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長編ドキュメント映画批評

ダーウィンの悪夢
へのコメント

島津英世
在ケニア・アフリカ

2006年8月21日


青山さん、お久しぶりです。 

興味深い映画のご紹介ありがとうございます。

 島津英世@キスム、ケニアです。

 アフリカを扱ったものと言えば、報道番組を含め、妙に誇張されたものや、あるいはまるで神様のような第三者の目で描いたものが多く、リアリティーがないと常に感じていましたので、とても楽しみです。

 実は昨年より、ヴィクトリア湖畔のニャンド県とホマベイ県の仕事に携わっています。公式の数字でも妊産婦のHIVポジティヴの率が3割を超え、子どもたちの1/3が孤児(片親を含む)という地域です。

 村で聞き取りをしていても、若くして亡くなった人たちの多さに圧倒されます。

 ナイル・パーチはキスムではインド系(クリスチャン)ケニア人、ホマベイではイスラエルの工場が加工してヨーロッパや日本に輸出されている訳ですが、ここ数年、急激に水揚げが減少しています。

 その原因が私にはわからないのですが、その映画で説明されているのでしょうか。

 また地元の人たちはナイル・パーチなどほとんど食べませんから、問題はむしろご馳走のティラピアか、日常的に食べるオメナという小魚の減少です。 これがまたここ数年まったく獲れないのです。

 各国政府は厳しい魚網規制(目が5インチ以上)を導入しており、規制自体はかなり成果を挙げています。 実際に魚網を焼いたり、漁業官が実力行使に出ているからです。 けれどもそれから2年経っても漁獲高は減る一方で、漁村は死んだような状態です。

 内湾ではもうオメナが獲れないので、猟師は外のソバ県などに移動しています。

 そのような地域で県の開発プログラムや生計向上に関わっているのですが、バリンゴ県の半乾燥地の厳しい環境を見てきた私には、このルオの地域が統計上はなぜケニアでも最下位を争うような貧困地域なのかがわからないというのも実感です。 

 ただ、生活を改善するということに対する障害があることも少しずつわかってきました。 もともとスーダンで遊牧生活を送って来た人たちがケニアなどで定着したことによって、その生存戦略が環境に合わなくなってしまっているのです。

 彼らがクランを意味する言葉には曽祖父を共通にするanyuola、家あるいはカマドを共通にするdhot、それから共通の場所に住むgwengがあるのですが、それぞれ時間軸・空間軸が明確ではなく、しかも互換的に使われているのです。

 けれども、聞き取りをしているうちに、実はこの三つが全く違う概念であること、そしてそれが定住とともに使われ始めたらしいことがわかって来ました。

 遊牧生活をしていた時にはanyuolaしかなかったのが、定住したことでdhotやgwengが出てきたというのが我々(生江明さんと私)の仮説です。

 遊牧系でバラバラに住んでいるときには、gwengという概念はなかったのではないか、生江さんの言葉を借りると「ルオがケニアのこの地に定住したことで『属人集団』が『属地集団』に変わったことを示すのではないか」ということになります。

 一方、anyuolaというのは「共通の曽祖父を持つ家族」が語源でありhomesteadを単位とする定義であるのに対して、dhotというのは「同じ家に住む(カマドを共通にする)家族」が語源でありhouseholdを単位とする定義だということはわかっていたのですが、それ以上は踏み込めませんでした。

 ところがある家で「anyuolaは男の単位、dhotは女の単位」と言うのを聞いてピンと来ました。

 dhotと言うのは、恐らく多妻だった人たちが定住したから必要になった概念なのです。

 遊牧系であちこちに夫人がいる場合には、それぞれが家畜などの財産を持ちかなり独立した形で生活していますから、父親が同じでも母親が違えば相互の関係はそれほど問題にならないだろうと考えられます。

 ところが定住して同じhomesteadに住むとなるとそうは行かなくなります。 そのためにdhotの概念(同じdhotの中では結婚してはいけない)が出てきたのではないかということです。 一県が同じクランというRachuonyo県の場合、曽祖父ではなく七人の夫人の名前がdhotになっているのがその現れです。

 定住によって、「共通の曽祖父を持つ」という概念に加えて、「共通の母を持つ」という概念が必要になったのです。

 であれば、スーダンにいたときにはクランを表現する際にdhot(共通の母)という概念もgweng(同じ場所)という概念もなく、anyuola(共通の曽祖父)しかなかったのではないかということになります。

 それが定住して、同じhomesteadの中に複数の夫人とその子どもたちが住むようになって、anyuplaの中に複数のdhot(共通の母)が定義され、さらに時とともにanyuplaが拡大する中で「自然村」を意味すると考えられるgweng(同じ場所)が定義されたというのが我々の仮説です。

 遊牧生活をしていたときには、時間軸も空間軸ももなしにanyuolaという言葉一つでクランが定義されていたのが、定住することでdhotやgwengが必要になったということではないかと思います。

 ルオに特有のhomesteadの構造(第一夫人の家、第二夫人の家…、長男の家、三男の家…、次男の家、四男の家…とマトリックスのように並んでいること)やクランの中での順位も、定住によって起こった緊張関係・摩擦を回避するための苦肉の策だったのではないでしょうか。 いわゆるwitchcraftやchira(一種の祟り。痩せ細って挙句の果ては死ぬと言われる)も同じような生活の知恵だったのかも知れません。

 けれども、これらの掟が、定住化での生活の向上には足かせになっているというのがいまの我々の分析です。

 下記のブログに当地の写真を載せていますので、ご興味があれば…。

http://axbxcx.cocolog-nifty.com/axbxcx/