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公共工事の諸問題

その9(3) 
『この一年の「随意契約」を総括する』

阿部 賢一

2006年12月20日


8.公益法人は天下り待機所

国土交通省のいう「建設弘済会への委託契約」の理由@〜Bなどは、「民間企業からの出向」「情報公開のブラックゾーン」がなくなれば、公益法人そのものの存在意義もなくなる。

国土交通省が外部へ業務委託に当たって、公益法人と随意契約を結ばなければならない必然性などない。

民間業者に対して、入札の際、その契約条件書に、国土交通省が公益法人と随意契約理由としてる3項目を明記すればよいことである。公益法人だからこの3項目を守れるなどということは理由にならない。

これら3項目は、社会資本整備を担う技術者についていえば、官民問わず、プロフェッショナル倫理規準でもある。

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@社会資本整備や関連法令等の専門的な知識及び豊富な現場経験を必要とする。

A(業務遂行に当たり)特定の企業・個人に偏しない中立性・公平性を保持する。

B個人情報、入札関係情報等の秘密の保持を図る。

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参考事項:「建設弘済会への委託契約の適正化について」(H18 .3 .31)報告書

公益法人が「存在する理由」は、天下りを生む早期退職勧告の待機所として活用されていることである。

国交省所管八公益法人の役員ほぼ全員が国交省OBであることが、如実にそれを示している。

その公益法人への天下りの“元凶”は、ピラミッド型の公務員人事制度にある。

北沢栄氏は『Online Journal NAGURICOM(殴り込む)*の「さらばニッポン官僚社会」シリーズで痛烈に天下りや公益法人問題を批判している。

*http://www.the-naguri.com/index.html

北沢栄氏には、『公益法人隠された官の聖域(岩波新書)、『官僚社会主義日本を食い物にする自己増殖システム(朝日新聞社)、『静かな暴走 独立行政法人』(日本評論社)などの著書がある。

我が国の官僚天国の実態を鋭く追及している。

北沢氏の「殴り込む」の一部を紹介する。

これらは多くの識者が幾度も指摘してきた最大公約数の「定例句」でもある。

「官僚の権力のベースは「規制権限」にある。規制権限が増えるほど官の権力は拡大するから、官が絶え間なく権限を増やそうとするのも不思議ではない。

この規制権限は、主に次の3要素から成る。
1.
許認可、検査、監督などの行政権限
2.
補助金(補給金、委託費、交付金、負担金を含む)
3.
公共事業などに関わる契約(工事、委託、調達など)

天下り先の確保・拡大は、こうした規制権限の行使にかかわる「契約」や「補助金」を背景に実現していった。したがって、天下りを規制するためには、官の「契約」や「補助金」の実態を明らかにし、公正かどうかを納税者が判断できるようにする必要がある。」

「早期(勧奨)退職慣行」というものがある。国家公務員が、40歳代後半から順次、退職していく慣行である。ノンキャリアの職員も含まれるが、I 種採用試験合格の、いわゆるキャリア幹部が主な対象である。この慣行により、50歳代半ばまでに、キャリア官僚の半分以上が“間引き”される。同期入省組で最後に残るのは事務次官1人。この慣行が、日本の官僚組織のピラミッド型構造を維持するために必要とされてきた。
 すでに40年以上も前の649月、第1次臨時行政調査会が最終答申で天下り対策に言及し、退職年齢の引き上げを次のように提言した。
「第二の人生を顧慮することなく生涯を公務に奉仕しうる体制を確立することが必要である。とくに、現在、割合早く離職する傾向のある高級公務員については、その退職年齢を漸進的に引き上げ、それに応じてその処遇をも改善し、その知識と経験を行政部門において長く発揮せしめることが必要である」

出典:第92章 防衛施設庁「官製談合」の教訓/『事件の温床「天下り」をなくす法』(200638日)http://www.the-naguri.com/kita/kita94.html 

19649月、第1次臨時行政調査会以来、天下り問題が検討されてきたが、いまだに、基本的には何も変わっていない。このような中央官庁の天下りの実態は、都道府県や市町村に至るまで「右へならえ」で同じ構造であり、全国いたるところで繰り返される談合や汚職がなくならない原因でもある。

国民の税金を食い物にしているのが、官僚天国である我が国の中央・地方の官僚であり、そのOB軍団であるといっても過言ではない。

「キャリア・システム」、「早期(勧奨)退職慣行」などというのも、明文化された制度ではない。

戦前の制度をなんとなく、というより既得権の確保が目的で、引き継いだ慣行に過ぎない。

法治国家である我が国の中央省庁でこのような「慣行」がいまだにまかり通っているのも不思議なことである。

9.公益法人改革関連3法案の可決、成立

本年526日、公益法人制度改革関連3法案が参議院で可決、成立した。

現在の社団法人・財団法人の制度は、新しい一般社団法人・一般財団法人および公益認定法人から成る新制度に切り替わることになる。

公益法人制度改革関連3法案とは下記の三つである。

一般社団法人及び一般財団法人に関する法律案

公益社団法人及び公益財団法人の認定等に関する法律案

一般社団法人及び一般財団法人に関する法律及び公益社団法人及び公益財団法人の認定等に関する法律の施行に伴う関係法律の整備等に関する法律案

公益法人制度改革の背景には、制度改革が100年余もなされておらず、NPO法人(特定非営利活動法人)や中間法人など、新しい非営利法人制度ができて、時代の変化に対応できなくなったこと、一部公益法人の不適切な運営(KSDー中小企業経営者福祉事業団」)などが露呈したことにある。

公益法人の数は、平成1510月時点で、25,825法人(社団法人12,836 財団法人12,989)ある。その内、国所管が7,009法人 都道府県所管が18,987法人である(合計数が一致しないのは共管法人があるため)。

公益法人の設立許可と指導監督に関する権限は、主務官庁(内閣府および中央官庁)に与えられており、その権限は都道府県に委任できる。公益法人の全従業員数は約60万人。

出典:http://www2u.biglobe.ne.jp/~hakuzou/zaidan.htm

公益法人制度改革3法の施行については、法文内で、「この法律は、公布の日から起算して二年六月を超えない範囲内において政令で定める日から施行するものとすること」とされている。

 現在のところ、2008年に全面施行の見通しという。

これによって、所管官庁の設立許可制による公益法人は廃止される。代わって 登記だけで法人格を得られる「一般社団法人」「一般財団法人」制度を新設する。

有識者でつくる公益認定等委員会が「公益性あり」と判断すれば「公益社団法人」「公益財団法人」として税制優遇を受けられるようになる。

「有識者委員会による公益性の認定」というのが曲者である。官僚がもっともらしく推薦する有識者であるが、世間では御用学者などと、揶揄されている輩が横行している。官僚の使う世論誘導の常套手段である(国民の厳しい監視が必要である)。審議会、委員会、研究会、最近では小泉内閣の看板であったタウンミーティングなど、いくらでもある。

新制度では所管官庁の縛りがなくなるので 活動分野や組織の再編などの自由度が増す、という。

200711月までに発足予定の認定委員会の委員や事務局の人選次第では縛りが残る可能性もある、と指摘されている。今回の決定で先送りされた税制(法人税課税・寄付金控除など)がどうなるかも課題となっている。

不完全燃焼の公益法人3法である。

いずれにしても、百年の惰眠を貪っていた公益法人改革が時代の変化に対応すべくこれから動き出すことになる。国交省八公益法人も当然ながら変革を迫られる。

しかし、抜け穴つくりの上手な官僚相手に、新しい法律が出来たからといって、国民は安心するわけには行かない。国民がしっかりと監視していないと、「天下り」同様、内容はさっぱり変わらないということになりかねないので、たゆまずフォローすることが肝心である。

10.役人天国をなくそう

「随意契約」と中央省庁所管公益法人の腐れ縁がピラミッド型の公務員人事制度とキャリア官僚の「早期(勧奨)退職慣行」よる“天下り”の格好の待機所として機能していることに原因があることは、【8.公益法人は天下り待機所】で述べた通りである。

キャリア官僚の“天下り”批判に応えて、総務省人事・恩給局が運営する「国家公務員人材バンク」が2000年に発足した。この人材バンクは、ピラミッド人事で削ぎ落とされたキャリア官僚たちの第二の職場を探そうという官僚と民間企業や大学の出会いの場というふれこみだった。

ちなみに、この人材バンクの紹介実績は発足六年間で、たったのひとり、であるという。世間の風圧・批判を低姿勢でかわすために、もっともらしく組織だけつくったのが、実績はさっぱりというのが、この「人材バンク」の実態である。

枠組みをつくってアピールはするが、あとは本気になって取り組むこともなく、忘れ去られるのを待つという官僚の常套手段に一端に過ぎない。

京都選出の民主党参議院議員松井孝治氏は、さる124日の参議院決算委員会の総括審議で、天下り問題、省庁の調達(随意契約や官製談合)に関する資料を提出し、質疑応答を行った。

詳細は『「京都からこの国のかたちを変える」 松井こうじメールマガジン』第150(2006.12.07)*を参照されたい。*http://www.matsui21.com/melma/06/150.html

松井議員のパネル資料によれば、まさに我が国はお役人天国、「国税庁統計では我が国官公庁計の雇用人口が874万人となっているが、これに公益法人の一部(多くの公益法人は国税庁の「官公庁」には入っていない)や、国税庁統計では官公庁に入っていない地方の外郭団体、さらには、官公庁丸抱えの企業群などを加えていくと、広義の官公庁人口はゆうに1,000万人を超えるのではないか」と指摘している。

「官公庁丸抱えの企業群」とは、筆者が上述した国交省の建設弘済会等への民間からの出向や官庁関係ファミリー企業群等が含まれるのであろう、と筆者は推察する次第である。

松井議員はさらに「20054月時点で、公益法人約3,400に在職する元国家公務員は二万人を超す。課長職以上に限っても、20048月からの一年間に退職し、2005年末までに再就職した1,200人の内の四割弱の行き先が公益法人」だそうである。それらの公益法人の大半は、今年の「随意契約」問題で明らかになったように、多額の補助金や委託費を所管省庁からもらっている。その極め付きは「特命随意契約」*である。

*単独の業者から見積もりを取る場合を一般に「特命随意契約」という。

日本政府は、「人口千人当たりの公的部門における職員数の国際比較」で他の先進諸国と比べて、少ないことをいつも強調しているが、統計資料の作り方で、どのようにも数字は操作できる。

統計資料の「範囲」や「元データ」を吟味すれば、このような「定説」も簡単に崩れる。

またその直後の127日の経済財政諮問会議でも公務員制度改革が議題になった。民間議員四人が「早期勧奨退職慣行」を斡旋する人事を担当する各省官房部局の動きをやめるよう求めた。

そして連名で「再就職を天下りではなく、能力や技術を生かした通常の転職とすべきである」という文書*を提出した。

*1 公務員制度改革について(伊藤隆敏、丹羽宇一郎、御手洗冨士夫、八代尚宏)

http://www.keizai-shimon.go.jp/minutes/2006/1207/item4.pdf

省庁での官僚の「能力」や「技術」を生かすというが、どんなものが実社会で「生きる」(通用する)のだろうか。

民間議員の提案に対して、尾身財務相は、反対して、@役人全員を定年までは置けない、A五十歳を過ぎて自ら再就職先を探せば国のために働く意識が薄れる、Bだから人事当局の斡旋は不可欠だ、という三段論法を展開した*

*2 日本経済新聞「天下り改革、二兎を追え」(2006.12.17)

尾身財務相は、大学卒業と同時に通商産業省に入省、中小企業庁指導部長で退官、翌年の選挙で衆議院議員に当選、よくある官僚から政治家への転身を見事にはたしてきたので、古巣の官僚たちに不利なことは発言できない。財政改革推進をミッションとする大臣としての発言としてよりは、むなしい古巣援護射撃にしか見えない。こんな閣僚では、安倍内閣の実態の一端を垣間見た気がする。

尾身財務相の反対論を、キャリア役人たちは当然のこと、と頷くのか。納税者国民、リストラ旋風を受けた民間企業人にとっては、こんな役人援護論は当然ながら黙視できることではない。

また、こんな官僚たちが我が国のエリートといわれるのも、情けない。官僚たちが税金にたかる寄生虫になっているのが、日本社会である。

日本には、どんなに激しい時代の変化や環境や逆境にも耐え、将来を見通すタフで凛としたノーブレスオブリージュ*の矜持を持つエリート官僚がどうも少ない、いや、いないようだ。

*(フランス)noblesse oblige

「ノブレスオブリージュ」とも》身分の高い者はそれに応じて果たさねばならぬ社会的責任と義務があるという、欧米社会における基本的な道徳観。もとはフランスのことわざで「貴族たるもの、身分にふさわしい振る舞いをしなければならぬ」の意。----大辞林

官僚全員を定年までは置けないというのなら、公務員試験で多数の新卒を集めることをやめればよい。

そして、国家公務員の人事を柔軟な「オープン」なものにすべきである。

原則として最初に採用された省庁内で継続的に内部昇進していく「クローズド・キャリア・システム(閉鎖的任用制)」から、官官あるいは官民間の頻繁な労働力移動を前提に、「職(ポスト)」に就職し、上位職への継続的昇進を想定しない「オープン・キャリア・システム(開放的任用制-----米国流)」を組み合わせを図るべきである。それが、加速化するグローバル化と技術の進歩に伴う社会の急激な変化への対応を容易にすることになる。

オープン・キャリア・システムはスポイルズ・システム(猟官主義)の弊害を誘引しやすい点が欠点である。

その弊害を取り除くべく、米国連邦政府では、成績任用・昇進などのメリット・システムが導入されている。

ドイツは日本同様クローズド・キャリア・システムが長く続いている。英国はクローズド・キャリア・システムからニュー・パブリック・マネジメント(NPM)の導入で、オープン・キャリア・システムへの転換、逆にフランス自治体等では、オープン・キャリア・システムからクローズド・キャリア・システムへの移行など、先進諸国では多様な試行錯誤がなされており、改革が進められている*

*参考資料:海外主要国における地方公務員採用制度について

早稲田大学大学院公共経営研究科大谷基道

     http://www.f.waseda.jp/katagi/zemiitiran.html

米国連邦政府の場合、政権交代で、各省庁上級幹部(局長級以上)3,000人の「政治任用(political appointee)」による大移動が起きる。クローズド・キャリア・システムのドイツでも、次官、局長級約400人、局長級以上がENAでほとんどを占めるフランス官僚でも高級職(600)、大臣キャビネットのスタッフ(700)が「政治任用」である*

* 人事院『諸外国の国家公務員制度の概要』(平成1811)

      http:://www.jjinji.go.jp/top.htm  

我が国の国家公務員は戦前の「天皇の官吏」から、戦後は日本国憲法に基づく「全体の奉仕者」となったが、公務員も国民もまだまだ「お上」意識を払拭できていない。最近は変な「天の声」の乱発だ。公務員は公僕(Public Servant)であるという言葉も、最近では死語化している。

福田赳夫首相(小泉内閣官房長官をつとめ、新聞記者会見できっぱりと退任宣言をした福田康夫の父親)が夜討ち朝駆けの担当記者にあるとき「……君、日本は役人天国だよ」とひと言ポツリと言ったという。

福田赳夫は東大卒業後、大蔵省に一番の成績で入省、主計局長まで勤めたが、「昭電疑獄」で逮捕、結局は無罪になったが、これを機に大蔵省を退職、政界へ進出、1976年「三木おろし」後、首相に就任、1978年、派閥解消を目指して党員投票による自民党総裁予備選挙を提案、それに破れて、「天の声も変な声もたまにはあるな、と、こう思いますね」といって、無念の辞任をした。

1987年、現在の首相、外務大臣秘書官安倍晋三の媒酌人を務め1990に引退した。

筆者も一回、一時間ほどある講演会で福田赳夫元首相の政治談議を拝聴したことがある。テレビと違い、親しみやすい人柄で、聴衆を笑わせる話し振り、まさに「昭和の黄門」を自認するだけのことはある、と感じたものである。

この官僚を知り尽くした福田赳夫の「役人天国」ポツリ発言はまだまだしぶとく生き残っている。

最近はへんてこな談合汚職知事達の「天の声」が乱発されており、「天の声」の質も大分落ちている。

中央も地方も役人は、「全体の奉仕者」などというより、はっきりと「国民の奉仕者」であるということを、「愛国心」よりも先に、小・中学生へ教えるべきである。国民主権の「民主主義」をしっかりと教えるべきである。

筆者は、最近地方に居住することが多くなり、いまだに地方では国や県のお役人に対する「お願い」ばかりが多いこと、そして「お上任せ」に寄りかかっている、ことに驚いている。

「お願い」「お上任せ」が役人、国民双方の「お上意識」を温存させている。

その結果の一例が、地方交付金の削減とともに露呈した「夕張市行政破綻状況」である。

今後続々と同様な自治体が出現する。夕張市は「財政破綻」都市としての順位は全国で7番目だそうだから。

国も地方も、公務員を少数精鋭主義化して、ピラミッド構造で削ぎ落とされて「天下り」するような官僚がいなくなれば、官僚OB群の公益法人など「自然消滅」する。公務員がやたらと多すぎること、そして政治家(というより政治屋)と結託した結果が、補助金が増え、許認可制度が増えて、行政の高コスト構造が温存される、という図式である。

こんな「役人天国」を阻止するためには、中央、地方を含めて、国民の代議者である議員(政治家)にがんばってもらわなければならない。「議員」は「先生」ではなく、納税者国民の「使い走り(Public Servant)」である。

それを国民も議員も自覚し、国民はしかるべき「議員」を選び、その「議員」に国民の代議者としてのミッションを持たせ、活動してもらう、そのための監視も疎かにしない、ということが、「民主主義社会」における国民の最低限の義務であり責任である。

そして「随意契約」や「公益法人」が跋扈して、税金がムダ使いされるのも、「人任せ」、「人のせい」にする国民の自らの義務に対する関心のなさ・薄さ、とともに、その結果としての、官の情報公開の消極性(今風の言葉でいえば、情報の非対称性)、第三者機関(公正・中立機関)の脆弱さ、チェックアンドバランスの働かない社会、論理よりも感情に流れ直ぐ熱しやすい世間、これらの混じり合ったものの繰り返しが、極論すれば、我が国の歴史である。これでは、日本社会がますます弱体化し衰亡する。

最近ある行政訴訟の報告会に参加して、住民が「行政の責任」を訴えるということに疑問を持った。

法律を作る役人は「行政担当者」に責任を負わせるようなヘマはやらない。しかも、裁判にかかる費用は税金であるから長期化しても問題ない。むしろ長期化させて、訴えの力を殺ぐ。役人には、裁判に掛かるカネも時間も公務であり、身銭を出すわけではない。だから、行政訴訟で国民・住民が勝訴するのは稀である。

住民は、行政を訴える前に、自らが選んだ「議員」達を訴えるのが先ではないか、と思う。行政訴訟運動をやっている人々は、裁判によって、世論を喚起するのだという。確かに世論が注目するだろうが、その前に、自分たちの代議者たちを叱咤激励し、責任追及する方が先ではないのだろうか。

「議員」達は、国民・住民の代理人として、国民から徴収した税金(血税)によって行う行政を、国民・住民の意向を汲み上げ、税金を効果的に使い、満足させるべく活動する責任がある。しかしながら、議員(政治家)たちも官僚同様、税金にたかる寄生虫に成り下がっている。夕張市議会の議員たち、北海道庁、総務省(旧自治省)等々、さまざまな事業を認めた上位官庁や、金を貸し付けた金融機関は、いったい何をやっていたのだろうか。それを代議させる「議員」を選んだのも、国民・住民の貴重な「一票」である。

夕張市の前市長は「アイデア市長」と持ち上げられて624年間も市長を続けた。現市長も同市役所職員でから助役まで登りつめた人、行政も住民の代議者である議員たちも、この巨額の借金について、何をやっていたのだろう。平成18年度の夕張市の一般会計予算は111億円。問題となっている債務残高は632億円。債務残高は年間予算の約5.7倍にもなる。債務返済の目途も立たず、住民へは更なる税金(血税)の負担である。

その夕張市を笑うことは出来ない。平成18年度の国の一般会計82.9兆円、税収・その他の収入が、57.5兆円、それに新規国債25.4兆円。約31%が新たな借金である。国の平成18年度末長期債務残高は605兆円と予想されている。債務残高は年間予算の約7.3倍。夕張市より財務状況が悪いという現実を国民は知らなければならない。

「随意契約」を調べて達した筆者の結論としては、いたって簡単なことである。すなわち、筆者自身の反省も込めて、日本国民一人ひとりが、「民主主義」をまだまだ表面的にしか理解していないことである。

「一票」の重みを自覚し、すべて自分のこととして「責任」を持たなければ、何事も変わらない。そして、「税金の使い道」の監視を怠り、関心も薄く、結局、最後に損をするのは、国民・住民自身である、ということである。

「一票」の重みについては、格好の事例が11月の米国の上下両院議員選挙である。あれほど強引なブッシュ大統領が強引なイラク政策の方向転換を迫られた。クリントン時代にやっと黒字になった連邦財政がイラク戦争出費で急激な赤字に転落。そして、選挙の結果は、国防長官の更迭となった。

米国民は第二次世界大戦後、朝鮮戦争、ベトナム戦争、中南米、ソマリア、コソボ、アフガン、湾岸、イラクなど世界で戦争ばかりしてきた。そのために、米国民は、自らも相当数の人命の犠牲を払い、巨額の戦費を費やしているが、あの国の「民主主義」は我が国の「民主主義」よりもしっかり機能しているようだ。

悪ければ立ち止まって、考え、良い方向へ転換する力が国民にはある。

日本が、確固たる戦略も外交もなく、戦争を始め、世界から孤立して、あとは惰性で最後までもたもたして自分で結末をつけられずに国土を焦土化して敗れ、戦争遂行責任から逃れることに、指導者も国民も腐心したのとは大違いである。

戦後、「世界先進国」「経済大国」を誇り、最近では「美しい国」などと、浮かれている我が国の「民主主義」意識、民度の低さを痛感したこの一年であった。

(おわり)