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9月の連休の中日9月19日に青山所長(東京都市大学教授)、池田副所長の視察に同行して秩父を訪れた。 秩父市は埼玉県の最西端に位置し、埼玉県外では東京都、山梨県、長野県、群馬県に接している。秩父を訪れるのは事実上初めてだが、青山氏、池田氏の秩父に関する下記のURLからはじまる一連のコラムを拝読して以来、一度訪れたいと思っていた。 http://eritokyo.jp/independent/aoyama-col15288.htm 9時に練馬を出発し20時頃に東京に戻る間に、秩父の絹織物である「秩父銘仙」の染め織り体験、展示・即売等を行っている「秩父銘仙館」、「秩父事件」を扱った映画「草の乱」の撮影に使われたセットの一部が移築されている道の駅「龍勢会館」、秩父事件で農民が決起した「椋神社」、秩父事件に関する資料を展示した「石間交流学習館」を訪れた。 その後、秩父湖を過ぎ、夏に多重遭難が発生した現場である奥秩父の現場に近い、豆焼川にかかる2つの橋と黒岩尾根登山道の入口付近を視察した。 秩父銘仙館は、時間的なものもあってか訪れている人は少なかったが、秩父銘仙を見学者が体験できるコーナーもあった。建物も歴史的なものがそのまま保存、移築されており地域の貴重な歴史・文化を伝えるものであった。 秩父銘仙 染色工程の展示 撮影:鷹取敦 2010/9/19 秩父事件の詳細は上記の青山氏のコラムに詳しいが、秩父事件が起きた社会的背景と現在の日本の状況には共通するものがあると感じた。当時、秩父の主力輸出産業であった養蚕業は、ヨーロッパの恐慌の影響を受けて大きなダメージを受けた。 困窮した農民は借金の返済猶予、今でいう繰り延べ返済、税負担等の軽減を求めたが受けいれられず武装蜂起した。当時と現代では様々な違いがあるとはいえ、世界的な経済状況の変化が地域の産業、社会、人々の生活に破滅的なダメージを与える状況には通じるものがある。 現在の日本社会と大きく違うと感じたのは、(「石間交流学習館」の方が話されていたことであるが)貧困に陥った人達を助けるため、地域のお金に困っていない人達が立ち上がり、自ら多くのものを失うことを顧みずリーダーとして問題に立ち上がったことである。 この秩父事件を取り上げた「草の乱」のセットの一部が移築されているのが道の駅 龍勢会館である。写真はそのセットをそのまま活用した店舗である。セットなので写真に写っていない側は半分しか作られていないものの、当時の街並みがそこに突如として現れた感じがした。 移築された「草の乱」のセットと青山、池田 撮影:鷹取敦 2010/9/19 その後に訪れた椋神社は、農民が決起したまさにその場所である。「石間交流学習館」に展示されていたまさに決起のその時を再現した画にも描かれており、その当時の農民の覚悟と苦しさを思い起こさせる場所であった。 椋神社 撮影:鷹取敦 2010/9/19 石間(いさま)交流学習館は、旧石間小学校の校舎をそのまま活用したものであり、秩父事件の資料は二階に展示されている。当時の資料や文物だけでなく、大小の絵画で当時の状況を描いたものが多く展示され、またわかりやすい10分間のビデオも上映されており、当時の人間の体温まで伝わってくるようであった。 石間交流学習館 撮影:鷹取敦 2010/9/19 奥秩父の登山道入り口では、もろく崩れた岩が道を半分ふさいでいた。周辺の山は傾斜がとても急峻でとても厳しい環境である。ヘリポートを併設した駐車場のある施設や、近くの駐車場のある飲食店は、いずれも斜面側が谷底まで続くコンクリートで支えられていることからも、地盤がいかにもろいかが想起される。 景観としては非常に美しいが、一歩その自然に踏み入れることには大きな危険が伴い、万全の準備と覚悟、慎重さと謙虚さが必要なのだと思わされた。 ヘリポートを支えるコンクリート構造物 撮影:鷹取敦 2010/9/19 日帰りではあったが、人間社会と自然の双方について学ぶべきことの多い秋の一日であった。 国道140号線、豆焼橋上の鷹取(左)、池田(右) 撮影:青山貞一 2010.9.19 |