「秦 頼りにならぬ陸海空軍の統帥部長に比べて、相対的に、東条がマシに見えたのでしょう。能吏だから、こまめに上奏するし、御下問があればごまかさずに答える。しかしながら、戦争末期には東条もまったくアテにならず、天皇は、アメリカの短波放送で戦況を聞いていたんですよ」
「保阪 昭和天皇は、終戦後さまざまな事実が明らかになるうち、臣下は私を騙していたのではないか、と気づいたのではないでしょうか」
「半藤 私は怒りというより、天皇の哀しみを感じました。戦争中から騙されていると判っていたと思いますよ。だから最後は『聖断』で自分で終戦を決断したんです」
再録した内容は、「文藝春秋」9月号に掲載された座談会「徹底検証・昭和天皇『靖国メモ』未公開部分の核心」での発言です。何れも昭和史に関し、優れた識見を有する半藤一利、秦郁彦、保阪正康の3氏が踏み込んだ発言をしています。
僕は深い感銘を受けました。「文藝春秋」という媒体も、更には件の3氏も、世間一般の認識からすれば、所謂「左寄り」ではありません。小泉純一郎的○×二元論の単純思考読者ならば寧ろ、「右寄り」と目し兼ねぬ存在だったでありましょう。が、そうした媒体や人物が、小泉純一郎的空気が横溢するニッポンを危惧しているのです。
1ヶ月前の7月20日付「日本経済新聞」は、「A級戦犯靖国合祀 天皇が不快感 参拝中止『それが私の心だ』」との大見出しの下、昭和天皇が語った言葉をその都度、「手近な用紙に書きとめた」宮内庁長官だった富田朝彦氏の手帳と日記帳からのスクープ記事を第一面に掲載しました。
畏兄と僕が勝手に仰ぐ立花隆氏も自身のサイト「メディア ソシオ−ポリティクス」で、以下の感懐を記しています。
「こういうくだりを読んでいくと、いまA級戦犯の肩を持つ人々への怒りがこみあげてくる。天皇と国民にウソばかりならべたてて、あの無謀な戦争をはじめさせ、戦争の真実の推移をすべて押し隠し、ついには一億玉砕の本土決戦にまで持ち込もうとした、あのA戦犯たちへの天皇の怒りと哀しみが、あの富田メモの『それが私の心だ』によくあらわれていると思う。
それにしても、自分の一の臣下であるはずの時の首相にして陸軍大臣でもあり、参謀総長でもあった東条(英機)の戦況報告が信用できず、敵国アメリカの短波放送で真実の戦況を知っていたとは、天皇も哀れである。真実を知れば知るほど怒って当然である」。
星霜を経て、父親たる昭和天皇と同じ思いを抱く平成の今上天皇と皇后が御臨場の全国戦没者追悼式が挙行された8月15日早朝、内閣総理大臣小泉純一郎は靖国神社に公用車で赴き、本殿に参拝しました。
その行為を「意地を貫き通した」などと「賞賛」する国民が過半を占めている、と報じられています。“親の心、子知らず”と慨嘆する向きは今や少数者なのです。
「文藝春秋」「讀賣新聞」といった従来は「右寄り」と目されていた媒体が、斯くも夜郎自大なニッポンの空気を危惧しているにも拘らず、「いつ行っても批判されるから、今日がいいだろうと思った」と論理どころか理屈にもなり得ぬ“開き直り”を、善男善女が「支持」する。最早、“奇っ怪ニッポン”以外の何物でもありますまい。
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