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長編ドキュメント映画批評

ダーウィンの悪夢
〜東アフリカ直送メッセージ〜

島津英世

在ケニア・アフリカ

2007年1月6日



島津英世氏からのメッセージ寄稿について


 メッセージを寄せてくれた島津氏は何10年も前からの友人で、アフリカ諸国への社会経済協力で永年アフリカ東部地域に現地に滞在している。

 たまたま私(青山貞一)が当初、配給会社から試写を見た上でオフィシャルパンフレットに掲載する意見を頼まれとき、その素案を環境アセスメント学会のメーリングリストに掲載した。

 それをみた島津氏が現地から貴重な意見を送られた。今回も本稿送付以前に、現地の詳細をしたため私に数度にわたり意見を送ってくれた。

 そこで、ぜひ、映画を見た上でメッセージを書き送って欲しいとお願いしたところ、以下のメッセージを先ほどケニアから送ってきてくれた。

 すでに「ダーウィンの悪夢」は封切られており、多くのコメントが新聞、雑誌等に寄せられ、インターネットメディアにもあるが、やはり現地に永年在住する島津さんのような方からの意見は傾聴に値するし、大切にしなければならないと思う。

               青山貞一

 青山のオフィシャルコメント及び池田らのコラムは以下。
            独立系メディア:文化


 遅蒔きながら「ダーウィンの悪夢」を観ました。

 この映画を観た友人・知人から「スゴイ映画だ」「こんなに酷い情況なのか」という大きな反響がある一方で、地元に詳しい人からは批判的なコメントもありましたので、実際どうなのかとても気になっていました。

 考えてみれば、こういう視点、特にアフリカが舞台のドキュメンタリー映画というのはほとんどなかった訳ですから、そういう映画を作ったということだけでも賞賛に値するでしょう。

 これがキッカケになって、ナイルパーチにせよ、アフリカの食糧問題にせよ、グローバリゼーションのもたらす不公正・不平等にせよ、関心を持ってくださる方が増えるのであれば素晴らしいことではないかと思います。

 ただ、やはりいろいろ引っ掛かる点があるというのが正直なところです。


 まず全体を通して言えるのは材料が未消化なままだというところです。

 特に気になるのはナイルパーチがビクトリア湖の生態系に引き起こした問題について詳しい説明がないこと、地元の人たちの生活により大きな影響を持つと思われるティラピア(これも外来種)、オメナ(小魚)についてまったく触れられていないことです。

 私はケニア側のことしか知りませんが、イギリス人によってナイルパーチが導入されたのは
1958年で、ケニアの漁獲量は1970年代まで23万トン/年程度だったのが1980年代前半に5万トン/年、1980年代後半には10万トン/年を超える爆発的な伸びを示します。

 その後
1990年代は15万トン〜20万トン/年で推移するものの1999年の20万トンをピークに減少に転じ、2002年にはまた10万トン/年の水準に戻っています。 いまはもっと減っているでしょう。

 そのため、ビクトリア湖沿岸各国は数年前から
5インチの魚網規制を布いており、漁業オフィサーが実際に違法な魚網を焼き捨てるというような強い手段に出ていますが、本当に効果があったという話は聞きません。

 いずれにせよ、そのような背景、また科学者たちがどのような分析をしているか、どのような対策が取られているかについては、説明があるべきだったろうと思いました。


 また流通の問題もあって工場で加工された切り身のナイルパーチは町で売られることはあっても村には帰って来ませんし、大きなナイルパーチは沖に出ないと獲れませんから岸の近くで漁をする人たちは主にティラピアやオメナで生計を立てています。

 つまり、「ナイルパーチの悪夢」(生態系破壊)の大きな側面は、ナイルパーチが直接もたらした負の影響だけではなく、ティラピアやオメナが獲れなくなったことにあるのではないかと思うのです。

 実は私自身、形のわからないナイルパーチの切り身の揚げ物より、新鮮なティラピアを丸まま揚げたものの方がよほど美味しいと思うのですが、ティラピアはどこの食堂にもありますし、村々に流通しています。

 安いかと言えばそうでもなくて、田舎の食堂でも
1ドル、キスムの浜の食堂が並んだところ(海水浴場の海の家が何十軒も並んだような感じ)では大き目のティラピアの丸揚げを3ドル、4ドルで出しています。 その浜の食堂街がいつ行っても満員なのです。

 一方、オメナはビクトリア湖畔のルオ族の貴重な蛋白源です。 鶏は月に
1回食べられればよい方、ヤギや牛は年に何回か食べられればよい方という大方の農民にとって、毎週食べられるオメナはとても重要なのです。

 ところがそのオメナの漁獲量が激減しています。 私が聞き取りに行っている浜は、それが原因で多くの漁師が隣の県(湾の外)に移動してしまったため、寂れてしまいました。 ですから、もし普通の村の人たちに訊いていれば、間違いなくティラピアやオメナのことを話したはずです。


 未消化になってしまったもう一つの原因はナイルパーチの問題と武器密輸の問題を絡ませようとし過ぎたことだと思うのですが、私はそれよりむしろ旧植民地のモノカルチャーや飢饉の原因、食糧援助の問題点などと絡めて、グローバリゼーションと食糧問題を地道に追った方が説得力のある物語になったような気がしました。

 例えば地元の人が食べ(られ)ないのはナイルパーチだけではありません。

 ガーナでカカオを作っている人たちがチョコレートを知らなかったりしますし、米を食べなくても灌漑稲作をやっている人たちもいます。輸出用の野菜やバラなどもそうでしょう。

 それらの功罪についても語るべきだろうと思います。またタンザニアのことは知りませんが、飢饉の背景としては構造調整による民営化で種子が流通しなくなったとか、日本より高い化学肥料に対する補助金が打ち切られたとか、農産物を国が買い上げられなくなったとかいうショック療法による人災の面も大きいと思うのです。

 食糧援助でも、必要もないのに援助物資が配られる、地元の人たちが好まないものが本国で余っているという理由で送られてくる、依存体質を作るばかりで内発的(自立的)発展の次のステップにつながらないなどの問題があると思います。


 全体としてもう一つ気になったのは、地元の人たちへの愛情?のようなものがあまり感じられないということです。 ダークサイドばかり撮ったという印象です。

 魚のスケルトンに蛆が湧いているシーンや、ストリートチルドレンが食べ物を争うところ、発泡スチロールを溶かしたものをシンナーのように吸引するシーンなどは不自然と言うか、演出(脚本に合わせて編集することも含めてですが)過剰だと思いました。

 映画のチラシに使った写真もよくないと思うのですが、子どものあの顔を見たら命に関わるようなことだと思うのが普通でしょう。でも実はそうではありませんでした


 ナイルパーチのスケルトンのディープフライは私も食べたことがありますが、結構いけます。また私の知っている限りでは、女性たちが工場の前に並んで待っていてスケルトンを奪い合うように買い取っていますから、蛆が湧くような状態になるのはあっても例外的か、あるいは別の目的に使われるときなのではないかと思いました。


 それと元兵士という水産研究所のガードマン(日当1ドル)が一人で相当たくさんのセリフをしゃべったような気がしますし、他に登場するのはロシア人の輸送機乗務員、娼婦にストリートチルドレン、インド人経営者、水産関係の女性たち、若いジャーナリストということで、何だか地元の普通の人たちが誰一人として物語を語っていないような気がします。

 取材先が極めて限られているように見えるのです。またストリートチルドレンは、村から出て来たとか、父親が農業をやめて漁業を始めた、両親が
HIV/AIDSで亡くなったなどというような重要な事実を話しているのですから、そこに取材に行っていれば、もっともっと奥行きのある作品が撮れたでしょう。

 最後にHIV/AIDSですが、私のいる地域はHIV+の妊産婦が公式の記録で3割に達することもあり、45人に1人が孤児(片親も含む)という状態です。

 そしてなぜそこまで拡がったのかについて、地域的な分布からいくつかの仮説を立てることができると思います。

(1)漁村の感染率が高い、
(2)出稼ぎ(ナイロビ、モンバサなど)の多い地区の感染率が高い、
(3)
土木工事などの現場周辺で感染率が高い、
(4)
同じ村の中でもクランによってかなり偏りがある

 漁村については、漁師と仲買人の女性たち(fish mongers)との間のfish for sexが原因だと言う人が多いのですが、私にはまだ確信が持てません。

 またビクトリア湖畔のルオ族全体について言えば、伝統的な
wife inheritance, wife cleansingが影響していたと思いますし、HIV/AIDSを祟り(伝統的にチラと呼ばれ、痩せ衰えていずれは死んでしまうような状態)だと思ったことが対策を遅らせたというのも確かではないかと思うのですが

 いずれにせよ人の流動性が大きな要因なのは間違いないと思っています。 それからストリートチルドレンを取り上げるのであれば、彼らがどこから来たのか、そして村々では孤児を預かっていない家はないような状態にあり、孤児の両親の兄弟姉妹・親・親戚という形での共同体のセーフティネットが限界を超えてしまったという辺りに踏み込んで欲しかったところです。


 以上、私の目から気になったところを書かせて頂きました。

 ビクトリア湖畔にいるとは言え国が違いますし、撮影現場を知らないで書いていますので、勘違いも多いかとは思いますが、ご参考まで。

 島津英世@キスム