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2012年9月28日は朝7時に4人で東京を出発、福島市内の宮代仮設で松木町教会の方が毎月開いているお茶会のお手伝いと仮設の方たちとの交流をしました。宮代仮設は浪江町から避難している方々の仮設で、自治会長さんが、向こう5年は帰れないと思うが、体を動かして健康に留意して皆で帰るまで頑張りましょうと言っておられました。 老人健康施設外観 撮影:志立章子 数日前に高血圧から脳出血を起こしICUで治療中の方がおられ、それからでしょうか、毎日血圧計を持って各戸を回っているそうです。狭い敷地にびっしりとプレハブが建ち並んでいる環境では、適度な運動もままならないだろうと思いました。 老人健康施設内部 撮影:志立章子 夜は二本松の福島県男女共生センターの宿泊施設に一泊、二本松の農家を支援して野菜をネットや各地で販売したり、仮設住宅に野菜を届ける支援をしているさんという女性からいろいろお話をうかがいました。福島の現状はまだまだ先が見えない暗いものですが、なんとかお手伝いできるように活動しようと思います。 翌29日は南相馬市のCTVC(カトリック東京ボランティアセンター)の原町ベースを訪問して、立ち入り禁止が4月に解除された小高町を案内していただきました。立ち入り禁止が解除されたとはいえ、津波の被害を受けた家々はそのまま、瓦礫も積み上がったままです。1階がすっかり流された家の真ん中に大きな仏壇だけが置かれた家を見たときは言葉も出ませんでした。 四人のボランティア 撮影:志立章子 インフラも水道が全く回復していない状態なので、家を片付けに行っても拭き掃除もできなません。立派な家が建ち並んだ町に全く人がいない。原町駅の自転車置き場には3月11日以来ずっと数十台の自転車が置き去られたままでした。持ち主は避難できたのでしょうか。原発の被害を受けたこの地域の特殊性をあらためて痛感しました。 午後はアポイントをとってあった、鹿島町の応急仮設住宅(148戸)を訪問して、7人の方とお話をしました。今回同行した方が、福島の仮設でまだまだ支援物資などが届いていないところがあるという情報を得て、何回か支援をしているが、現場の方のニーズに果たしてマッチしているのか、疑問に思って、実際に声を聞かせていただきたいということで約束して伺いました。 本当に必要なものは?という問いに対して、開口一番「原発をなくして欲しい、日本全国どこに行っても原発がある限り安心できない」という言葉が出てきました。高齢の女性の言葉で、この方はやっと夫婦二人の生活ができると、新しい家を建てて一年、避難を余儀なくされ、透析を必要としていたご主人は治療を拒否、避難中に亡くなったそうです。 設に入居したのは、ほとんどの方が昨年の12月。支給された布団は「おくりびとのふとんだっぺ」というような、薄いマットにつるつるのカバー、かけ布団も軽くて薄いたよりない(謀有名量販店の布団セット)もので、冬の寒さはとても防げなかったと言っておられました。今年の冬も状況は変わっていないので、防寒が心配です。 最近になって古着などが送られてきたが、「こんなことを言ってはいけないけど、馬鹿にしてるんでないか、というような物があって、申し訳ないけど社協と相談して先日ダンボール5箱捨てた。」と。 原発が爆発するまでは、ごく普通に、広い家に住み、井戸水を飲み、畑で作物を作って生活していた方々に、せめて新しいものを送る心遣いをしたいです。今は水を買わなくてはいけないのがくやしい。 地震被害者住宅 撮影:志立章子 野菜は買いたくても無い。足りない物といわれても仮設の部屋は狭くて置くところもない。欲しいといえば、冬はズボンの下にはくので、暖かいハイソックスがあればいいと思う。それと、日用の消耗品水、洗剤など、また、この仮設はペット可なのでドッグフードなどもあればありがたい。などなど。 いろいろお話を伺って、とても書ききれませんが、今後できるだけの支援を何とかしていきたいと思っています。今回はたった一箇所の訪問でしたが、リストには20箇所以上の仮設が挙げられています。 10km圏内検問所 撮影:志立章子 多くの仮設に支援が行き渡るようにするのは至難です。行政や議員の無策ぶりが、仮設の方たちのお話から察することができます。「東電も役所も議員も外に向かってはいろいろ言うが、仮設の人間の話は全然聞いてくれない、所詮は他人事なんだべさ」と。 布団については、大きな金額が必要で個人や数人のグループではなかなか対応できないので、なんとか大きな団体に働きかけていきたいですが、喫緊には、日用品など、少しずつでも支援して行きます。 荒れ放題の被害者の住宅 撮影:志立章子 小高駅 撮影志立章子 伺った仮設は小高町から避難している方が多く、上述したように、帰っても除染はされていないし、家の中はかびやねずみの被害で手がつけられない状態。イノシシが入り込んでいる家もあったり、服や布団も使い物にならない。 自転車置場 撮影:志立章子 それに加えて、4月に立ち入りができるようになってから、警察は住民だけを入れるようにしなかったため、泥棒が横行して、話をしてくれた方の一人の家はほとんどめぼしい物は持っていかれてしまっている。畑に置かれているトラクターなども被害にあっているということです。 もっと間近に被災者の声を聞きながら気持ちの通った支援が必要だとつくずく思います。このボランティアは被災者の声に耳を傾けてお話しを聞くことが大きな役割となっています。どんなお話しもしっかりと受け止められる人でなければできないことです。参加者の年齢制限もありますが、今後も地道に活動を続けていこうとみんながんばっています。 |