冤罪を生み出す構造 (4)山崎えり子氏の手記(下) だれか私を証明して 青山貞一 2007年5月1日 |
11月17日号 【タイトル】 「カリスマ主婦」と呼ばれたベストセラー作家は今も逃亡生活 だれか私を証明して 菊地直子と呼ばれて(下) 【リード】 特別指名手配犯の菊地直子容疑者と間違われて逮捕された山崎えり子さんは、東京地検公安部の取り調べを受けた。暴力団との癒着を臭わせる所轄刑事ら、そして誤認逮捕を隠蔽する警察は、渋々公正証書不実記載同行使罪で山崎さんを起訴をしたのだった。 【筆者】 山崎えり子 【写真プロフィール】 やまさき えりこ・本名、内山江里子(上写真)。本名を隠す生活だったこともあり、紙と鉛筆の表現にのめり込む。家計簿大賞コンクールで特賞を取り、NHKラジオに出演したことを契機に執筆活動へ。一九九八年に出版した『節約生活のススメ』など生活実用書がベストセラーに(写真上)。しかし、知人の戸籍を使用したため公正証書原本不実記載、同行使罪で有罪判決を受け、社会的地位を失う。現在は日雇いアルバイトなどをして全国各地を転々としながら、人権問題に取り組んでいる。 【本文】 二〇〇五年一一月二十四日、一〇日間の勾留が決まった。 私は菊地直子さんとしての疑いを常にかけられながら、今までの生活、精神状態、交友関係など細部にわたって何度も繰り返して供述を求められた。 細かい記憶違いや警察にとって不利益な事は虚言として扱われ徹底的に削除された。 たとえば以前、指定暴力団稲川会関係者の被害を受け(財)暴力団追放運動推進都民センターに駆け込み刑事を紹介されたが、酒食の接待や金品の要求があったこと、その暴力団関係者に対する被害届を出したが刑事は、わざわざ家にやってきて「チャカ(拳銃)なんて出てこなかった、いい恥をかいた。今に見てろよ」と怒鳴られたことなどだ。 主に警視庁荻窪署の捜査員、高橋清一が私を取り調べる担当者だった。たまに別の捜査員もやってきて、「以前、おまえが被害届を出した稲川会関係者の○○も言ってたけど、菊地直子なんじゃぁないか」と暴力団関係者との癒着を想起させる発言を吐いたりしていった。また、オウム真理教(現・宗教団体アーレフ)元教祖・麻原彰晃(本名・松本智津夫)の写真を私に見せ、表情をうかがういながら供述調書を読み上げて内容に不備がないことを無理矢理、納得させ拇印を押させていった。 十二月三日、さらに一〇日間の勾留延長決定の通知が来た。 勾留延長前に行なわれるはずの検察官の取り調べ(中間調べ)がなかったので、高橋に「検事さんの中間調べはいつ頃になりますか」と質問したところ、「おまえの担当検事殿は公安部で大きな事件を抱えて大変忙しいから、いつになるかわからない」と言われた。 検事の中間調べもなく再延長されたことへの不安や、留置場の他の被疑者に比べて夜間の取り調べ等が多かったためか、尿道結石の痛みも日増しに強くなっていった。 清水琢麿弁護士に、「先生、いまだに検事の中間調べもなければ、まだ菊地直子さんの事を言われたり、体調も精神的にも辛いです」と、つい本音と弱音を漏らしたところ、先生は上申書を東京地検公安部検察官の山本美雪に提出し、中間調べを促す内容や高橋の取り調べに対する不満を代わりに文面で伝えてくださった。 暴力団のカタを持つ検事 上申書を提出した二日後、山本検事に呼び出された。 「あなたね、人を侮辱して弁護士に変なことを言うのは止めてちょうだい! 私が、どれだけ不快な思いをしたかわかる?」と彼女は椅子に座るやいなや、真っ赤な顔をして怒鳴り始めた。 私は、彼女のあまりの錯乱ぶりに唖然としてしまい、思わず自分が悪いことをしたと謝ってしまった。このことは今でも悔いている。私は弁護士の先生を通じて、そんな失礼なことを言ったつもりもないし、弁護士は社会正義を実現現実するための職業である。そんな興奮するほど、非礼な上申書を検事に送るはずなどない。 中間調べの際、山本から「あなた、重婚だの脱税だの日頃から、あやしい人物だったと隣の人達の悪意に充ちた言葉がそのまま週刊誌に出ているけど事実と違うじゃぁない。なぜ、名誉毀損や差し止めにしないの?」と質問を受けた。 警察の発表や都合のよいリークを妄信し虚報を流すなど、自らの検証機能を放棄した報道について、ある程度は弁護士の言葉から知っていた。だが、留置場にいる私が具体的な記事を入手できないことなど知っている山本の発言は、とても好意的に受け取ることはできなかった。 無実の人間を凶悪大量殺人犯に仕立てあげたかったが、容疑が固まらないため、殺人犯より軽微な別件で逮捕し取り調べた。そのことに対するバツの悪さをひたすら隠そうとしているように感じた。 私を地下鉄サリン事件の主犯の一人として何とか証拠収集しようとした今回の別件逮捕は、令状主義の潜脱だ。請求された令状を安易に発布してしまう裁判官にも問題があると痛感している。 「菊地直子さん」としての証拠収集が思うように進まない山本は、「公正証書原本不実記載、同行使」の事件には、あまり関心がなさそうな様子で、「人の借金を肩代わりして人の戸籍を使うなんてFさんに悪いと思わないのですか」程度の質問しかぶつけてこなかった。 「Fさんは子どもの頃から親に虐待を受け、胆石を患って働けなくなった事がキッカケで借金苦になったんです。総額約五〇〇万円にもなり、取り立ても厳しく、もう死ぬしかないと語っていました。Fさんは二〇年来の愛人もいて結婚の予定はないと言っていたし、私も実名を名乗れない困った者同士という間柄でした。生活の援助と引き換えでしたから、それほど悪いとは、その時は思いませんでした」と正直に答えてしまった。 その言葉が引き金になったのか、「Fさんの母親やFさんがどんなに傷付いているか、親のいないあなたにはわからないのね」と山本の口調は強くなり、「起訴します」とその場で言い渡された。ではなぜFさんも逮捕したのか疑問である。 Fさんの人権は守られるが、身寄りのない私は捜査員や検察官によって、人格攻撃や人権侵害を受けなければならないのか。この不条理に涙と鼻水がこぼれてきた。だがそんな私を見た山本は「汚い。早く拭きなさい」と、時計を見ながら吐き捨てるように言った。そして最後に、「稲川会関係者の○○がこれから、あなたを民事で訴えると言っています。覚悟しときなさい」と言い放った。 またしても暴力団関係者につきまとわれる――。さらに暗い気持ちに沈んだ。逮捕理由とはまったく関係のない暴力団関係者が起こす民事訴訟のかたを持つ発言。私は山本が暴力団や暴力団関係者から情報か何かの利益供与があったのではないかと思わず疑った。 検事の中間調べの翌日、高橋とは別の捜査員三人名が警視庁の留置場に来た。彼らは私に「以前、暴力団組長およびその関係者に対して警視庁に被害届を出したことは一部虚偽でした」と脅迫して強制的に供述調書を作成した。 逮捕した容疑とはまったく無関係な暴力団やその関係者の訴えに有利な調書を書かせる刑事たち。暴力団寄りに荷担する一連の行動は、明らかに警察と暴力団の癒着を裏づけるものだ。何があっても警察や検事など信用してはならないと今回の事件で思い知った。 この日を最後に取り調べが終った。 刑事のクリスマスプレゼント 一二月二四日、クリスマスイブの日、留置場にいた私は再び取調室に呼ばれた。そこには荻窪署の高橋が待っていた。 「今回の菊地直子として捜査があったことや今回のことを本に書いたら抹殺してやるからな。 それから、オレや○○(稲川会関係者)は、まだ、あんたを菊地直子ではないと、完全にシロだとは思っていない。おまえは、もうみっともなくて静岡なんかに住んでいられない。人里離れた山で暮らせ、これは、オレからのクリスマスプレゼントだっ」 高橋はそう吐き捨てて取調室を出ていった。高橋は、わざわざ嫌み味を言い、口止めをするため本庁にいる私のところにまで来たのだ。 年が明けた。二〇〇六年一月三〇日が初公判と二月一六日の判決日には荻窪署の署員が、わざわざ七人来ていたが、公判で菊地直子さんと誤認逮捕したことに触れられるのを恐れていたのだろう。 私を担当した清水弁護士は事前打ち合せにはなかったのに、「あなたは最初何と言って逮捕されましたか?」と私に質問してきた。法廷で高橋の顔を見たからこそ、あえて質問したと後日、打ち明けてくださった。 私が「ハイ。『オウム真理教の菊地直子だな』と言われました」と答えると、先生はさらに、「菊地直子と言われたんですね」と念を押した。 残りの質問は公正証書原本不実記載同行使罪についてであったが、本名を使えなかった理由や、「マスコミでは重婚だの脱税など書かれていますが、それは事実と違いますね。説明して下さい」と遠回しながら報道被害などについてもふれてくださった。 反対に検事側は一切、菊地直子のこと、そして当り前だが別件逮捕のことは触れず、戸籍についてのみ終始し、逮捕権の濫用は、おくびにも出さなかった。 公判後、外で待ちかまえていたらしいスポーツ紙の記者一人だけが清水弁護士に「先生、オウムの菊地直子という話は本当ですか」と質問してきた。「ハイ。その通りです」とだけ先生は答え、報道陣から私を守るように、足早で一階正面ではなく地下までエレベーターで降り、タクシーを使って東京駅まで私を送ってくれた。 私を待ちかまえるワイドショーのリポーターたちの側をタクシーで通り過ぎながら「あの人たちはただ人の不幸を取り上げ、真実を追求しようともせず何が楽しいんだろう」と冷ややかな視線を送っていたことが、印象的だった。 二月一六日に東京地方裁判所での判決が下された。白坂川裕之裁判長は検事の求刑通り、懲役一年六カ月、執行猶予三年の判決を私に言い渡した。私は控訴しなかった。 「江里子さん、あなたの犯した罪は消えません。でも、これだけ辛い経験をして、人権について考えさせられたあなたは、今回の事を活字にして下さい。あなたのペンの力に期待しています」 清水琢磨弁護士は笑顔で力強く私にそう言って別れた。当番弁護士だったにもかかわらず、この先生だったからこそ、私は自殺もせず菊地直子さんと最後まで認めず頑張れたのだと深く感謝している。 一泊一五〇〇円の簡易宿泊で 公判の日まで私は今まで住んでいた静岡県へ帰ることは許されなかった。十二月二十七日に保釈はされたが、証拠を隠滅するおそれがあると裁判所が判断したためだ。 警察の捜査情報を鵜呑みにしたメディア報道の結果、「脱税女」とか「ウソつき作家」など嫌がらせの手紙や脅迫めいた葉書、隣の嫌がらせなどの攻撃は、事件から四カ月後、自分の荷物の整理に静岡に帰った時に、初めて知った。 荻窪署の高橋が言う通り、静岡には住んでいられないと思ったし、今まで良くして下さった方との人間関係も、すべて断ち切る決心はすでにしていた。私と関わると、電話の着信履歴を調べられたり、どんな迷惑がかかるか判らない。暴力団関係者たちにだって巻き込まれるかもしれない。私は一三年間築いてきた人間関係を再び断ち切った。本当に今度こそ一人になった。孤独感との戦いである。 現在は住所も定まっておらず、そのため携帯電話も持てず、名前の必要のない日雇いや短期のアルバイトをして日々しのいでいる。留置場で気の合うフィリピン人と友人になれたので、事情を全部話した上で時々泊めてもらったりしている。一泊一五〇〇円で泊まれる簡易宿泊もありがたい。 確かに私は罪を犯した。だが、安倍晋三政権は「再チャレンジ」を公約として掲げている。それならば、再チャレンジをほぼ不可能にする、人間の尊厳を根こそぎ奪う権力濫用による誤認逮捕や別件逮捕、冤罪など国家による犯罪についても考えて頂きたいと願っている。 私は菊地直子さんとして最初に誤認逮捕されていた一件を、静岡の自宅に荷物をとりに帰ったついでに、地元紙である静岡新聞社に持っていった。だが「警察をたたくと記者クラブにおいて今後情報を教えてもらえなくなるから、警察問題は取り上げたくない」との答えだった。同じように数社を当たったが皆同じような対応だった。 「法の支配」や「適正手続きの保障」が日本国憲法の理念なら新聞社は警察に対して、記者クラブを恐れることなく真実を購読者に届ける義務があると思う。 永田町の議員会館に警察問題に取り組む国会議員の先生にも会いに行ったこともある。私だけの問題ではなく警察・検察庁の人権侵害や暴力団追放センターなど警察の天下り先の矛盾点を訴えても、議員秘書が聞くふりだけして三メートル先の控え室にいる国会議員の先生は顔すらみせなかった。 読者の皆様、生意気な表現だが考えて頂ければ幸いである。私たち一般生活者は、痴漢だ、駐車違反だと理由があれば逮捕や罰金等の処分を受ける。当然ではあるが、それはわれわれ一般生活者を警察が怖くないからである。一方で平然と非合法な事をしている暴力団やその関係者に、警察はほとんど何もしない。現に静岡県では暴力団の数が減っている訳ではないし、私が「うちの駐車場に無断で暴力団関係者に盗難車を置かれて困る」と刑事に相談したら「盗難車ぐらいでパクッ(逮捕し)ても仕方がない」と事件着手すらしない。一般人が人さまの車を盗んだら実名報道されて逮捕されるであろうに。 私が菊地直子さんと間違えられたことは、知人が、三つの雑誌とスポーツ紙にインタビューという形で報道してくれた。TBSはオウムに関する事は、よそがやらない限り報道しないとのことだった。報道機関は物事を問い直す力を持っている、それなのになぜ、それをせず、不正や国家権力をふりかざす者に立ち向って真実の追求をしないのか。自分の経験を通じて国に恐怖感を抱いた。 私はオウム真理教の直接の被害者ではないが、菊地直子さんが逮捕されて何かを語るまでオウム真理教事件と報道のあり方、そして人権ということを考え続けていく。 繰り返しになるが私は罪を犯した人間だから、こうなってしまったのも、仕方ないかもしれない。でも、憲法に違反した警察・検察の安易な調書作成などの不正は許されるべきではない。ほかに被害者が生まれないことを、祈るばかりだ。 一〇月に警察庁が最重要容疑者として指定した特別指名手配犯である菊地池直子ら三人の公訴時効は、オウム真理教事件関係者の裁判が続いている限り、停止したままだという。 (本文中一部敬称略) |