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  シルクロードの今を征く Now on the Silk Road

はじめに(Preface)

青山貞一
Teiichi Aoyama  
池田こみち Komichi Ikeda 共編
掲載月日:2015年1月22日 更新:2019年4月〜6月
独立系メディア E−wave Tokyo 無断転載禁


はじめに 西安  兵馬俑1 兵馬俑2 展示1 展示2 展示3 博物院1 博物院2 秦始皇帝陵  楊貴妃墓
大雁塔・大慈恩寺  大雁塔2  大雁塔3  青龍寺1 青龍寺2 青龍寺3 西安古代城壁・西安鐘 西安古城2
陝西省歴史博物館 陝西省歴史博物館2 展示1  展示2  展示3 展示4  展示5  西安国立美術館 敦煌 莫高窟1
莫高窟2 莫高窟3 展示1 展示2  展示3 展示4 展示5 展示6  展示7 展示8 展示9 展示10 展示11 

西千仏洞1 西千仏洞2 鳴沙山・月牙泉 漢代長城1 漢代長城2 玉門関 玉門関2 視察1 視察2 視察3 白馬塔
火焔山 トルファン博物館 トルファン博物館2  展示1  展示2  展示3  展示4  高昌故城1 高昌故城2 高昌故城3
ベゼクリク千仏洞1  ベゼクリク千仏洞2  ベゼクリク千仏洞3  アスタナ古墳1 アスタナ古墳2 アスタナ古墳3
ウルムチ  国際バザール  新疆ウイグル博物館 新疆ウイグル博物館2 展示1  展示2  展示3  展示4  展示5
展示6  展示7  展示8 アルタイ山脈 ゴビ砂漠  イシク・クル湖 南疆線・天山山脈  サマルカンド・ブハラ
 ヘラート フンザ・KKH カイバル峠 イスタンブール  モスク  トプカプ宮殿1  トプカプ宮殿2  トプカプ宮殿3
トプカプ宮殿4 トプカプ宮殿5  トルコイスラム美術博物館  ヴェネツィア
 <ヴェネツィア総合メニュー>


出典:青山貞一・池田こみち 2019 シルクロードの今を往く 

はじめに

 ここでは、青山貞一、池田径による現地調査で撮影した写真やWikimedia Commons、トリップアドバイザーなどの写真それにWikipedia の解説などから現在のシルクロードの要所から要所を旅してみたいと思います。題して、「シルクロードの今を征く」です。

 なお、シルクロードのルートには、草原の道、オアシスの道、その他海路などの諸説がありますが、ここでは主に草原の道及びオアシスの道を想定しています。

 掲載した写真の大部分は現地で撮影したもの以外にWikimedia、Wkipedia、トリップアドバイザーなどのクリエイティブ・コモンズと一部NHKBS3のシルクロードの静止画です。また地図はグーグルマップ、グーグルアース、グーグルマップストリートビュー及びそれらをもとに解説を付けたものです。写真、地図、地図にはそれぞれ出典をつけています。


シルクロード概説

◆シルクロード・草原の道

 中国から北上して、モンゴルやカザフスタンの草原(ステップ地帯)を通り、アラル海やカスピ海の北側から黒海に至る、最も古いとみなされている交易路です。

 この地に住むスキタイや匈奴、突厥といった多くの遊牧民(騎馬民族)が、文化交流の役割をも担っていました。

◆シルクロード・オアシスの道

 東トルキスタンを横切って東西を結ぶ隊商路が、リヒトホーフェンが名付けたところの「シルクロード」です。長安を発って、今日の蘭州市のあたりで黄河を渡り、河西回廊を経て敦煌に至ります。

 ここから先の主要な路線は次の3本です。西トルキスタン(現在のウズベキスタン)、トルクメニスタンなどを含む地域)以西は多数の路線に分岐しています。

 このルート上に住んでいたソグド人が、シルクロード交易を支配していたといわれています。


さまざまなシルクロード      出典:Wikipedia

 下は、西暦1世紀頃のアジアの主な交易推定ルートですが、Mediaパスにはしっかりとサマルカンドの名があります。


西暦1世紀頃のアジアの主な交易ルート  出典:Wikipedia

 下はシルクロードと仏教の広がりの図ですが、見ればサマルカンド、タシケントなどウズベキスタンが丁度、シルクロードの中央にあることが分かります。


出典:仏教への誘い 第11回 シルクロードの仏教
http://todaibussei.or.jp/asahi_buddhism/11.html

海の道

 紅海・アラビア海・インド洋沿岸から、マライ・スマトラ・インドシナ半島沿岸を経て中国南部に至る海上ルート。接岸航行を主としたが、危険性が高く、内陸コースより利用度が低かったと考えられる。唐とイスラム文化圏の成立以後、このルートは活発となった。15 世紀末に始まる新航路の発見以後は、一挙にメインルートの地位を占めるに至った。

青山貞一・池田こみち @シルクロード、中央アジア交易点、サマルカンド



 以下は、日本ウズベキスタン協会の公式Webに見る「シルクロードへの道」の詳細です。

シルクロードとは何か(参考)

 太古以来、アジアとヨーロッパ、アフリカを結んできた、東西交通路に与えられた総称が、「シルクロード」、すなわち絹の道である。

 「シルクロード」という言葉を初めて用いたのは、ドイツの地理学者 F. リヒトホ−フェン(1833 〜 1905 )である。リヒトホ−フェンは 19 世紀後半に中国各地を踏査し、1877 年から中国の地理に関する書物『中国』を著した。

 その第 1 巻の中で、中国と西トルキスタン、および中国と西北インドとの絹貿易を取り結んだ中央アジアの交通路を「ザイデンシュトラーセン( Seidenstrassen )」と呼んだ。「シルクロード( Silk Road )」とは、その英訳である。

 リヒトホ−フェンがこのように名付けた理由は、東西貿易における中国側の最も重要な交易品が絹であったことに目をつけたからだ。リヒトホ−フェンがザイデンシュトラーセンと呼んだ交通路は、西域を通る隊商路を指しており、現在考えられているシルクロードよりもずっと範囲が狭い。

 後に中央アジア全域を調査したスウェーデンのスウェン・ヘディン( 1865 〜 1952 )やイギリスのオーレル・スタイン( 1862 〜 1943 )らは、この交流路が西域のオアシス地帯だけでなく、さらに西のイラン高原からイラク、シリアに出、その後、海路または陸路でローマに至っていたことに着目、中国とローマを結ぶ交易路全体をシルクロードと呼ぶようになった。

 今日では、中国から中央アジア、西アジアを経てイスタンブールやローマに至る交易路全体を指し、さらにユーラシア大陸北方のステップ地帯を通る草原の道や、インド、東南アジアを迂回する海の道も加えるようになった。

 つまりシルクロードは大別すると草原の道、オアシスの道、海の道の 3 つの道から成り立っているのである。しかし狭義にはシルクロードというとオアシスの道を指す場合が多い。


草原の道

 南ロシアの草原地帯から、カザフ高原、天山山麓、モンゴル高原、長城地帯を結ぶ大ステップ地帯をつらぬく最も古い東西交易路。スキタイ、鮮卑、フン、アヴァ−ル、マジャール、突厥、ウイグル、モンゴルなどの遊牧騎馬民族の活躍舞台となる。


南疆鉄道(新疆ウイグル自治区)  出典:NHKBS3シルクロード


アルタイ山脈(カザフスタン他)  出典:NHKBS3シルクロード


イシ・ククル湖(キルギス、天山山脈)   出典:NHKBS3シルクロード

 草原の道では、機動力を利用した騎馬民族が東西に移動して支配権を争うと同時に、中継貿易にも従事した。情報の収集に熱心で、積極的に新しい文化を受け入れようとした遊牧騎馬民族は、東西文化交流のうえで、直接・間接に大きな役割を果たした。スキタイ民族の金属器文化が東アジアに影響を与え、ネストリウス派のキリスト教やマニ教がトルコ系民族に伝えられたのはその例である。

 スキタイ文化の東漸紀元前 8 世紀頃、南ロシアに栄えたスキタイ文化が、ステップ路を経て東漸し、モンゴル高原や華北に大きな影響を残した。紀元前 4 〜 3 世紀に、モンゴル高原には匈奴や丁零の文化がスキタイ文化の影響を受けて生まれ、やがて華北やマンチュリア(中国東北地方)、朝鮮半島に、騎馬民族文化が大きな影響を及ぼした。


●オアシスの道

 リヒトホ−フェンが最初に指摘した中央アジアを東西に横断する道。 中国の古都・長安(現在の西安)から、中央アジアの砂漠を通り、パミール高原を越え、西トルキスタン、イランの砂漠を経て、地中海岸に達し、ここからアナトリアを通るか、地中海経由でイスタンブールまたはローマに達する。


莫高窟(敦煌)  出典:NHKBS3シルクロード


敦煌、莫高窟の位置    出典:グーグルアース

 中央アジアにはゴビ砂漠、タクラマカン砂漠、カラクム砂漠、イラン砂漠など砂漠が多く、点在するオアシス都市が中継地の役割をなす。普通シルクロードというと、この道を指していう。


ベゼクリク千仏洞(新疆ウイグル自治区)  出典:NHKBS3シルクロード


新疆ウイグル自治区のベゼクリク千仏洞の位置    出典:グーグルアース 


アルキン(新疆ウイグル自治区)  出典:NHKBS3シルクロード


タクラマカン砂漠   出典:NHKBS3シルクロード

 張騫が西域事情を中国に伝えてから活発となり、唐代までの東西交渉の主幹線をなした。特に 7 〜 8 世紀にはイラン系のソグド人の貿易活動が盛んであった。


サマルカンド(ウズベキスタン)   出典:NHKBS3シルクロード


サマルカンド(ウズベキスタン)   出典:NHKBS3シルクロード


フンザ(パキスタン北部)   出典:NHKBS3シルクロード


パキスタンのフンザの位置   出典:グーグルアース


カイバル峠(アフガニスタン)    出典:NHKBS3シルクロード


アフガニスタンとパキスタンの国境沿にあるカイバル峠の位置  
   出典:グーグルアース

 
下はサマルカンドからイスタンブルへの徒歩経路です。871時間とあります。


サマルカンドからイスタンブルへの徒歩経路 871時間     出典:グーグルアース

 古く、中国から西方へ生糸や絹が伝えられ、西方からヘレニズム文化やイラン系の文物が、インドから仏教が、おくれてイスラム教が中国に伝えられたのも主としてこの道によっている。


イスタンブール(トルコ)    出典:イスタンブール空港 4K映像
 

イスタンブルの位置    出典:グーグルアース 

 また、インドに赴いて仏教をおさめ、仏典を入手した中国僧の法顕や玄奘、中国に来たヴェネツィアの商人マルコ・ポーロ父子などもこの道を利用した。


ヴェネツィア(イタリア)    出典:青山貞一

 下はイスタンブルからヴェネツィア・ローマ(イタリア)への経路です。 371時間とあります。


ヴェネツィア(イタリア)の位置      出典:グーグルアース


コロッセオ(円形闘技場,ローマ、イタリア)  出典:池田こみち


●海の道

 紅海・アラビア海・インド洋沿岸から、マライ・スマトラ・インドシナ半島沿岸を経て中国南部に至る海上ルート。接岸航行を主としたが、危険性が高く、内陸コースより利用度が低かったと考えられる。唐とイスラム文化圏の成立以後、このルートは活発となった。15 世紀末に始まる新航路の発見以後は、一挙にメインルートの地位を占めるに至った。


マラッカ(ムラカ、マレーシア)     出典:Wikidpedia

 海の道においては、南インドが貿易の重要な中心地となっており、また、マラッカ海峡・インドシナ半島東南部は航海の要衝にあたっていた。北方民族の活動によって陸上交易路が妨げられた 10 世紀(中国の宋代)以後は、ますます海の道が栄えた。


コロンボ(スリランカ)     出典:Wikidpedia

 海の道によって、南方産の象牙・犀角・香辛料(とくに胡椒)などが中国やヨーロッパに運ばれ、中国からは絹・陶磁器・銅銭などが大量に南方諸国に輸出された。また、東南アジアに、インドから仏教・ヒンドゥー教が伝わり、おくれてイスラム教が広まったのも、この海の道によっている。


◆シルクロードの写真ギャラリー

兵馬俑 西安 

  
撮影:青山貞一・池田径 Nikon Coolpix S9900


大雁塔 西安


玄奘三蔵の大雁塔 中国西安
Source:Wikimedia Commons



Xuan Zang 玄奘三蔵
Source:Wikimedia Commons 


鳴沙山・月牙泉
 

中国 鳴沙山・月牙泉
rescent Lake and Pagoda from north / northwest
Source:Wikimedia Commons



Source:From Wikimedia Commons, the free media repository


ベゼクリク千仏洞(トルファン市)


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900


撮影:池田こみち Nikon Coolpix S9900


新疆ウイグル自治区 南疆線鉄道


出典:新疆ウイグル自治区、GATAG|フリー画像・写真素材集 4.0

カシュガル


カシュガル シルクロード1992
Source:From Wikimedia Commons, the free media repository 


カシュガル シルクロード1992
Uploaded by tm fdecomite Source:From Wikimedia Commons, the free media repository 


カザフスタンの古代タラーズ
シルクロード沿いに位置する中世のタラーズの町を描いた芸術的描写
z Source:From Wikimedia Commons, the free media repository   


キャラバンを描いたカタロニアの地図
マルコポーロのキャラバンが1375年にインドを訪問 Coureurs des mers, Poivre d'Arvor. Abraham Cresques, Atlas catalan

カラコルム


シルクロード1992
Source:From Wikimedia Commons, the free media repository


シルクロード1992
 Uploaded by tm Author fdecomite  Source:From Wikimedia Commons, the free media repository


モダリハーン・メドレセ(神学校)の正門、ウズベキスタン、ブハラアブドゥル・ハーンの母を讃えるために1567年に建設されたそれはブハラの偉大な建築者であったアブドラ・カーン(1533-1597)による「コッホ・マドラッサ」または「2つのマドラサ」と呼ばれる2棟の建築物として有名。
Uploaded by russavia  dalbera from Paris, France Source:From Wikimedia Commons, the free media repository

ウズベキスタン


Khiva,, Uzbekistan ヒバ・ウズベキスタン
Source:From Wikimedia Commons, the free media


ヒヴァ、ウズベキスタン。要塞化された宮殿の扉:古い宮殿(クフナ・アルク:Kounia Ark)の後ろには、12世紀に建てられた「白いシェイクの塔」(アク・シェイク・ババ:Ak-Sheikh-Bobo)がある。それは見張り塔でもあり、また、ものみの塔としての役割を果たしていた。 
Source:From Wikimedia Commons, the free media repository


つづく