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低線量被曝にどう向かいあうか


鷹取敦

インタビュアー:青山貞一

掲載月日:2014年3月2日
 独立系メディア E−wave
無断転載禁


●低線量被ばく問題についての認識

青山:
 東京電力福島第一原発事故後に懸念されている低線量被ばくの問題について、鷹取さんの基本的な認識を教えてください。

鷹取:
 現在の日本、とくに福島県等の放射性物質による汚染が顕著な地域が対峙している「低線量被ばく」の問題とは、単に低線量の被ばくが健康にどの程度のリスクを与えるか、という単純な問題ではありません。

 生活する環境の中に少ないとはいえ、LNT仮説(被ばくリスクには閾値は無く、被ばく量に対して線形なリスクがあるとする放射線防護の考え方)に立って考えると、事故前と比較して、放射性物質による潜在的なリスクは増加していると言えます。

 一方で、被ばくの直接の影響ではありませんが、原発事故後、放射性物質が生活環境の中に存在する(正確に言えば増えている)ことによる、間接的で大きな影響が既に顕在化しています。たとえば緊急時の避難や長期の仮設住宅における避難生活による健康状態の悪化、いわゆる災害関連死が増えています。

 これは放射性物質による汚染に関連するさまざまな要因によるストレスや仮設住宅による生活環境の悪化がもたらしたもの考えられます。仮設住宅でなくても、若い世代にとっては仕事等を含む長期の生活の見通し、環境の変化に弱い高齢世代にとっては生活環境の変化による健康影響、長年くらしてきた自然環境、人間関係、地域社会の喪失等、さまざまな被害が顕在化しています。

 このような状況においては、低線量被ばくによる直接のリスクだけを考えたのでは、他の側面による被害が解決できないばかりでなく、却って大きくしてしまうおそれがあります。

 このような状況にどのように対処すればいいかは、個人、家族、地域毎の事情や価値観等によっても大きく異なります。国や自治体等がトップダウンで決められることではありません。

 また、このような環境では、それぞれの立場や考えの違いによる利害の衝突が想定されますが、このような問題は単純な科学の問題ではなく、民主的に対応しなければ解決できません。具体的には、政策決定における透明性、利害関係者=住民参加、決定過程の正確な記録等が重要になります。この点はベラルーシにおいて行われた実際の取り組みの経験からも既に明らかとなっており、ICRPの勧告(Publication 111)にも明記されています。

 この状況下で、低線量被ばくのリスクに関わるどの説が正しいか議論しても、誰もが納得する結論には至ることは期待できませんし(過去数十年続けられて未だに続いていることなので)、実際の被害者が直面している生活や人生の問題の解決にはつながりません。

 大切なのは、被災者を集団として見るのではなく、個人個人の考え、生活、人生が尊重されなければならないということです。単に被ばくの多寡だけの問題ではなく、人間の尊厳の問題だからです。

●低線量被ばくについて陥りやすい点

青山:
 被ばく問題を取り上げる市民団体やジャーナリスト、マスメディアさらに専門家であっても陥りやすい問題点があるとすれば、それは何でしょうか。

鷹取:
 一部のNPO、市民団体が陥りやすい点として、低線量被ばくのリスクにのみ着目して、それ以外の広範な間接的な被害に目を向けない、という傾向が見られます。結果として原発事故の被害の一部だけを誇張して取り上げる結果、事故の過小評価となり、事故の過小評価となるばかりか、実際の被災者の被害を軽減することにもつながらないケースが見受けられます。

●甲状腺がん調査の問題

青山:
 国や福島県が行っている甲状腺がん調査についてどのような課題があるでしょうか。

鷹取:
 甲状腺がん調査の一番大きな問題は、事故直後の個人個人の(特に子どもの)甲状腺被ばくの測定が不十分だったという点です。現在、さまざまな主体により被ばく量の推計が試みられていますが、個人個人の甲状腺被ばくの推計まで至っていないことが課題となっています。そのため、子どもの甲状腺被ばくリスクへの漠然とした不安を大きくしてしまっている面があると思います。

 現在、1次調査で報告されている甲状腺がんの数が増えていることから、今回の事故による被ばくによって甲状腺がんが増えていると解釈している人や報道が少なくありません。しかし、被ばくに起因する甲状腺がんが増えているかどうかは、事故が無かった時と比較しなければ分かりません。残念ながら事故前の比較しうるデータがないので、現時点では増えているとも増えていないとも評価はできない段階だと思います。

 1次調査のデータの年齢分布をみても、チェルノブイリ事故後の年齢分布と大きく異なり、現時点の甲状腺がんが被ばくにより増加したものと結論づけることは難しいと思います。現時点で分かっているのは、事故の影響が顕在化する前の状況と考えた方が合理的だと思います。

 それだけでは不十分、つまり本当に顕在化する前の状態を表しているかどうか確認するため青森県、山梨県、長崎県の3県で(対象年齢が少し違いますが)調査が行われています。これら3県調査は2次調査未実施で甲状腺がんの数までは把握できていない段階です。現在、急いで結論を出せる段階ではなく、今後の推移を見守るしかないと思います。

●海外から外国人講師を呼ぶ講演会について

青山:
 市民グループ等が海外から講師を呼んで、福島第一原発事故に関連する講演会を開くことがありますが、これについてはどう思われますか。

鷹取:
 海外から講師を招いた講演の中には参考になるものもありますが、話を聞いてみると日本の現状について、十分にデータを把握していない例が見受けられます。部分的に被害を強調するようなデータだけ聞かされ、全体像を把握していない講師から話を聞いたのでは、特に福島に関していえば、現状に即した話は聞けないことになります。また、そもそも講師として適切かどうか、自分達が聞きたい話をしてくれる講師を選んでいるように見受けられる場合もあります。

●チェルノブイリ事故後の汚染実態と健康影響

青山:
 福島第一原発事故後に関連して、チェルノブイリ事故の例、特に影響の大きかったベラルーシやウクライナの例が比較されることがたびたびありますが、これらの地域の汚染実態、健康影響について、どのような特徴がありますか。

鷹取:
 客観的にみて、黒鉛炉のふたが飛び、1週間にわたり火災がつづいたチェルノブイリ原発による汚染の程度、範囲は福島第一原発の事故と比較して1桁、2桁大きいことが分かっています(何を比較するかにより比は違います)。核種の割合も日本と異なり、放射性ストロンチウムやプルトニウムの占める割合が、福島の事故より桁違いに大きいことが分かっています。またセシウムも半減期が長いCs-137の割合が福島と比べて大きいです。

 チェルノブイリと福島で共通している点は、チェルノブイリ事故の後も、間接的な影響(避難や生活環境の悪化、変化)による健康被害があった、と言う点です。さらにチェルノブイリの場合には、ソビエト連邦崩壊の時期が、チェルノブイリ事故の時期と重なり(原発事故がソ連崩壊の引き金になったとも言われています)、経済の悪化による生活環境の悪化の影響もあります。

 チェルノブイリ事故の影響で、健康でない人ばかりというデータが示されることがありますが、「健康でない」というデータには、風邪や虫歯もカウントされているようなものもあるので、データの定義を確認して比較する必要があります。高齢化によってがんが増えている場合もあるので、年齢補正をしてから比較する必要があるデータもあります。

 放射能の直接の影響は、原発事故の被害のすべてではないので、直接的な影響も間接的な影響も含めて、これらの多くの部分が原発事故の影響、被害と言えたとしても、放射能の直接の影響かどうかは単純ではありません。

 ベラルーシ、ウクライナ等では、日本と比べて、事故後の内部被ばくが大きく、それが長期間続いていることが大きな問題の1つとなっています。子どもに多くの甲状腺がんをもたらした放射性ヨウ素も、事故直後の呼吸による吸入もさることながら、汚染された牛乳による影響が大きいことが分かっています。ベラルーシやウクライナだけでなく、遠く北欧等でも、汚染が顕著だった地域では、今でも汚染されやすい食べ物、家畜、野生動物等の測定を継続しているのが現状です。

 当然、日本も食品の測定を続けていかなければならなりませんが、食品の汚染の程度はチェルノブイリと比較するとずっと少ないことが、国や自治体、事業者のデータだけでなく、多くの自主的な食品汚染の調査、WBC(ホールボディカウンタ)の調査、尿の調査等から分かっています。これは汚染の大きな地域で作付け禁止となっていることや、土質、農業の方法の違い、農業における汚染低減のためのノウハウの蓄積、そして食品の流通が発達していること等によるものと思われます。

●短期的曝露と長期的曝露

青山:
 短期的な被ばくと長期的な被ばくの影響についてはどのようなものがありますか。

鷹取:
 確定的影響が現れない確率的影響の範囲(数千mSv未満のレベル)の被ばくとしては、一般に同じ線量の線量であれば、短期(瞬時)の被ばくの方が、長期に少しずつ被ばくして合計として同じになるよりも影響が大きいと言われています。

 ただし低線量被ばくの方が、線量あたりのリスクは大きいという説を挙げる人もいます(この場合でもリスクの絶対的な大きさは低線量の方が小さくなります)。この場合の低線量被ばくのショウジョウバエによる実験の線量率は、低線量といっても線量率は福島事故による線量率より遙かに大きいレベルです。「低線量被ばく」のデータをみるときには、具体的にどの程度の線量、線量率か確認する必要があります。

 事故前の自然起源の放射線による被ばく(バックグラウンド)として、内部被ばく(呼吸、食べ物)によるα線、β線、γ線被ばく、外部被ばく(地面、宇宙線)の合計で、日本では平均として2.1mSv/年の被ばくがあります。内部被ばく(経口=飲食経由)が0.99mSv/年、内部被ばく(吸入=呼吸経由)が0.48mSv/年、外部被ばくが0.63mSv/年程度です。もちろん地域や食べ物等によりばらつきがあります。

 内部被ばくとしては魚等に含まれる、放射性ポロニウム(Po-210)によるα線被ばくが0.80mSv/年と大きい割合を占めます。これは魚を多く食べる日本人の特徴です。野菜等に含まれる放射性カリウム(K-40)によるβ線、γ線被ばく(0.18mSv/年)もよく知られています。

 K-40はγ線を出すため、食品検査の際にも確認でき、ホールボディカウンタで全身の被ばくを測定する際も、正しく測れているかどうかの目安となります。K-40は平均的な日本人男性で4,000ベクレル(全身)含まれています。

 これらは自然起源のものですが、自然起源のものはリスクがゼロで、人工の核種だけリスクがあるというわけではありません。たとえば地面から気体として出てくるラドンの健康影響は、疫学的にも確認されています。ラドンは日本では少ないので注目されていませんが、欧米では室内の測定キットがあったり、地下室や室内の換気が奨励されたりしています。

 年間2.1mSv/年の自然起源による被ばくによる(疫学的に確認できるかどうはは別としてLNTによる計算上は存在する)「リスク」に、どれくらいの事故起源のリスクが追加されるか、というのが放射線の直接のリスクだけをみた場合の現在の問題です。自然起源の放射線リスクは地域によって、また個人によってばらつきがあります。年間1mSv/年の追加被ばくという、よく知られている公衆の被ばく限度は、このばらつきの範囲内におさまりますよ、というレベルという意味でもあります。

 事故前はこのような考え方でよくても、事故後は放射性物質によるリスクという単純な問題だけと向き合っていればいいわけではありません。事故後、たとえば何年かは単年度で1mSv以内にならなくても、長期的にこれを下回ることをめざし、かつ生活への間接的な影響も含めて、生活を個人個人の手に取り戻していくことを考えていかないと、被害を最小化できないどころか、かえって生活を破壊し、健康や命を失ってしまうことすらありえます。

 その際に重要なのは、透明性、住民参加等の原則であり、どのような選択をした場合でも、それに対する適切な支援、補償が行われ、それらの違いによる人間関係の分断が起こらないように丁寧な対応がなされることが必要です。事故前から日本政府が不得意とする分野であり、事故後にいたってもICRP Pub.111を国内の制度や政策に取り入れていないことからも、これまで国の行ってきたこと、行おうとしていることには大きな問題があります。

●瞬時に100mSv曝露と積算線量100mSv曝露の違い

青山:
 同じ被ばく量でも、瞬時の短期的な被ばくと、少しずつ積算した結果の100mSvではどう違いますか。

鷹取:
 一瞬で100mSv被ばくするのと、ある程度じわじわ時間をかけて100mSv被ばくするのでは、一瞬の方が大きいと一般には言われています。ただし瞬時でもじわじわでも変わらないという説や、時間をかけた場合にはきわめて小さいという説もあります。ICRPは時間をかけた場合には半分になる、という立場を取っています。

 LNT仮説では、100mSv未満でもリスクが線量に比例して存在する、との立場を取っていますが、疫学的に100mSv未満のリスクは把握が難しいという説や、20mSv程度でもリスクが確認されている、という説があります。

 低線量(一般には100mSv程度以下?)で、リスクの把握が難しいのは、把握に必要な疫学調査の対象人数が膨大になり現実的に調べるのが難しいことと、自然起源の影響や他のリスクによる影響に埋もれて見つけにくくなるからということです。なお、20mSvでリスクが見つかったという説の場合でも、大きなリスクが隠れていた、という話ではありません。

●過大に健康影響を主張することについて

青山:
 原発事故後、ことさら過大に健康影響を主張している人達がいます。またそれをめぐって係争がおきていますが、これについてどうお考えになりますか。

鷹取:
 原発事故が、現実に大きな被害を及ぼしていることは事実だと思います。これは今のところ顕在化しているのは、災害関連死に代表されるような、原発事故に起因する間接的な影響によるものが大きいです。放射線の直接のリスクは、発がんリスクに代表されるものです。これは潜伏期間もあり、長期にわたって慎重に追加被ばくを減らし、健康状況等の把握を行うことで、対処していかなければならない問題だと思います。

 現実に生じている被害は、日本社会、福島および周辺地域に大きなインパクトを与え、多くの人が生活基盤、将来の人生の見通しを奪われています。このような大きな被害から受ける印象を、放射線の直接のリスクに置き換えてしまい、過剰に影響を警告することになってしまう人がいるのではないかと思われるます。つまり、現実の被害に目が行かず、事故前からの原発事故というものに対する思い込みに影響されているのではないか、ということです。

 現に存在する多くの被害者の生活の回復を考えると、健康リスクを過大に警告することが返って被害者に大きな影響を及ぼしてしまうことを考えなければならないと思います。

●ではどうすればよいか

青山:
 それではこの低線量被ばく問題は、どうすればいいのでしょうか。

鷹取:
 まず現実に起きていること、被災者の生活への影響に目を向ける必要があります。そして他人が「避難させるべき」というのではなくて、被災者自身の被ばくリスクに対する考え、自己決定を尊重することを優先すべきです。

 そのために必要なのは、被災地以外の人も国・自治体等の行政も、放射線リスクに対する考え、対象方法に対する考えを押しつけるのではなく、被災者をobject(対象)として扱うのではなく、subject(主体)として尊重することです。

 そういうことを、チェルノブイリ事故後の現実から学んだのがICRP Pub.111ですが、日本政府はこれを日本の法律、政策に反映する努力をしてきませんでした。これが現在の混乱、被害の根源の1つにあると思います。ICRP Pub.111には、どのレベル以下だと安全だとかどのレベル以上だと危険といいうことが詳しく書かれているわけではありません。

 数値としては、最低限の目安が示されていますが(日本政府はそれを誤った意味でつまみぐいをしたことがICRPの勧告が誤解される原因となっています)、それ以外は現在日本が直面している、長期的に放射性物質が社会に存在する時に、個人を尊重して生活や地域を回復するにはどうしたらいいかということが書かれています。ここで言う個人の尊重には避難も当然含まれますが、同時に避難しないことを選んだ人も尊重されるべきということになります。

 ICRPは原発推進だという先入観を持つと、本当に現実の社会に必要なものが見えなくなります。個々の事実や述べられていることなどを、是々非々で判断し、謙虚に学んでいきたいと思います。

青山:非常に難しく,センシティブな質問にお答えいただきありがとうございました。