エントランスへはここをクリック   

長編ドキュメント映画批評

ダーウィンの悪夢
へのコメント(2)

島津英世
在ケニア・アフリカ

2006年8月21日


青山貞一さま

 早速のレス、ありがとうございます。

 島津英世@ヴィクトリア湖を見下ろすキスムのホテルの一室です。

  いま、田植えから戻って来たところです。 こちらの稲作はばら撒く(broadcasting)だけで、線状植え(line transplanting)しないのが普通ですが、キーファーマーによる普及活動の一貫として苗床作りや線状植えをやっています。

 上記について、島津さんから以下の訂正要望が来ました。
  
 さきほど、「こちらの稲作はばら撒く(broadcasting)だけで、線状植え(line transplanting)しないのが普通ですが、キーファーマーによる普及活動の一貫として苗床作りや線状植えをやっています。」と書きましたが、専門の人に訊いたところ間違っていたことがわかりましたので、訂正させてください。

 ばら撒く(broadcasting)と言うとタネをそのままばら撒くことになってしまいますが、ここの人たちがやっているのは一応苗代(のようなもの)を作った上でランダムに田植えをしているということだそうです。

 また上述で苗床作りと書いたのは苗代作り、線状植えと書いたのは正状植えの間違いです。 失礼しました。

 私も初めてアフリカに来たのが1999年(ウガンダの環境管理局(NEMA)に短期専門家で入りました)ですから、詳しいという訳ではありません。

 ただ、その後、1999-2002年とケニアの半乾燥地バリンゴ県、2003-2004年とマラウイの小規模灌漑(外からモノを持ち込まず、木と粘土と草の堰に素掘りの水路で誰でもできる灌漑。1年目23ヶ所が2年目には260ヶ所を超えました)、そして2005年からはヴィクトリア湖畔のニャンド県・ホマベイ県の開発プログラムと、幸運にも続けてアフリカの農村開発に関わって来ました。

 担当も参加型開発、農村社会などと変わりませんでしたから、連続性を持って勉強することができました。

 さて、さきほどのメールで「生活向上には足かせになっている」かも知れないと書いたのは、farmer-to-farmerの普及が極めて遅いように見えるからです。

 ルオの人たちは成功事例を見てもなかなか真似をするということをしませんが、それにはhomesteadの中での順位(母屋に向かって左側に長男、三男、五男…、右側に次男、四男、六男…というように順番に家を建てたりします)、あるいはanyuola(一種のクラン)の中での順位が厳しくあるために、順位を超えて突出することが許されないという掟があるからではないかと推察しています。

 もう一つの大きな理由は、ハンティング・カルチャーにあると思います。

 生江さんに言わせると狩猟型農業ということになるのですが、いつ雨が降るかわからないところでは、たとえ農業をやるとしても計画を立てることなどできません。

 雨が降ったらタネをちょっと蒔く、それでダメなら次の雨にまたちょっと蒔くということを何度か繰り返しますし、灌漑をするにしても畑をあちこちに持って、その年に水が来たところを耕すということをします。

 つまり、獲物を待つハンターのように、雨が降ったら飛びつくけれど、いつもはじっとして待っている、ただし常に注意は集中していていつでも飛びつける態勢にあるのです。

 それがカレンダー通りにコツコツ働くことに慣れた農耕民族の我々には「怠けている」と見えがちなのですが、決してそうではありません。 90%の確率の元での生存戦略と20%か30%の確率の元での生存戦略とは違うというだけのことです。

 またルオの人たちは祟りのようなことを根強く信じれており、掟に反するとchira(一種の祟り。痩せ細って挙句の果ては死ぬと言われる)になるとみなが思っています。

 HIV/AIDSへの対策が遅れたのも、AIDSをchiraだと思ってしまったからだと言われています。

 また、漁師と女性の魚の仲買人(fish mongers)の間にはfish for sexあるいはsex for fishの関係があったり、さらに未亡人に対してwife inheritance、wife cleansingを行うこともHIV/AIDSを広めました。

 一昨年まで関わっていたマラウイも平均余命が30代前半と言われていましたが、ケニアのヴィクトリア湖畔も平均余命が10年以上短くなって、30代半ばになっているのではないかと思います。

さて、本題ですが、東アフリカ諸国が本格的に魚網規制に入ったのは2年くらい前ですから、おっしゃるようにその映画は規制前に撮られていたのでしょう。

 ちなみにケニアのヴィクトリア湖でのナイルパーチ(導入されたのは1958年)の漁獲量は、1970年代まで2〜3万トン/年程度だったのが1980年代前半に5万トン/年、1980年代後半には10万トン/年を超える爆発的な伸びを示します。

 その後1990年代は15万トン〜20万トン/年で推移するものの1999年の20万トンをピークに減少に転じ、2002年にはまた10万トン/年の水準に戻っています。

またニャンド県で見ると、ナイルパーチは1999年の約850トン/年がピークで、2002年以降は400トン/年を超える程度です。

 一番厳しいのはルオの人たちが日常的に食べる小魚オメナで、1999年に1,400トン/年近くあったものが2001年には1,000トン/年、2002年以降は400トン/年以下まで落ちてしまったのです。 オメナを獲ていた人たちが他の県に移動せざるを得なかったのもわかります。

 ところで、ナイルパーチは日本のスーパーでも売っていますし、私にはタラなどの白身魚と区別がつきません(某ハンバーガー・チェーンがナイルパーチを使っているという噂が流れたことがありますが、事実ではないようです。ただタルタルソースでもつけら私には違いがわかりません)が、地元の人たちが食べないのは保守的な味覚に合わないという面もあると思います。

 地元のホテルでは30cmくらいのティラピアとナイルパーチ(こちらは大きくなると1mを楽に超えますから切り身)の値段が200〜300シリング(300円〜450円)くらいとほとんど値段が変わらないからです。

 地元の人たちが行くレストランでも、50cmを超える大きなティラピア(2人か3人でも十分)は400シリング(600円)以上しますから、ナイルパーチも切り身なら買えない訳ではないのです。 

 またナイロビのレストランにはナイルパーチが普通にあります。
 
 それから、ナイルパーチを加工している工場の回りには、話しかけるのも怖いようなfish mongersのおばさまたちがたくさんいますが、彼女たちは切り身を取った後のナイルパーチのスケルトンを1シリングで買って、ディープフライにして売っています。

 油が強いのですが、結構いけます。

 最後に、田舎のお金の感覚について書いておきますと、サトウキビ畑の草取りなら1日30シリング、収穫なら100シリング、魚や農作物を売っている女性たちの1日の儲けも30シリング程度です。

 一方、現場の役人の月給は諸手当てを含めて6千〜1万シリングというところでしょうか。

  ドナーや国際NGOが、その5倍10倍は当たり前、ときには20倍というようなお金を出しているのが「ドナー経済」と言われてしまう所以です。 それでは自立発展性はもちろん、持続性すらないのはもちろんですが…。

 現実的な対応として、そういうことをまったくしないのは不可能ですが、できるだけやめたい、できるだけ自立発展的な方向を目指したいと思っていますし、パイロット・プロジェクトの中核には孤児院やVCT(Voluntary Consulting and Testing、HIV/AIDSのための施設))を置くことを試行しています。 そのような施設の収入向上と罹患者の栄養改善、農業普及を組み合わせるやり方です。

島津英世@キスム、ケニア