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欧州紀行奮闘記
(その4:バルセロナ-2)

2002年度 国際ダイオキシン学会

青山 貞一、池田こみち
 環境総合研究所

All rights reserved

8月14日 バルセロナ3日目

 午前中は学会セッションに参加。
 ドイツのパプケ博士が座長をつとめるヒューマンエクスポージャー分科会では、血液中のダイオキシン類濃度と母乳中のダイオキシン類濃度が相関すると言う報告があった。パプケ氏が勤務するエルゴ社には、たばこ中に含まれるダイオキシン類の分析を依頼したことがある。

 摂南大学の宮田教授によれば、母乳中のダイオキシン類濃度は、食事直後にサンプリングすると濃度が高くなるなど、サンプリング段階から課題があるので単純な両者の相互関係があるとすることには批判があるという。

 その後、神奈川県米軍厚木基地に隣接する産業廃棄物の焼却施設、エンバイロテック社のダイオキシン汚染についての発表を聞く。発表者は米国環境保護庁のマシュー氏だ。彼とは所沢の農作物中ダイオキシン汚染問題でほうれん草中の濃度データについて質問を受けたことがある。しかし、会ったのはこの学会が初めてだ。さらに、排ガス連続モニタリングに関してドイツから来ているベッカー社のラインマン氏の発表を聞く。

ヒューマンエクスポージャー分科会
ダイオキシン問題の世界的研究者、
フランク教授夫妻と。昨年は韓国で
お会いしている。
ベッカー社ラインマン氏のAMESA発表

 今日は学会のセッションはお昼まで、夕方4時から学会主催の市内見学がある。
 その前に学会による昼食がある。一端アパルトホテルに戻る。私達が1週間弱宿泊しているバルセロナのホテルは、アパルトホテルと言って値段は通常の中堅ホテルと変わらないが、アパート形式となっていてキッチンがすべてそろっている。つまり自炊ができる。そこでわたくしの部屋で料理をつくることにした。

 幸いホテルの隣に食材屋と言うかスーパーがある。さっそく食材を買いに行く。基本はパスタ料理だ。パスタ、オリーブ油、塩、粉のニンニク、オレガノ、マヨネーズなどの調味料、トマト、トマトソース、タマネギ、キノコ、アスパラガスなどを買い込む。結局これで2人が4回分の豪華な食事をすることになる。値段はあわせて12ユーロ。1400円ほどだ。できあがったパスタ料理はすごくおいしかった。自画自賛。

学会会場があるMONTJUIC公園の丘での青山。
背後にはサクラダファミリアも見える

 市内観光は午後4時なのでまだ早い。ついでに昼寝する。
 午後4時に学会会場にゆく。会場のサイバー・エリアでいつものように持参したリブレットをつなぎ日本からの膨大なメールを受信する。午後4時ちょっとになって、2階建ての大きなバスが何台も会場に横付けされ思い思いに乗り込む。わたくしたちが乗り込んだ大型観光バスには3名の観光案内人が乗り込んだ。

 最初に向かったのは、かの有名なガウディのサクラダ・ファミリア。バルセロナと言えばガウディ。ガウディと言えばサクラダ・ファミリアである。3世紀にわたる建築続行でも有名だが、実物を見るとそのデザインの斬新さと言うか、欧州の他の都市にはないデザインに圧倒される。学会主催の市内観光は午後4時から午後7時までと時間が限られているので、サクラダ・ファミリア内部には入らず、外から現地の若い男性ガイドの英語の説明を聞く。サクラダ・ファミリアはいつ行ってもまさに工事中だそうだが、日本からも建築、構造設計などの専門技術者が来て協力しているとのことだ。

サクラダ・ファミリアの前で 3世紀にわたり建築がつづくサクラダファミリア

 環境総研の同僚、大西行雄氏は夫妻同伴で1ヶ月ちょっと前バルセロナに来ている。
 そこでバルセロナに来る前にいろいろ指南をもらっていた。そのなかにバルセロナは街全体が博物館のようだというのがあった。これは今回バルセロナ以前に訪問した中央、東欧州都市にも通用する言葉だが、とくにバルセロナはその感が強い、と言うか、中世を彷彿とさせる他の都市と違って近代的と言うか前衛的な造形や建築物と中世の町並みがうまく融合していると言う意味で、他の都市とは一線を画している感じがする。

 サクラダ・ファミリアを一通り見学後、ガウディがすんでいたという家などがあるギョエル公園にバスで移動する。場所はサクラダ・ファミリアから北に直線で1.5kmほどだ。30分弱で歩いて行ける距離だが、学会主催ツアーなので一緒にバスで移動する。この公園にはガウディが一時期住宅としていた建物以外に、さまざまなガウディの造形がある。

 なかでも有名なのがドランゴンと呼ばれる造形物だ。と言うのもその後、バルセロナのあちこちで、このドランゴンが絵、写真、レプリカ、ミニアチュアとなって売られていたからだ。そもそもバルセロナという町は、徹底的にガウディをモチーフ、そしてアイデンティティーとした街だが、そのひとつのシンボルが、ギョエル公園にあるドラゴンであることが分かった。ただし、ドラゴンは明らかに間違いで、実際はイグアナのような両生類である。

 ガウディの造形物がある公園にて

 池田さんにわたくしが「この町は徹底的にガウディを食い物にしている観光都市だね」と言うと、彼女は「仕方がないんじゃないの」、そして「日本のようにやたら鉄とコンクリートで土建をするよりよほど良いわ」と言う。まさにその通りだ。プラハにせよ、ウィーンにせよ、最終日直前に行ったザルツブルグにせよ、それぞれ歴史文化をまさに「食い物」にして街が成り立っている。ザルツブルグやウィーンからモーツアルトをとったらどうなるか、ウィーンからマリア・テレーザをとったらどうなるかを考えれば一目瞭然だろう。彼らはいずれもそれらの歴史的文化的遺産を大事にし、それを街が持続的(サステイナブル)に生き残る糧にしているのだ。

有名なガウディのドラゴン

 バルセロナで強く感じたのは、ガウディの存在の故か、中世の街そのままのカテドラルを中心としたゴシック街と現代をうまく融合させている点だ。具体的には、たとえば私達の学会会場があるバルセロナ市市街地の西はずれにあるMontjuic公園のように、中世と現代を造形的、景観的、さらに建築、都市デザイン的に非常にうまく調和、融合させている。ソフト的にも古い建築物、遺跡、遺産を外観をそのままに歴史、文化、芸術の博物館として最大限活用している。もっぱら、これはバルセロナに限ったことではない。

どこもかしこもガウディ!

 好天だったことも幸いし、ギョエル公園からのバルセロナ市内はこれまたすばらしい景観の一言だった。
 そのギョエル公園を後に、学会主催観光バスは、バルセロナの一番の中心地であるカテドラルのあるゴシック広場周辺を通り、港に向かった。本当はこここそ歩いて見学するべきところだが、時間の都合で通るだけとなった。港までの距離は、直線距離で4kmほどだ。桟橋などがあるバルセロナ港でそのままバスでセッション会場がある地点まで戻るひとと、ここで降り自由に見学し、自分でそれぞれのホテルに帰る人とに若得た。わたくしたちは後者を選んだ。この港にもたくさんの造形物がある。歴史的な建造物と超近代的な建築物がやはりうまく調和している。唯一、スペイン海軍の高層ビルだけが異質、異様な面構えをして忽然と立っていた。

 わたくしたちは港から広いパラレル通りに沿ってホテルに徒歩でもどることにした。2.5kmの距離だ。歩けば疲れるが、さりとてタクシーを使っているとせっかくの町並みも店も、ひとの暮らしぶりも何も見えない。パラレル通りと私達のホテルが面するカラブリア通りがぶつかるところまで行き、カラブリア通りを北上した。ぶらぶら歩いたこともあり、JoanMiro公園の隣にあるホテルまで1時間弱かかった。途中、ゴミの収集ステーションはじめ歩かなければ見れないものが多数見れた。ホテルの隣で今日は大きなズッキーニを3個買い、昨日の残りの食材でパスタで夕食を作って食べる。

8月15日 バルセロナ4日目

 15日は当初予定では、日帰りでスペインにある隣の都市、バレンシアに行く予定だったが、列車の時刻表など準備不足もあり、学会主催の市内見学では見れないところを見て回ることとした。

 ホテルでいつもの朝食を撮った後、午前中は地下鉄でロカフォルトからカタルニアまで行き、ゴジック街、カテドラルなどをじっくり歩いて見て回ることにした。ロカフォルトの駅でT-10と言って地下鉄が10回乗れるいわば回数券を買った。これは5ユーロちょっとである。市内はどこまで行っても1回は1回なので、1回わずか60-70円というのは日本に比べるとめちゃくちゃ安い。もちろん、もっと長い滞在ならバルセロナカードなどを買った方が良いだろう。バルセロナの地下鉄は自動改札でキップや回数券を入れると、改札口が開く。一方でる場合は一方通行的に自由にでられる。

 地下鉄のカタルニア駅周辺は、バルセロナの超繁華街だ。そのさらに中心地が通称、ゴシック街と呼ばれる細い路地が迷路のように入り組んだ中世さながらの歴史街区である。

カテドラル横の広場でギターを演奏

 教会、博物館など以外でも、大部分の建造物は今でも1階はレストランやブティック、おみやげや、2階以上は住宅などとして利用しているようだ。そして入り組んだゴシック街のあちこちにある小さな広場では、世界中から集まってきたミュージシャンが思い思いに楽器を演奏している。いずれも生演奏、実力派である。とくにカテドラル周辺に多い。ここで石段に腰掛けながら、生ギターでアルハンブラの思い出などを聞くと、本当に来て良かったと感じる。

 ゴシック街をあとにランブラス通りを横切り、海側にでるが、日照りが激しいので昼食を兼ね一端、アパルトホテルにもどり自作の昼食を作り食べる。簡易式のパスタだが、これがうまい。昨日の残りの食材でパスタで夕食を作って食べる。今日はトマト味ではなく、マギーのコンソメ固形スープ、塩、ニンニク、オレガノなどで味を付けた簡易パスタだ。

 午後は、昨日から池田さんが気にしていたバルセロナの北にそびえる山の頂上に行くこととする。
 アパルトホテルで貰った地図と、地下鉄回数券だけが頼りだ。まずホテル近くの地下鉄駅、ロカフォルト駅からL1ラインでカタロニア駅まで行く。ここで市内を南北に走る地下鉄道に乗り換えAV チビダボ駅まで行く。この南北線にも回数券が通用する。AV チビダボと言う駅名がなんとの滑稽で、かわいらしい。

 この駅はかなり急な坂の途中にあり、すでに多くの観光客がフニクラーという登山鉄道の駅に通ずる路面電車を待っていた。かなり暑い。路面電車の終点駅にくっついてあるアイスクリーム屋さんで1本2ユーロ弱のアイスを買う。そうこうしているうちに、フニクラー駅まで行く路面電車が到着。この路面電車には回数券は通用しないので往復切符を購入し乗車する。ちょうどサンフランシスコの路面電車のようだ。高級住宅地とおぼしき急斜面の道を小さな路面電車が上って行く。その終点が、フニクラー駅である。

 フニクラー駅から頂上のチビダボまでは、まさに登山電車となる。もちろん、自家用車などで頂上まで登ることは可能だが、一般の観光客はみなこの登山電車を使うことになる。ここでも往復切符を買う。距離は数100mだが、何と言っても急斜面。30分に1本の登山電車で頂上に着く。 

 チビダボ山頂に行く登山電車(左)とそこまであがってくる路面電車。

 頂上について分かったのだが、このチビダボには子供用に大規模な遊園地、それもジェットコースターや大観覧車などがある本格的な遊園地があった。後でドイツから来ている友人に聞くと、入園料だけで子供1人が2500円ほどかかるので、子供が多いと入園料だけで結構な額になると言う。確かにその上で何度も本格的な乗り物に乗ると4人か族ですぐに2−3万円になってしまう。ドイツ人は金銭感覚にすごくしっかりしていて、あれこれ具体れをあげて教えてくれた。

 チビダボには遊園地だけでなく、建立後100年経ったという小さな教会のカテドラルがあった。何しろ池田さんが教会に入るのが好きなこともあり、すぐに中に入る。小さいが荘厳な感じの教会だ。またこのチビダボから見るバルセロナの街は出色だ。天気も上々で遠くまでよく見える。チビダボやそのすぐ隣には、バルセロナのテレビ局、ラジオ局などのアンテナがそびえている。さらにチビダボに登山電車であがってくる途中に煙突があったが、ドイツ人の友人によるとそこがバルセロナ市のゴミ焼却施設の一つだという。どうしてもゴミ問題に目がいってしまう。

チビダボ頂上の小さな教会

 夕方までチビダボにいて往復切符の残りをつかい、フニクラーまで降り、さらに路面電車でAV チビダボまで戻る。ここからは回数券を使ってアパルトホテルがあるロカフォルト駅まで帰る。カラブリア通りに面し前から気になっている高級食材屋がある。そこで夕食はそこで何品か買って、残りの食材でスープを作り食べることにした。

 食材屋では、スペイン語で言うアロス、米を使ったサラダと、超本格的な海鮮料理を秤売りで買った。海鮮料理は鱈の白身、エビ、ムール貝、アサリ、ハマグリなどが入っている。2人分で何と27ユーロとなった。今まで料理に使っていた食材は調味料からオリーブ油、パスタ、野菜などをすべてあわせて14ユーロ程度なので、買った料理はかなり高い。よほどおいしいだろう。 

 高級食材屋さんで買ったピラフと魚介

 アパルトホテルでいつものように、キッチンを使って夕食をつくる。買ってきた海鮮料理に火を入れ、アロスのサラダ、さらに残った食材でトマト味のパスタ入りスープを作る。食べるとやはり高額だけあって、高級食材屋の料理はうまい。とくに鱈の白身はいまだかつてこれほどおいしい魚料理にであったことがないほどおいしかった。高いだけのことはある。


8月16日 バルセロナ5日目

 いつものようにアパルトホテルで朝食。国際ダイオキシン学会の公式行事は今日までだ。

 午前中は国際ダイオキシン学会の各分科会の総括セッションがある。午前9時より一番大きな会議室に全員が参加して総括セッションがはじまる。7つの分科会の座長からそれぞれ10分ずつの総括報告がある。いずれも重要なものばかりだが、とくにバルセロナ大会では、欧州連合の食品及び飼料に含まれるダイオキシン類の濃度規制指針、具体的には最大許容値、行動指針値、目標値の設定が私達の大きな関心事であった。

 最大許容値はすでにこの2002年7月1日より施行されている。さらに2004年12月31日を目途に、早期警戒値としての役割を持つ行動指針値、さらに目標値が決められる。会議では暫定値としてでている早期警戒値としての行動指針値がさらに2〜3倍厳しい値となるだろうとの見通しが示された。これらはすべて食品単品、たとえば牛肉、豚肉、鶏肉、牛乳、魚介類、飼料、果物、野菜、穀類などの単品の食品ないし飼料に対する基準、指針として示されるところに大きな意義がある。

 それ以外にもダイオキシンの毒性分科会、人間へのダイオキシン暴露分科会、大気、水、土壌など環境におけるダイオキシン類の濃度レベル分科会、排ガス対策分科会、地中海のダイオキシン類等の難分解有機化合物分科会などからの報告があった。
 それぞれわずか10分の総括報告だが、これほど10分が長く感じたと言うか、10分あればこれだけ多くのことが話せるのかと感じたことはなかった。

 分科会の総括終了後は、学生、大学院生らの論文発表のなかでとくにすぐれたものの表彰と、2003年、すなわち来年の開催地である米国のボストンからの挨拶などがあって、国際学会は終了した。

 16日夕方6時に、学会開催会場の近く、スペイン広場に面するプラザホテルでベッカー社のラインマン氏と待ち合わせて仕事の打ち合わせがあるが、それまで4時間ほどある。そこで午後はバルセロナの第三回目の視察にでた。池田さんの提案でバルセロナの河川が見たいと言うことになり、市内の東端にある河川を見学した。名前はベソス川だ。いつものようにロカフォルト駅からL1の地下鉄に乗車、東側の終点に近いバロ・デ・ビベールという地図上で川にもっとも近い地下鉄駅まで行く。

 乗り換えなしだ。地上に出てびっくり、川はあったが、周辺は新興住宅地で何もない。10分くらい炎天下川をみて、再度中心部に戻る。ゴシック街を中心にじっくり歩こうと言うことになり、地下鉄で再度、カタルニアに行く。ランブラス通りも歩く。ゴシック街のおみやげやにも入る。そのうちの一店でおみやげを買う。さらにカテドラル周辺にくると、そそかしこでストリート・ミュージシャンが生演奏をしている。

 中国の北京からきたという2人の学生風のギタリストの演奏する曲に聴き入る。すでにかなりスペインに滞在しているらしく、スペイン国内でCDも出している。おそらく自費製作だと思う。それをひとつ12ユーロで買って貰う。

カテドラルでのミサ
ゴシック街の路地。1階におみやげ
やなどが入っている。

 1時間くらい聞いた後、CDを買った。必ずサインをして貰うようにしているので、彼らにもサインをしてもらう。漢字である。前回、同じ場所でひとりでギターを弾いていたおじさんからもCDを買った賀、本人の生演奏で内容を確かめた上でCDが買えるのはありがたい。

 午後6時が近づいてきたので、スペイン広場にあるプラザホテルにラインマン氏に仕事で会いに行く。会合終了後、一度行ったことのある中国料理に彼を招待し夕食とする。

 3人で22ユーロというコースがあるので注文する。ビール3人分、食後のコーヒーなどをあわせ34ユーロ、4000円ちょっとと、信じられない安さだ。料理は5-6品がでたし、味も悪くない。ドイツのラインマン氏も喜んでくれた。いよいよ明日は今回の旅の締めのザルツブルグだ。果たして洪水被害はないのだろうか。そもそもザルツブルグに行けるのかも心配だ。


その5につづく