするとき、湛山を過去に閉じこめることなく、その現代的意義が明らかになる。
つづく