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長期連載
Democratic Vista
第二章 小日本主義
佐藤清文
Seibun Satow
2008年2月5日
Copy Right and Credit 佐藤清文著 石橋湛山
初出:独立系メディア E-wave Tokyo、2007年10月16日
本連載の著作者人格権及び著作権(財産権)は
すべて執筆者である佐藤清文氏にあります。
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第二章 小日本主義第四節 『大日本主義の幻想』の論点
『大日本主義の幻想』は国際政治や安全保障をめぐる議論であり、国内の政治諸問題に関する言及は抑えられている。しかし、小日本主義は、何も、国際政治に限定された思想ではない。湛山は文芸批評家出身のジャーナリストであり、『百年戦争の予想』のような例外的な作品を除けば、そのテキストは具体的な出来事や事件、国内外の情勢、政策などについての批判・提言である。『大日本主義の幻想』は、一切を安全保障に翻訳して政策を組み立てる一元主義の典型である大日本主義をまさにその点から批判を加える小日本主義的認識に基づくヴィジョンの具体例である。
小日本主義は、理念的には、市民の政府を理想的な政体と認める多元主義の一種である。湛山は、世界史の大きな流れにおいて、日本はいかにあるべきかという将来的な国家像について語っている。ここで見られる原理に立脚して、彼はすべての政治的・経済的・社会的・文化的思考を展開している。これを機軸に、湛山の他のテキストを参照しつつ、総合的・体系的な思想へとまとめあげることができよう。
湛山の中心的提言は、海外植民地を全面的に放棄し、他国への干渉も停止することである。しかし、これは必ずしも湛山独自の見解ではない。
湛山以前の三浦銕太郎など先代の主幹時代から、『新報』は満州放棄を社の方針として展開している。その根拠は、増田弘の『石橋湛山』によると、四点にまとめられる。第一に、いかに混乱していたとしても、満州は中国の一部であり、それを日本が支配する正当性がない。第二に、満州への投資は経済的発展を促進させる理由がなく、財政的負担を増すだけである。第三に、国防上の理由から満州を掌握すると、中国分割の口実を欧米列強に与えることとなり、むしろ、国益を損ねる。第四に、大陸発展政策は日英同盟の精神に反しており、外交上の整合性を欠く。以上の四点であるが、その際の満州放棄は、国防戦を長春の北の「鉄嶺線」から「旅順および朝鮮国境」まで後退させるという意味である。
湛山はこれを踏まえながら、さらに推し進め、海外植民地の完全放棄と周辺国への不干渉を主張する。
湛山は開催植民地を経済上と軍事上の二つの利益から検討している。
まず、経済的点であるが、日本の経済的自立に、海外植民地はつながらないと湛山は指摘する。当時の主要輸出品目は生糸や綿織物などである。中でも、生糸によって日本は最も外貨を獲得している。その頃は化学繊維産業が未発達であったため、軽くて丈夫な絹は広範囲で使われている。絹は今日のケブラー繊維に匹敵し、創成期にあった航空産業で重宝され、気球やパラシュートなども絹製である。最大の貿易相手国はアメリカであり、その輸出入の貿易額14億3800万円は、朝鮮・台湾・関東州を合わせた移出入額9億円余りを上回る。それどころか、この三地域の海外との貿易は赤字で、せっかくお蚕様で獲得した外貨を吐き出してしまっている。樺太に至っては、領有以来、まったく経済的利益をもたらしていない。また、日本の最重要の輸入品は綿織物の原材料の綿花であるが、これはアメリカとインドから輸入している。対米貿易なくして、日本は存立し得ないのであって、経済的自立など遠い話である。
関東州は、1905年、ポーツマス条約に基づいて、日本がロシアから租借権を取得した遼東半島先端部と南満州鉄道附属地であり、現在の旅順・大連地域にあたる。
貿易総額が少ないだけでなく、これらの地域の資源も微々たる量であり、経営するにはコストがかかりすぎる。
そもそも、湛山に言わせれば、イギリスのインド経営と比べて、日本の植民地支配は非効率的である。「悪くいうなら、資本と技術と企業能力とを持って行って、先方の労働を搾取する。もし海外領土を有することに、大いなる経済的利益があるとするなら、その利益の来る所以は、ただここにある」。駐インド欧米人が20万人程度であるのに対し、日本の入植者の総計は約80万人にも及ぶ。日本は、明らかに、入植させすぎであり、植民地経営の何たるかを理解しているかさえ疑わしい。
湛山は、人口問題の解決策として、入植を奨励しているとしたら、大きな間違いだと糾弾する。明治初期、移民は、外貨獲得のため、ハワイなどのプランテーションへの出稼ぎ労働として始まったが、江戸時代に準備された「元年移民」は別にして、国策として進められている。ご丁寧にも身体測定や事前教育まで実施している。移民に積極的だった地域は西日本に偏在しているけれども、それは明治維新を担った藩が多かったからである。増えた人口を賄えるだけの食糧生産が思うように伸びなかったため、次第に、口減らしにも使われるようになる。『大日本主義の幻想』発表の頃でも、日本は米を自給できず、タイやベトナムから輸入している。獲得した海外植民地は食糧増産につながっていないし、満州は稲作に不向きである。送り出した移民はアメリカ大陸では底辺の労働者になるほかなく、本国の親族への送金なども期待薄で、外貨獲得に貢献できない。また、定着して単純労働以外の仕事に従事するようになると、職を奪うとか価値観を変えるなどと警戒されてしまう。海外植民地においても、入植者の置かれた状況はほぼ同じである。1906年、サンフランシスコで日本人移民排斥運動が起きて以来、日米政府の間で移民問題は政治的懸念材料となっている。こうした政治課題を解決するのに、海外植民地は何の助けにもならない。湛山は、人口問題は産業政策によって解決すべきであって、労働者を送る前に、外貨を獲得できる商品をさらに輸出するのが先決だと訴えている。
シベリアならびに大陸への干渉は経済的には不利益以外の何物でもない。人々の反感を招き、その地での日本の経済的発展を妨げてしまう。進出の根拠となっている満州の石炭や鉄などの資源にしたところで、アメリカやイギリスからの輸入量と比べて、わずかである。湛山は、シベリア出兵に関して、当初から批判し、『過激派政府を承認せよ』などにおいてロシアの革命政権を承認すべきだと提言している。シベリアから生まれる経済的利益は未知数であるが、満州の前例を考慮するならば、手を引くのが賢明である。
「さて朝鮮・台湾・樺太を領有し、関東州を租借し、支那・シベリアに干渉することが、経済的自立に欠くべからざる要件だなどという説が、全く取るに足らざるは、以上に述べた如くである。我が国対する、これらの土地の経済的関係は、量において、質において、むしろ米国や、英国に対する経済関係以下である。これらの土地を抑えて置くために、えらい利益を得ておる如く考うるは、事実を明白に見ぬために起こった幻想に過ぎない」。以上から、大日本主義は経済的には失敗である。
次に、国防上の点であるが、戦争は本土をめぐってではなく、海外植民地の領有をめぐって起るのであり、その所有は紛争の種でしかない。「論者は、これらの土地を我が領土とし、もしくは我が勢力範囲として置くことが、国防上必要だというが、実はこれらの土地をかくして置き、もしくはかくせんとすればこそ、国防の必要が起るのである。それらは軍備を必要とする原因であって、軍備の必要から起った結果ではない」。
仮にそこを他国が支配しようとしても、アイルランド問題やインドの独立闘争が示している通り、民族自決を求めて、解放運動が活発化し、膨大な損害を被ることになるだろう。事実、朝鮮や台湾でも抗日運動が生じている。「これらの運動は、決して警察や、軍隊の干渉圧迫で抑えつけられるものではない」。湛山は、今は所有しているかもしれないけれども、民族解放運動が激化して二進も三進も行かなくなり、イギリスがインドを、アメリカがフィリピンをいずれ手放さざるを得ないだろうと予想している。武力でもって他民族を支配することはもはやできる情勢にはなく、民族自決の尊重は歴史の流れである。
その上で、湛山は、白人の真似などやめて、民族自決運動に理解を示し、友好的関係を築く方が国防上有益だと次のように述べている。吾輩は思う、台湾にせよ、朝鮮にせよ、支那にせよ、早く日本が自由解放の政策に出づるならば、それらの国民は決して日本から離るるものではない。彼らは必ず仰いで、日本を盟主とし、政治的に、経済的に、永く同一国民に等しき親密を続くるであろう。支那人・台湾人・朝鮮人の感情は、まさに然りである。彼らは、ただ日本人が、白人と一所になり、白人の真似をし、彼らを圧迫し、食い物にせんとしつつあることに憤慨しておるのである。彼らは、日本人がどうかこの態度を改め、同胞として、友として、彼らを遇せんことを望んでおる。しからば彼らは喜んで、日本の命を奉ずるものである。「汝らのうち大ならんとねがう者は、汝らに使わるる者となるべし、また汝らのうち頭たらんとねがう者は、汝らの僕となるべし:とは、まさに今日、日本が、四隣の異民族異国民に対して取るべき態度でなければならぬ。しからずしてもし我が国が、いつまでも従来の態度を固執せんか四隣の諸民族諸国民の心を全く喪うも、そう遠いことでないかも知れぬ。その時になって後悔するとも及ばない。賢明なる策はただ、何らかの形で速やかに朝鮮・台湾を解放し、支那・露国に対して平和主義を取るにある、而して彼らの道徳的後援を得るにある。かくて初めて、我が国の経済は東洋の原料と市場を十二分に利用し得べく、かくて初めて我が国の国防は泰山の安きを得るであろう。大日本主義に価値ありとするも、即ちまた、結論はここに落つるのである。国防をめぐっても、湛山は経済的な認識に立脚している。戦争を経済的観点から捉えたのは小日本主義が初めてではない。現存する史上最古の体系的兵法書『孫子』にすでに見られる。戦国武将などの間ではこの本は共通認識であり、今でも最も世界に影響を与えている中国古典の一つである。軍事だけでなく、マーケティングや企業経営にも応用されている。『孫子』は、戦争がいかに国家経済を疲弊させるかを強調している。戦争は大量の物資を消耗して、戦費の重圧は国庫を圧迫し、貴重な人員を失わせ、国土を荒廃させてしまい、国家経済に悪影響を及ぼす。損得を天秤に賭けた場合、戦争は損である。『孫子』は今日まで読み継がれているのは、その合理性である。
『孫子』と比べて、カール・フォン・クラウゼヴィッツの『戦争論』は戦争を外交の一手段と考えており、一元主義的な思考が主流だったヨーロッパの国際政治をよく反映している。また、プラグマティックで、実用性を重視し、基礎論が抜け落ちる中国古典と違い、戦争の定義から始まる『戦争論』はヘーゲルからの影響が色濃く、記述も弁証法的であり、議論もいささか抽象的・観念論的である。『孫子』と比較すると、応用範囲は軍事や安全保障、戦史、政治などに限られる。
『孫子』は、戦争を合理的観点からのみ分析・把握している。正しい戦争を説くことはしない。そういったイデオロギーは安易な開戦をもたらしてしまうからである。だからこそ、『孫子』は冷静な、より正確には冷徹な思考に立脚する。合理的に考えれば、戦争などできる限りすべきではないのは明らかである以上、『孫子』はもし戦争が起きてしまったらどうするかという予防策を講じているのであって、その意味で、戦争批判の書だと言える。
近代化以降、日本は、『孫子』に代わって、クラウゼヴィッツ流の考え方をとり入れている。ヘーゲル主義的思考は国防の面にも及んでいる。しかし、それにより一元主義的なイデオロギーを自明視し、多元的な認識を持ち、合理的判断を吟味することが日本ではおろそかになってしまっている。皮肉なことに、平和主義者石橋湛山は、『孫子』の批判的な継承者である。それは戦時下での彼の闘争にも、後述する通り、生かされている。
海外植民地を全面放棄し、他国への干渉をやめる。その上で、民族自決を尊重して、さまざまな点で国に負担をかけている軍備を捨て、代わりに、産業を振興し、世界的な自由貿易体制の確立を各国に呼びかける。『大日本主義の幻想』における湛山の目指すべき日本の針路はこういうものである。かくの如く、たとい種々の制限はあるにしても、資本さえあるならば、これを外国の生産業に投じ、間接にそれを経営する道は、決して乏しくないのである。而して投資さえすれば、それに応じただけの生産利益は受けられる。必ずしも外国へ自ら出かけて行って、直接事業を営まねばならぬことはない。要は我にその資本ありや否やである。而してもしその資本がないならば、いかに世界が経済的に自由であっても、またいかに広大なる領土を我が有しても、我は、そこに事業を起こせない。ほとんど何の役にも立たぬのである。しからば則ち我が領土は、いずれにしてもまずその資本を豊富にすることが急務である。資本は牡丹餅で、土地は重箱だ。入れる牡丹餅なくて、重箱をだけを集むるのは愚であろう。牡丹餅さえ沢山出来れば、重箱は、隣家から、喜んで貸してくれよう。而してその資本を豊富にするの道は、ただ平和主義に依り、国民の全力を学問技術の研究と産業の進歩に注ぐにある。兵営の代わりに学校を建て、軍艦の代わりに工場を設くるにある。陸海軍経費約八億円、仮にその半分を年々平和的事業に投ずるとせよ。日本の産業は、幾年ならずして、全くその面目を一変するであろう。湛山の主張は相互依存論の限界を十分に考慮した上で、発せられている。相互依存は植民地が政治的に一定の独立を達成していないと、機能しえない。宗主国による一方的な相互依存の持ちかけは民族自決を刺激するだけで、むしろ、反発を招く。植民地を放棄し、民族自決を尊重しなければならない。また、相互依存が進んだ状況で、もし戦争になれば高い代償をお互いに払うことになる。しかし、一元主義的思考に立脚し、軍事力を増強していくならば、どんなに相互依存が進んでいたとしても、囚人のジレンマに陥り、戦争が避けられなくなる。けれども、軍事力を放棄していれば、こうした予言の自己実現は起きない。さらに、国際競争力にさらされるため、国内の既得権益を脅かすことになり、その受益者は死守しようと反発してくる。それには、国際競争力のある産業を見極め、振興し、資本を獲得するようにしなければならない。湛山の提案は、このように相互依存論の可能性の条件を踏まえている。
三浦の満州放棄論では、相互依存論の問題点に答えられていない。湛山が総合的・体系的な理解に基づき、それを発展させたのは、必然的な帰結であろう。
相互依存は三交、すなわち交通・交易・交流によって促進される。小日本主義はこの三交の活発化を促し、経済上・安全保障上の利益につなげようとする。実際には、相互依存論はそれ自身によって戦争を抑止する根拠はない。なるほど、第一次世界大戦後、相互依存が進みながら、第二次世界大戦に突入している。しかし、当時、金本位制度の参加・離脱のメカニズムのせいもあって、経済は国際問題として考えられておらず、あくまで国内問題と見なされている。相互依存が何たるかを各国共に理解していない。二度目の大戦の経験を生かし、金融を中心に国際的協調政策が国際社会で常識化する。事実上だけでなく、認識上でも相互依存を考慮することで、それによってもたらされる国際関係の構造上の変化を結果として戦争を抑えるのにつながる。と言うよりも、相互依存論は事実があれば、自動的に機能するのではなく、共通認識として浸透して効果的に働く。湛山の提言は、1941年調印の大西洋憲章と類似した点も多く、第二次世界大戦後の体制を予言しているとも言える。湛山の小日本主義は、国際政治における新たな制度構築のための整備がいかなるものであるかを語っている。
つづく