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海外で航空荷物が未着となったら
〜ハリファックスからボストンで起こったこと〜

青山 貞一
はじめに

 2003年9月9日午後、米国、カナダからの調査旅行から帰国しました。

 しかし、カナダのノバスコシア州ハリファックスから成田jへの帰路、トランジットのボストン到着後、私の荷物がローガン空港で未着となっていることが分かりました。

 次の到着便を6時間待ちました。しかし、ボストンのローガン空港に私の荷物は届きませんでした。

 以下は最終的に荷物が10日深夜自宅に到着するまでの一部始終のお話しで。万一似たようなことに遭遇した方の参考にしてもらいたいと考え本コラムを書きました。

旅行経路

 まず米国、カナダから帰路を以下に示します。

 ハリファックス(カナダ)→ボストン(米国)→アトランタ(米国)→成田(東京)です。

 利用した航空会社はいずれも米国のデルタ航空(Delta Airlines)です。ただし、ハリファックスからボストンは、デルタコネクションと言ってデルタ航空が契約している関連航空会社の35人乗り小型ジェット機を使っていました。

 その航空会社名は、Atlantic Coast Airlinesです。北米東海岸を専門とするコミュータ会社です。

35人乗り小型ジェット

 荷物事故は、写真にある35人乗りの超小型ジェット機がボストンのローガン空港に到着した時に起こりました。私の荷物だけがないのです(ガーン)!

 超小型のジェットです。トラブルなど起きようもないと思われますが、後でわかったのですが、私の荷物だけがありませんでした。しかも、この荷物の中には旅行2週間分の国際学会、現地視察関連の書類、メモ等の重要書類がすべて入っています。

 時間的な経過ですが、ハリファックスからボストンはその小型ジェット機で1時間20分、ボストンで約15時間のトランジット、その後ボストンからアトランタはデルタ航空中型ジェット機で約3時間、アトランタで1時間のトランジットとなります。

 さらにアトランタから成田はMD11という大型ジェット機で14時間かかります。アトランタ・成田は日本、米国の直行便として最も長い距離だそうです。日本からアトランタはニューヨークやボストンより遙かに遠距離だからです。

 事故は最初のハリファックスからボストンの間でおきました。最終的に荷物が到着しても事故の理由、たとえば、単なる積み残しであるのか、違う行き先に行ってしまったのかなどには分かっておりません。

 ハリファックス空港

事実経過(1)

 2003年9月7日帰路、ハリファックスからボストンに向かった35人乗りの小型ジェット機がボストンのローガン空港に到着しました。どういうわけか、青山の荷物だけが到着していません。他の3名の大型スーツケースはあるのに、最も小型の私のキャリングケースだけがないのです。あとでわかりましたが、35人乗りの小型ジェットの他の乗客の荷物はすべて届いており、ないのは私のものだけでした。しかも、どうみても積み残しではない。

 荷物には国際学会や現地調査のあらゆる資料を入れており、まさに「真っ青」です。一方、8月24日から9月7日までに撮影した2000枚に及ぶデジタルカメラの画像は、手荷物で機内に持ち込んでいるノートパソコン(東芝リブレット)に毎日単位で移しておりセーフでした。書類系はすべて荷物に入れていました。

 ここから悪夢がはじまりました。

事実経過(2)

 ボストンのローガン空港の国際線カスタムで私の荷物が未到着な事が分かりました。その時点、すなわちカスタムから空港ロビーに出る前に、すなわちBaggage Claimの担当者にその旨を伝えました。先に手続きを終え、荷物も無事届いていた同僚の池田さんによると、小型飛行機なので大きな荷物から優先的に機内に入れ、おそらく最後に小さな青山の荷物が残ったとのではないか、ということです。そうだとすれば、当然、次の便で荷物はローガン空港に到着するはずです。実際、池田さんに担当者はそう言っていたそうです。とはいえ、ハリファックスからボストンへのデルタ同日の次の便は何と6時間後に1便あるだけ。

 幸か不幸か、ボストン空港ではアトランタ行きの便まで約15時間ほどのトランジット時間がありました。担当官が言われるようにもし、次の便で来れば、当然アトランタ行きの便に乗る時点で荷物が得られます。そこで何はともあれ、ハリファックスから来る次の便の到着を6時間待つことにしました。

事実経過(3)

 ここでハリファックスからボストンに到着し、国際便を降りたあとについて具体的に述べると、次のようになります。

 まず、未着が分かった時点でカスタムの担当官から教えられた到着ロビーの一角にあるデルタ航空のBaggage Claim Serviceの事務所に行きました。そこで事情を説明しました。ボストンローガン空港では、この事務所が国内線到着便の荷物受け取りロビーの一角にありました。下図のターミナルCです。

ボストンローガン空港全体図 Baggage Claim ServiceはCターミナル

 事務所ではデルタ航空の荷物事故の担当者が、私から事情を聞き「Baggage Information」と言う調書を作成し私に渡しました。この調書にはトラブルの内容に対応して2種類の分類があります。ひとつは荷物の到着遅れ事故、もうひとつは荷物の破損事故です。私の場合は前者です。

 この「調書」が自宅に荷物が届くまで、最も重要な書類かつ証拠となりました。

 この調書には、Contact Informationとして通話料無料の電話番号があります。そして表紙に私の事故荷物のID番号があります。このIDをもとに、逐次、センターに電話をすることになりました。

 ところが、この電話の仕方が初めてのものにはすこぶるわかりにくいのです。私の場合のIDは、BOSDH と言う5つの文字とその後に5桁の数字がついています。しかし、無料電話では、ダイアル後、初期の段階でそれら10字をプッシュホンで入れなければなりません。それによりはじめて航空会社の担当者が出てくる仕組みとなっています。おそらくはじめて遭遇した人はこの手順ひとつでまずうろたえるはずです。

事実経過(4)

 ボストンローガン空港で6時間待ち、次の便が到着しました。途中、バスと地下鉄でボストン市街のガバメントセンターに行きましたが、気が気ではありません。早々に空港にもどりました。ちなみにボストンの場合、市街地と空港は片道わずか1ドルしかかかりません。市街地に最も近い国際空港のはずです。

 結局、デルタのBaggage Claim Service に@6時間後、A8時間後、B10時間後と3度行きました。しかし、私の荷物は未到着であることが分かりました。絶望感がただよいます。単に私の荷物がハリファックス空港に置き去りにされただけなら、本来、担当官が言うように、次の便で必ず来るからです。この事務所は早朝6:00から深夜2:00までの20時間あいていますが、結局深夜閉鎖まぎわでも未着だったのです。もちろん、この間、何度か上記の無料通話の電話でデルタのBaggage Information センターに電話しましたが、結局、ダメ。

 さらに何度も足を運んだデルタ航空のBaggage Claim Serviceの担当者の態度があまりにもひどいので、ある時相当厳しく文句を言いました。万一、なくなった場合の損害賠償をどうするのか、それ以前に、見つかった場合の荷物の送り先をデルタ側は私に聞いていないが、一体どうすればよいのかなどについて。

 あとで分かったのですが、この文句を言ったことは極めて重要なことでした。すなわち、航空会社側が把握している搭乗者の個人情報は、あくまでも個人情報は英文名と年齢、往復の日時、便名だけです。荷物所有者の自宅住所などは把握していません。もちろん、次の便で荷物が到着し、宿泊先ホテルに持ってくるか、こちらからこの事務所に取りに行く場合には、自宅の住所など不要でしょう。しかし、数日後、数週間後などに発見さた場合、その荷物の送り先が分からないことになります。これはきわめて初歩的なことです。しかし、これについても私が文句を言う中で担当者に伝えるまで、航空会社側がこれについて聞こうとはしませんした。一体どうなっているのか?

 この時、事務所で担当者に伝えた私の個人情報は次の通りです。いずれも英文です。 
 @名前(Fist Name, Family Name)、A職業、B自宅住所、C自宅郵便番号、D自宅電話番号、E自分のE-mail Addressです。担当者はこれらの情報をBaggage Information センターのデータベースに打ち込みました。この作業は荷物を追跡し、見つかった際に、きわめて重要なものであることが分かりました。最低限、名前と住所は不可欠です。

事実経過(5)

 上記のように深夜になっても見つかりませんでした。本来、トランジット時間はボストン市内のガバメントセンター近くに住んでいる友人に会い語り明かそうと思っていたのですが、それどころではなくなりました。結局、午前1時から午前3時30分までうたた寝、翌9月8日早朝、午前4時前に起床しました。

 午前6時30分発のボストン発、アトランタ行きのデルタ航空に4人で乗り込みます。ボストンからアトランタはもともとは国際線です。しかし、私たちの場合、アトランタは単なるトランジットなので、ボストンが帰国審査を受ける空港となります。午前5時前にボストンローガン空港にチェックインに出向き、午前5時30分前に厳しい入国審査を受け出発ロビーに入りました。

 ところでローガン空港のBaggage Claim Service は午前6時でないとオープンせず、一方、Baggage Information センターへの電話連絡についても、ハリファックスとボストン間では同じ東部地域でも1時間の時差があります。結局、出発直前の午前6時(ボストン時間)では新たな情報が得られませんでした。

事実経過(6)

 ボストンのローガン空港では結局、見切り発車、一路アトランタに向かいました。

 アトランタ到着後、成田行きのデルタ航空のMD11に搭乗するまでの時間的余裕はもともとありません。デルタ航空の巨大ハブ空港、アトランタ空港では「T」と言うターミナルに着きましたが、国際線はこれから一番遠い「E」と言うターミナルに行き、さらに成田行きのMD11がいる「E5」まで行かなければなりません。

 何と「E5」に到着した時、すでにMD11ジェット機搭乗が終了直前となっていました。青山と池田以外の2名には先に搭乗してもらい、ここでBaggage Information センターに「E5」ターミナル近くにある電話ボックスから電話を入れました。何しろ上述のように電話連絡をすること自体非常に複雑で難しいのです。

 公衆電話で何とか電話が通じID番号を伝え確認を依頼すると、電話口で担当者が青山の荷物が見つかり、10日までに成田に到着、その後自宅までデルタ航空が送ると言う返事がありました。しかし、その経過情報を伝える段階でホールド状態が5分ほど続き、結局、成田行き航空機への搭乗を係員から急がされたこともあり、電話を切らざるを得なくなりました。

事実経過(7) 

 一応、見つかったと言うセンターの連絡を受けましたが、まだ不安です。

 この時成田向けのデルタの大型航空機が動き出しました。しかし、滑走路途中まで行った後、何と整備不良で航空機は「E5」ターミナルまで引き返しました。そこで同行の井尾さんが米国国内でも使用可能な携帯電話をもっていたので、借用し機内からデルタ航空のBaggageInformationセンターに電話を入れました。すると、今度は明確に「青山氏の荷物は見つかり自宅にデルタ航空が宅配する」との返事をもらいました。

 成田に向かうMD11(同型機)

事実経過(8)成田空港にて

 アトランタから空路13時間以上かけ成田に到着後、航空機から降りる直前、デルタ航空の女性担当者が出口に待ちかまえており、Aoyamaさんはおりませんかと探していました。すかさず、私が青山ですと言い、説明を受けました。これは入国手続きをするはるか前の航空機の出口での話です。

 デルタ航空の女性係員によると、Aoyamaの荷物は翌日の同じ便で到着するが、10日に私の荷物を通関させる上で各種の手続きが必要となる。そこで、成田空港の入国手続き終了後、Baggage Claimロビーでデルタ航空関係の荷物問題を代理委託している日本航空(JAL)のカウンターに行ってほしいとのことです。

 ちなみに他の3人の荷物は無事到着しておりました。私はJALのBaggage Claimに出向き、10日到着予定の私の荷物の通関手続きを済ませました。ここでも念のため名前、自宅住所、郵便番号、電話番号等を伝えました。先方からは、その中に関税対象物品の有無、荷物の形状、色などについての問い合わせがありました。

最後に 教訓は何か!

 10日深夜、自宅に私の荷物がとどきました。

 今回は、ボストンの国際学会でもらった6分冊の予稿集など10kg近い書類はボストンの郵便局でカナダに移る前に自宅宛に郵送しましたが、カナダでの現地調査の議論、事例、インタビューメモや入手した書類をすべて荷物に入れていました。

 万一に備え、預ける荷物には金品、パスポートはもとより、金銭で償えない重要書類は絶対入れないことです。面倒でも重くても機内持ち込みとすることでしょう。

 また、万一私が遭遇したような事態にあったら、行きであれば宿泊先ホテル名とともに日本の自宅住所を告げることです。また担当者には毅然たる態度で接することです。さらに、実務的なことですが、米国のトールフリー電話のかけ方を知っておくことです。もし、これを知らないと、せっかくの海外旅行中、暗然たる気持ちでいつづけることになるからです。