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2007 森林フォーラム
in 上野村


阿部 賢一

2007年7月19日


五月下旬、森林フォーラム実行委員会が主催した『2007上野村フォーラム』に参加した。
下記は会報「森林フォーラム・ニュース」No.87に掲載されたものである。
期間:2007年5月26日(土曜日)〜27日(日曜日)

群馬県上野村は、人口1,500人余、埼玉県、長野県に県境を接する群馬県西南端の奥地に位置する。
一般的には下仁田からアクセスするのだが、今回は西武池袋線終点の西武秩父駅から小鹿野町の志賀坂峠を越えて、神流町経由で上野村に入った。典型的な急峻山間僻地である。田圃はない。米は昔、信濃から十石峠越えで運び込んだという。林業、果物、コンニャクその他の野菜生産などが主力である。
中山道裏街道の要所であり天領であった。

湯ノ沢トンネルが開通、便利になり、休日はドライブや渓流釣りなど、都会から人々が訪れ、国民宿舎や民宿への宿泊者が多い。

神流川両岸は急峻な岩峰が多く、四季折々の自然を楽しむ登山者で賑わう。

今回の主催者NPO法人森林フォーラム代表、内山節氏は哲学者・立教大学大学院教授。
『戦争という仕事』『「里」という思想』など著書多数、生きる人間の視点から思索を続ける実践的哲学者*1。若いときからこの上野村を渓流釣りで訪れていた。地元の人々との交流の中で、家と森を取得、東京とこの上野村に生活の拠点を置いている。
内山氏の文章は、高校・大学入試問題「現代文」などに多数採用されている。

「現代日本で、大学教授とか宮仕えの身ではなく、哲学者という肩書きだけで飯が食えるただ一人の人」(元掛川市長榛村純一氏の評*2)

*1 http://www.chugainippoh.co.jp/NEWWEB/
n-interviews/Nint/n-d040710.htm

*2 http://kamituke.hp.infoseek.co.jp/page013.html

上野村は以下の二つで注目を集めている。

その1 日本航空123便墜落事故
1985年8月12日JAL123便(羽田発伊丹行)、ボーイング747 SR-100 型機が上野村の高天原山に墜落した。(新聞では御巣鷹と誤報された)
死亡者数は乗員乗客524名のうち520名。この数字は日本国内で発生した航空機事故では最大、世界の航空事故では犠牲者数で二番目、単独機の航空事故では最大である。
出典:ウィキペディア

その2 揚水発電所
神流川発電所は、長野県南相木村を流れる信濃川水系南相木川の最上流部に上部ダム(南相木ダム)、群馬県上野村を流れる利根川水系神流川の最上流部に下部ダム(上野ダム)を建設し、その間を地下水路で結び、この間の落差653mを利用して、中間の群馬県側の地下500mに神流川発電所を設置、発電を行う。
原子力発電を安定運転させるため、夜間余剰電力で上部ダムへ揚水する揚水発電システムである。
2005年12月、神流川発電所 1号機が完成し運転を開始。計画設置予定の水車発電機は全部で6台。
これがフル稼働すれば揚水発電所としては世界最大の設計最大出力2,820,000キロワット(一台あたり470,000キロワット)という大容量を誇る。最大使用水量は6台合わせて毎秒510トン。
原子力発電関連施設として欠かせない巨大土木構造物である。
参考サイト:http://www.tepco.co.jp/gunma/kanna-gawa/11_0-j.html

上野村と神流町(旧中里村)では、道路インフラ整備の大きな格差、道路際の雑草処理、廃車放置やゴミ処理など、そこに住む人々や行政の「里」に対する「力」の入れ方の違いを感じた二日間であった。

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『上野村フォーラムに13人が参加』
〜鍾乳洞探検や登山を体験〜
------[森林フォーラム・ニュース] No.87 2007年6月27日発行

岩峰の多い西上州、中山道の裏街道沿の群馬県上野村。
長野県北相木村/南相木村、埼玉県小鹿野町と県境を接する奥深い山村に興味を引かれて参加した。

第一日(5月26日)
午前十時、西武秩父駅に参加者集合全員で十三名。
フォーラム・メンバーの内山、高橋、相田各氏の車三台に分乗、小鹿野町〜国道299号〜志賀坂峠を越え「さざ波の化石(恐竜の足跡)」を側面に見ながら神流川合流地点旧中里村古鉄橋手前の『木古里(きこり)』に到着。
今回の案内者の一人、高橋隆氏経営の御休み処(現在休業中)、その裏手がご自宅。


「木古里(きこり)」 今回の案内者高橋氏経営----現在休業中
撮影:2007/5/26

高橋氏の案内で立処山に向かう。蒟蒻畑を横切り、登山路に入ると立処山頂まで510mの標示板。急斜面の連続。標示板が約100m間隔で置かれているが、登山道は整備されていない。四十分ほど登り、岩壁が見えると「立処鍾乳洞入口」の標示板。岩壁右側を迂回して、クサリやロープを必死に手繰り、尾根伝いに、最期は岩場を直登、立処山山頂(標高735m)に立つ。雨宮さんが最後に到着、全員で拍手。


立処山山頂(735m) 右背後は叶山(石灰岩掘削で岩肌が切り崩されている)
撮影:2007/5/26

真近に叶山の岩壁、その尾根を辿れば両神山。
岩壁の眼下に、『木古里』と我々が乗ってきた車三台が見える。
神流川の古鉄橋を渡った左側には旧中里村村役場(神流町中里支所)および福祉センターなどの公共施設。

快晴で風は強く心地よいが黄砂警報のためか遠望は利かず。
山頂にて昼食・休憩後、立処鍾乳洞入口まで下り、狭い割れ目から鍾乳洞に入る。
全長約150m、落差約35m、蝙蝠が数匹天上からぶら下がっていた。
「触るな」の大合唱のなかで勇気ある一人が触っても、こうもりは微動だにしない。
『木古里』に戻って見上げると、登った山頂の標識を確認。
汗を拭いて小休止して出発。


「木古里」に戻って立処山山頂を見る。背後は叶山
撮影:2007/5/26

上野村に入ると、道路が広くなりトンネルや直線部も多い。
内山さんの技が冴えて時速100km。
湯ノ沢トンネル(2004年3月開通)の手前で右折、塩の沢を経て国民宿舎『やまびこ荘』(平成13年7月改築・営業再開)に到着。
早速温泉に入浴、疲れを癒す。夕食後、工芸家・青木氏の「語り」に聞入り、気品ある竹細工作品に感歎。


5月27日日曜日
朝食前にやまびこ荘周辺を散歩。おいね地蔵のあるうどん屋、珈琲店が各一軒。
日航機墜落『慰霊の園』を訪れた皇太子が地元関係者を慰労、ここで入浴したという記念碑。

午前八時ロビー集合、長野県川上村からの参加者も到着。
やまびこ荘背後を天狗岩入口まで車で約二十分。
内山氏の案内で登山口から沢沿いに登り、途中避難小屋から左右の分かれ道。
左側は階段状の登り道で整備状態がよい。
十時四十分、天狗岩の山頂(1213m)に到着。
持病に悩む足を引きずる相田氏も到着。展望台より南牧村を望む。
荒船山、そして妙義山など西上州の山々。この日も黄砂の影響か山脈が霞む。

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天狗岩頂上(1213m) 前列中央筆者 その左が内山氏
撮影:2007/5/27


天狗岩展望台から長野県南牧村を眺める
撮影:2007/5/27

帰路は二輪草群生地の斜面を下る。かなりの急坂、登り道に選択しなかったことを感謝。
雨宮さんがメモを付けた札で知る可憐な野草の花の名を確認。上野村ふれあい館に到着、神流川河原で昼食。山女釣り人が二人。近くにある大庄屋・旧黒澤家を見学後、往路を戻り西武秩父駅にて午後四時解散。

上野村は江戸時代初期からの「天領」という要所の歴史の余韻が残る「里」。

神流町の立処山登山路が整備されていないのは、山林所有者がそれを望まないらしい。
道路の狭いのも住民のまとまりが難しい事情によるらしい。
上野村の天狗岩登山路は村役場職員がせっせと汗を流した成果。
村役場主導で小規模ながらも道路や各種公共施設の充実に積極的に励む。
そのため民業を圧迫。
道路際の雑草は「公共の仕事(みんなでやる仕事)」できれいに刈り取られていて気持ちいい。

それぞれの「里」では、それぞれの事情が時間の経過とともに「里」の風景となる。
元「海外仕事」老人は、主催者でもある内山節氏の著書『戦争という仕事』『「里」という思想』を直前に読んでの参加。少しは役に立った。

彼の「基本に忠実」な運転を二日間、隣席で体験しながら会話を楽しんだ。二十歳で「酒を止めた」哲学者は、谷間の道路を高速で走り抜け、休憩時は茶色のタバコを一服。この哲学者と参加者各位との次回の出会いを楽しみにしている。