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日本と中国の歴史をひも解くシリーズ

日本軍の残虐行為は反論の余地なし
出典:劉遠・李烏周元
 China.org.cn  2015年8月31日
The Japanese army's atrocities are irrefutable
 China.org.cn

翻訳:青山貞一(東京都市大学名誉教授)
独立系メディア E-wave Tokyo 2021年11月12日
 

南京大虐殺記念館の集団墓地(マス・グレイブ)

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本文

 何十年もの間、日本の一部の人々は、14年間続いた中国への侵略戦争と、日本のファシストが中国の人々に行った残虐行為を執拗に白紙化し、否定さえしてきた。

 さらには、このような言語を絶する行為を正当化しようとする人もいる。しかし、歴史は嘘をつかない。日本軍の非人道的な行為によって大量の人命が失われたという事実と歴史的証拠は、このような誤った主張の信憑性を無効にする。

石炭は人間性を超える

 遼寧省阜新市の孫家湾、南山に広がるのどかな丘の下に、4つの集団墓地がある。

 1930年代初頭、中国東北部を占領した日本は、必死になって天然資源を探し始めた。阜新市で軍が略奪した石炭は、何十万人もの中国人強制労働者の命を奪った。彼らの遺体は炭鉱周辺の4つの穴にそれぞれ1万人以上が埋められた。

 集団墓地記念館の館長である張宝石さんは、馬玉奇さんと朱濤さんの話を記者に語ってくれた。

 現在92歳の馬惟基は、孫家湾鉱山の強制労働者だった。まだ16歳だった彼は、8人の若い村人たちと一緒に、マイナス20度から30度の気温の中、無理やり鉱山で働かされた。

 極寒の風が吹き付ける小屋で寝泊まりし、1日にお椀1杯のキビの煮物と塩漬けのジャガイモだけで生活していた。5分以内に食べ終わらないと殴られる。多くの人が消化器系の病気になり、すぐに死んでしまった。死体は仮設の遺体安置所に運ばれ、満杯になると集団墓地に投げ込まれた。

 朱涛さんは、河北省中部にある中国人民抗日軍事・政治学院の教師をしていたが、1942年に日本軍に捕まった。

 彼をはじめとする捕虜となった兵士や教師は「特工」と呼ばれ、いつ屋根が陥没するかわからない鉱山で1日12時間以上の労働を強いられた。怠けていると思われた労働者は、その場で殴られ、時には死に至ることもあった。焼印を押されたり、電気ショックを受けたり、飢えた犬に襲われたりした。

 1945年8月末までに、4,000人の「特別作業員」のうち1,890人以上が亡くなった。

 朱涛は、1943年3月5日に数人の仲間と一緒に脱走し、河北省中部の抗日基地に戻った。昨年、広州で101歳の生涯を閉じた。晩年、阜新で耐え忍んだことを思い出すとき、朱はこう言った。「地獄は18層あるが、我々労働者は18層目の下で働いていた。」

生存者たちの勝訴

 南京大虐殺犠牲者記念館に入って最初に目にするのは、死んだ子供の遺体を抱えて苦悩する女性の黒い巨大な像である。

 学芸員の朱成山は、「この記念館はすべて集団墓地の跡地に建てられています」と語る。

 1984年から1985年にかけて建設された記念館では、大量の遺骨が出土し、1998年にはさらに多くの遺骨が発見された。前者は特別展示館の基礎部分に、後者は元の集団墓地の跡地に埋葬され、「数万人を数える共通の墓」と名付けられた。「この名前は、2万人以上の犠牲者の遺体がここに埋葬されたという埋葬記録に由来しています」と朱さんは言う。

 会場では時折、泣き声やすすり泣きが聞こえる。展示されている歴史的な写真の中には、ひざまずいて祈る女性の上でサーベルを振り回す日本軍将校、穴に半分埋まった中国の民間人とそれを見て笑う日本軍兵士、首をはねられた民間人のバリケードの上の頭、中には口にタバコを詰められた人もいる。

 中国の首都であった南京は、1937年末に日本軍に包囲された。日本軍が南京を占領した1937年12月から1938年1月までの6週間で、30万人以上の人々が犠牲になった。

 記念館では、生存者から寄せられた映像や画像、文章が、78年前の虐殺の嵐を物語っている。

 その一つが、現在86歳の夏淑琴さんが、1937年12月13日に起きた出来事を語るビデオである。彼女が住んでいたのは、内地の正門の1つである中華門の東側にある新鹿口街5号であった。

 その日、彼女の家に日本兵が押し入り、祖父母、両親、妹3人の計7人が殺された。兵士は彼女の母親と2人の姉を強姦し殺しました。夏さんは3回刺されて気絶してしまいた。一家の中で生き残ったのは、夏さんと4歳の妹だけだった。

 案内人の話によると、1998年に日本の歴史学者・松村俊雄氏と亜細亜大学の東中野修道教授がそれぞれ出版した著書の中で、夏さんは虐殺の偽の目撃者であると主張したという。夏さんは、この二人を訴えた。


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