放射線と甲状腺がんに関する 国際ワークショップ 参加記 鷹取 敦 掲載月日:2014年2月25日
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チェルノブイリ事故(1986年)では、事故後、特に4年目以降に小児甲状腺がんの急増が見られた。なかでも事故時の年齢が0〜4歳、5〜9歳、10〜14歳の順番に甲状腺がんが顕著に増加、すなわち幼い年齢ほど大きな増加がみられたことから、東京電力福島第一原発事故後についても、小児甲状腺がんのリスクに関する不安が高まっている。 図 ベラルーシでチェルノブイリ事故による甲状腺がんと診断された症例数 出典:http://www.rist.or.jp/atomica/data/pict/09/09020312/05.gif 2014年2月21日(金)〜23日(日)の3日間、環境省、福島県立医科大学、経済協力開発機構 原子力機関(OECD/NEA)の主催で、「放射線と甲状腺がんに関する国際ワークショップ」が品川プリンスホテルにおいて開催された。 放射線と甲状腺がんに関する国際ワークショップ公式サイト http://www.nsra.or.jp/safe/crpph2014/index-j.html このワークショップでは、下記の6分野についての講演および議論が行われたが、このうち2日目に参加した。 (1)放射線と甲状腺がん (2)福島県被災住民の被ばく線量推計 (3)甲状腺超音波検査と甲状腺がん (4)甲状腺がんのリスク評価 (5)原発事故後の放射線誘発による小児甲状腺がんに関する知見 (6)ステークホルダーの関与 2日目は「福島県被災住民の被ばく線量推計」、「甲状腺超音波検査と甲状腺がん」、「甲状腺がんのリスク評価」の分野において発表と討論があった。 ●セッション2:福島県被災住民の被ばく線量推計筆者はセッション2の1日目の発表者の最後の方に会場に入った。発表内容は以下の通りである。・WHO甲状腺被ばく線量推計 Emilie van Deventer (世界保健機関(WHO)) ・福島県民健康管理調査の「基本調査」における外部被ばく線量推計 石川 徹夫(福島県立医科大学) ・放射線医学総合研究所による甲状腺の内部被ばく線量推計 栗原 治(放射線医学総合研究所) ・甲状腺の内部被ばく線量評価 床次 眞司(弘前大学) 本セッションのテーマである「被ばく線量の推計」が必要となるのは、実際の被ばくの量を直接測ることは出来ないからである。 例えば、外部被ばくについては、個人線量計(積算線量計)を持ち歩いて生活すれば、積算線量計の実測値から外部被ばくをおおむね正確に推計できる。 呼吸や飲食による内部被ばくについては、ホールボディカウンタ(WBC)による測定を複数回行い、摂取シナリオ(一度に大量に摂取してその後摂取が無い場合、食べ物などによって継続的に同程度摂取が続いている場合などの想定)を用いて推計したり、事故直後の空気中の放射線核種別の濃度や、その後の食べ物の中の核種別の濃度と食べた量などから推計することができる。 甲状腺がんに関しては、甲状腺に集中して貯まりやすい放射線ヨウ素(I−131等)が主因となることから、事故時に呼吸していた空気中の放射性ヨウ素の濃度と屋外にいた時間や、甲状腺に貯まったヨウ素をのどの外側から放射性核種が分かる方法で測定したデータなどがあれば、より正確に被ばく線量を推計できる。チェルノブイリ事故の場合には、汚染された牛乳の摂取による甲状腺被ばくが大きかったので食べ物についても把握が必要である。 実際に、全ての住民が呼吸していた空気中の放射性ヨウ素の濃度を測定することは事実上困難なことから、のどの部分に測定器を当て、甲状腺に貯まった放射性ヨウ素が発するγ線を測定することにより、甲状腺中の放射性ヨウ素の量を計算し、吸入した日にさかのぼって被ばく量を測定するのが現実的な推計方法である。ただし放射性ヨウ素(I−131)は半減期が8日と短く、事故後1ヶ月で7%、2ヶ月で0.6%まで減衰し、後になるほど検出が難しくなる。そのため、事故後早いうちに個々人の甲状腺被ばくを測定する必要がある。 福島第一原発事故後の甲状腺がんに関する最も大きな問題の1つが、この甲状腺被ばくの実測がほとんどまともに行われなかったことである。 栗原氏(放射線医学総合研究所)および床次氏(弘前大学)の発表スライドによると、直接甲状腺に測定器をあてて放射性ヨウ素を判別して測定したデータは、沿岸45名、浪江町17名の合計62名について2011年4月12〜16日に床次氏らが測定したデータしかない。 他には、福島県内に滞在した173名について事故後1ヶ月以内に長崎大学の松田尚樹教授らがWBCにより内部被ばくとして測定したデータ(核種判別)と、核種を判別しない簡易な方法(スクリーニング法)によって1080名の児童について国が実施したデータがあるだけである。ただしスクリーニング調査の際、バックグラウンドの測定で衣服の上から線量計を当てているため、バックグラウンドを大きく差し引きすぎているのでは、という指摘がある。 大震災の影響で混乱していたとはいえ、初動で的確な測定が行われなかったことにより、小児の個々人の甲状腺被ばくが把握されていないことになり、その後の混乱と不安を招いている側面は大きいと思われる。 セッション2は、このように測定データが極めて少ない中、いわば「状況証拠」を集めて、当時の外部被ばくや、甲状腺被ばくを推計しようという試みの報告である。WHO、福島県立医科大学、放射線医学総合研究所、弘前大学からそれぞれ報告された。 WHOは浪江町、飯舘村、葛尾村、南相馬市、楢葉町、いわき市、福島県内のそれ以外の市町村、隣接県、国内のそれ以外の都道府県、日本以外等、地域別に、大人、10歳の子供、1歳の幼児を想定して、実効線量、甲状腺被ばく等価線量等を、呼吸経由、外部被ばく、飲食経由のそれぞれの寄与別、時期別に推計した。 福島県立医科大学は、約200万人の県民を対象として、事故後の行動記録のアンケート調査を行い、モニタリングポストのデータ等を元に、日々の被ばく量の計算を積み重ねる等により外部被ばくによる実効線量を推計した。 放射線医学総合研究所は、1080名の甲状腺被ばくスクリーニングデータ、約3000名のホールボディカウンタによる内部被ばくのデータ、WSPEEDIによる放射性物質の拡散状況を推計した結果等を用いて、甲状腺被ばくの等価線量を推計した。推計結果より子供の甲状腺被ばくが高かった地域は、双葉町、飯舘村、いわき市で、甲状腺等価線量※が30mSvという結果だった(上位10%を推計)。(いわき市はこの推計を行った時点ではWBCによる実測値があることを把握していなかったため、人を測定した値を用いていない。) ※「甲状腺等価線量」は甲状腺の被ばくを1kgあたりに換算した被ばく量であり、全身の被ばく量である実効線量とは異なる。甲状腺の放射線への感受性を考慮した換算係数が0.04(組織加重係数)であり、実効線量に換算する場合には 30mSv × 0.04 = 1.2mSv となる。ただし甲状腺被ばくは通常、実効線量としてではなく甲状腺等価線量で評価する。弘前大学の床次氏らは、自ら測定した甲状腺被ばくのデータ等を用い、大気中の濃度の逆算、放射性セシウムとの比を用いる等により浪江町の住民の甲状腺等価線量を推計した。推計結果のうち最大は17歳の子供の18mSv(甲状腺等価線量)である。 いずれの推計も、限られたデータを用いて、一定の仮定をおいて推計したものであり、不確実性も大きく、実際の被ばく量の推計としての課題は残る。また、討論でも指摘されたように、集団の代表値(分布や幅で示したとしても)の推計よりも、実際の個人ひとりひとりの被ばくを推計し、当人に示すことが重要であり、その点についても現状の推計では不十分という課題は残る。被ばく問題においては、集団の被ばく状況が分かれば十分なのではなく、個々人への情報提供を含む丁寧な対応が極めて重要である。 それぞれの推計結果から、集団としての推計結果(分布)は、チェルノブイリ事故後のそれよりも、大幅に低いであろうということが示された。会場からは、むしろチェルノブイリ事故が過大推計だったのではという意見があったが、海外の研究者は、これは不完全ではあるが事故後なんども見直しが重ねられてきており、大きな変更はないだろうと回答された。 日本人は海草を沢山食べるので(安定ヨウ素が既に蓄積されているため)、放射性ヨウ素を蓄積しにくい、と言われていることに関しては、床次氏が実際に測定した値が計算から推計される値より大幅に低かったことからその可能性が示唆されると述べ、会場からも事故前から甲状腺摂取率がアメリカ人30%に対して日本人は10数%しかないことが分かっており、アメリカ人並の場合には疾患を疑うとの情報が提供された。一方、これは個人差があり、日本人でもアメリカ人より甲状腺中の安定ヨウ素が少ない場合もあると指摘があった。 ●セッション3:甲状腺超音波検査と甲状腺がんセッション3は、甲状腺被ばくの結果として、甲状腺にどのような影響が現れているか、その調査結果(途中経過)についての報告である。1つ目は、福島県内で超音波を用いて行われている検査結果、2つ目は対照地域(甲状腺被ばくが想定されない地域)における甲状腺超音波検査が行われている山梨県からの報告(3県調査ではなく過去の統計等)、3つ目は事故とは関係ない海外の事例として韓国の最近の小児甲状腺がんの動向についての報告である。 ・福島県での甲状腺超音波検査 鈴木 眞一(福島県立医科大学) ・山梨県での甲状腺超音波検査と潜伏甲状腺がんのレビュー 志村 浩己(福島県立医科大学) ・韓国での小児甲状腺がん:最近の調査結果 Jae Hoon Chung(成均館大学医学部、韓国) 福島県内の甲状腺超音波検査の途中経過については、既に何度も報道されている。報道されるたびに甲状腺がんが増えているかのような印象を受けるが、本年度3月末まで2次検査の対象者が増えるため、分母と分子の両方が増えている、ということになる。 調査対象者が膨大な数に上るため、1回目の検査がひととおり終わるまでに時間がかかる。平成23年10〜11月に、計画的避難区域のうち一部について検査を実施、その後、平成26年3月までかかって全県調査が行われている。対象は震災時に0歳から18歳だった全県民である。 被ばくによる甲状腺がんの増加を把握するには、事故前の甲状腺がんの数と比較しなければならないが、そもそも全県民を対象とした甲状腺の検査は事故前に行われていないため、比較するデータが存在しない。 そのため、事故直後の検査結果、甲状腺がんの潜伏期間内のデータを「ベースライン」(増加前の数)とみたてて、今後2回目以降の数と比較しようというのが、もともとの考え方である。 ただし、今回の発表でも会場から質問があったように、チェルノブイリ事故後3年間に甲状腺がんの数が少なかったのは、そもそも検査が行われていなかったからではないか、との指摘もあるため、甲状腺被ばくが想定されない他の3県(長崎県1369名、山梨県1366名、青森県1630名)で大規模な調査が行われた。 福島県と3県の調査には大きく2つの点において違いがある。1つは福島県の検査は事故時に0〜18歳だった県民全員が対象であるが、3県は3〜18歳を対象としている点である。甲状腺がんは年齢、性別による違いが大きいので、この違いは結果に影響を及ぼす。この点も会場からの質問で指摘された。 もう1つの違いは、福島県では2次検査に進み、甲状腺がんであるかどうかの診断が行われているが、3県ではまだそこまで行われてない点である。そのため、福島県では甲状腺がんが報告されているが、3県からはまだ報告がないという状況にある。会場からの質問に対する回答では、3県でも1次検査しっぱなしということは考えられないので、今後2次検査が行われるだろう、ということだった。 「福島県での甲状腺超音波検査」の発表で、福島県内の75名の甲状腺がんの性別、年齢別の分布と、チェルノブイリ事故後の同じく性別、年齢別の分布が示された。福島県の結果をみると、男性より女性が多く、1〜5歳は0名で、年齢が高くなるほど人数が多くなる。 一方、チェルノブイリ事故の結果は1歳未満が最も多く、4歳まで低下し、7歳まで再び増加して9歳まで低下しているという分布であり、年齢が低いほど人数が多い。 3県調査の結果をみると3〜18歳のち、年齢が高い方がA判定、B判定の数が多く、女性が多い。福島の現時点の傾向としては、チェルノブイリ事故ではなく、3県調査と同じ傾向にある。 この点についても会場から指摘があったが、チェルノブイリ事故のデータは、事故直後のものではなく、発表が1994年なので、事故数年後〜1994年までのいずれかの時点で行われたものであり、福島の現在のデータが、事故の影響を示しているということではない。あくまでも事故直後現状を示しているもの、ということである。そういう意味では、年齢構成、性別構成からみて、ベースライン調査の結果とみられる。 なお、3県調査では、福島県調査よりも、A2判定の割合が多いというスライドが発表中にあった。これは単純にみると福島県の方がA2判定が少ないように見えるが、会場から対象としている年齢が違うとの指摘があった。3県では0〜2歳が含まれず、被ばくの影響がなければ、この年齢はそもそも甲状腺の所見は少ないので、この年齢を含む福島県でA2判定が少ないのは当然である。 韓国からの発表では、検査方法によって所見の見つかる頻度が大きく異なること、環境要因より遺伝要因が韓国では大きいと見られていること(原発事故等の影響がなければという意味で)、甲状腺がん(乳頭がん)が、近年増え続けていること、米国でも増えていること、小さいもので発見されるものが増えているだけでなく、大きめのものも程度は少ないものの増加傾向にあることから検査機器の向上だけが原因とは考えにくいこと、年齢でいえば10代後半、男子より女子でもともと多く、さらに増加していること等が報告された。 ●セッション4: 甲状腺がんのリスク評価・福島県における超音波検査と甲状腺がんPeter Jacob(ヘルムホルツ・ゼントラム・ミュンヘン研究センター、ドイツ) ・疫学研究における甲状腺被ばく線量推定 Andre Bouville(国立がん研究所、米国) ・チェルノブイリ原発事故での胎児の甲状腺がんのリスク Maureen Hatch(国立がん研究所、米国) 最初の発表は、スクリーニング効果(これまで検査をしていないため見つからなかった甲状腺の所見やがんが見つかることによる増加効果)による増加分を推計したもののようであるが、まだベースライン検査の段階であるので、現時点でスクリーニング効果の程度を推計するのは時期尚早ではないかと思われた。確か会場からもそのような指摘があったと記憶している。 2つ目の発表は、甲状腺被ばく線量をどのように推計するかについての原則(個人ベースの測定、個人毎の行動のインタビュー調査、環境測定データ、現実的な線量推計、線量推計結果の検証、不確かさの推定)について報告したものであり、セッション2と関連する内容であった。線量推計の事例として、チェルノブイリ事故後の推計について示された。 この報告の結論として、被ばく者の知る権利について述べられた。セッション2で個人個人の線量の推計が出来ていないことを課題として述べたが、ここで指摘されたことはまさにこの点である。 3つ目の報告は胎児が胎内で被ばくすることによる甲状腺がんのリスクについての報告である(遺伝的影響ではなく胎児自身が被ばくすることによる影響)。放射性ヨウ素(I−131)が胎盤を通過すること、胎児の甲状腺が小さく、細胞分裂が早いことが放射線感受性に影響している可能性があること、チェルノブイリ事故を対象とした研究について報告があった。 2日目の3つのセッションに参加して分かったのは、先に指摘したとおり、事故直後の一番重要な時期、避難後ただちに子供の甲状腺被ばくの実測が系統的に実施されなかったことである。 結果としてチェルノブイリ事故より大幅にリスクが小さいようだ、と言われても、個々人の甲状腺被ばくが正確に実測されていなければ、自分のデータとして受け取ることは難しい。 必要な検査を行わなかった国に対する不信はぬぐえず、安定ヨウ素剤を飲ませるべきだったのではないかとの疑念は払拭できない。自分の子供を被ばくさせてしまったと親として責任を感じている人も少なくない。困難な自主避難、母子避難を選択する人を少なからず出したり、子供を持つ親の不安の大きな原因の1つになっているのではないだろうか。 事故を想定せず、事故直後の適切な避難が行われない地域があったこと、その後の必要な検査を行う備えもなく、検査が可能な期間内に検査が行われなかったことに対する国の責任が問われる。 現在、自治体が策定中の原子力防災計画にも、事故による避難後の早期の甲状腺被ばく測定、初期検診を明記し、備えることが重要である。 |