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 韓国の新聞は人質問題をどう伝えたか?

掲載日:2004.4.22

 今回のイラクにおける日本人3名の拘束(人質)問題を隣国、韓国の新聞各紙はどう伝えたか、まず韓国の主要3各紙の記事を見てみよう。


東亜日報(4月20日)

罪人のようにーーー釈放日本人たち、肩を落として帰国。

「手錠をしていないだけで、彼らの様子は極秘裏に海外から移送された犯罪人と変わりがなかった。イラクで武装勢力の手によって拘束され、一週間後に釈放された日本人のことである。日本時間で18日夜、日本に帰国した様子をCNNで見ると、何かおかしいと感じたのは私だけではないはずだ。バグダッドのホテルで帰国の様子を私と一緒に見ていたイラク人は”彼らは英雄のように歓迎されることはあっても、あのように犯罪人のようにコソコソ帰るなんておかしいじゃないか”と興奮気味に私に訴えた。

殺害される危険と直面しながら無事に帰還できた喜びすら正直に表現できない国なんて民主主義ではないと言うのだ。イラク人は日本のことを好意的に感じているのだが、今回の日本人人質に対する日本政府やマスコミの扱いに対してはイラク人は非常に憤慨している。テレビで見ると、帰国した日本人人質たちは一様に沈痛な表情をしている。彼らの両親や家族なども再会の喜びを表現できずに、ただひたすら、”ご迷惑をおかけして申し訳ありません”と謝り通しだったという。

その後さらに釈放された二人の日本人の場合にも同じことが言える。そのうちの一人、ミスターヤスダは私と同じフリーランスのジャーナリストである。昨年三月にバグダッドで一緒に写真を撮って欲しいと言われて記念撮影したことを思い出す。まだ若く、達者な英語で私に語りかけてきた。私はベトナム戦争でも多くの日本人記者と出会っている。

イラクではゆっくりと話をする機会はなかったが、彼らの理想主義には脱帽する。その彼がまるで犯罪人のように頭を下げて日本に帰って行く。何かおかしくはないか。ミスター・ヤスダはヨルダンでの記者会見場でも”すみませんでした”と謝罪していたという。何に対して謝罪していたのだろうか?彼らは世論からバッシングを受けて、ただひたすら謝罪を繰り返していた。おかしな話である。

日本社会はイラクで武装勢力に拉致されて釈放された彼らに対してどうしてあのような仕打ちをすることができるのだろうか。

その一つの理由は政府が旅行禁止区域として勧告したにもかかわらず、旅行を強行して今回のような事件に会ったことに対する非難である。それだけではないだろう。彼らは全員といってよいが、イラク戦争に反対しており、日本の自衛隊のイラク派遣に反対する立場をとっていた人たちだ。政府の立場を支持したり、自衛隊派遣に賛成する立場の人は一人もいなかった。

もし彼らの一人でも自衛隊派遣に賛成であったり、日本政府のイラク戦争賛成の立場に同調する人が拉致されていたら、日本政府はどう反応しただろうか。帰国するときも今回のように”自己責任”でとは言わないだろう。

拉致事件直後、日本社会の一角では、”拉致された彼らは自衛隊撤退を促すための世論作りのための自作自演劇ではないか”と怪しむ声もあったという。そして彼らは釈放されるなり、”イラクに残って仕事を続けたい””こんな経験をしたけど、イラク人を嫌いにはなれない”と涙ながらに訴えていた。

彼らは当たり前のことを言ったにすぎない。

再発防止のために”危険地域旅行禁止法”を作るとか、人質にとられた人間から帰国のための航空運賃代を徴収するという発想も日本でしか考えられないだろう。

韓国を始め、フランス、中国、ロシアなど多くの国の人々が拉致されているが、日本のように人質に取られた本人が謝罪する国は日本だけしかないだろう。生還の喜びすら人質から奪ってしまった日本社会はやはり侵略戦争を国を挙げて支持した昔ながらの集団主義から脱却していない不気味さを感じた。



ハンギョレ新聞特派員レポート(4月20日号)

人質事件の教訓を忘却する日本。

「イラク抵抗勢力によって拉致された日本人5名が全員無事に釈放された。一度に。。をする日本でも再発防止のための教訓を学ぼうという動きが盛んだ。韓国でも徹底的なケーススタデイが必要な事柄である。

自衛隊撤退要求を拒否した日本政府は国民から相当な点数を稼いだ。そこへ人質の無事釈放が重なって少なからずの影響があった。自衛隊派遣に反対する野党や一部マスコミですら、テロに克服してはダメだと訴えるなど、日本ではこうした対応が正しかったという見かたが大勢をしめているようだ。

イラク抵抗勢力の外国人拉致や殺傷は米軍との衝突激化が招いた副産物である。米軍のファルージャ地域における正規軍でもなく抵抗勢力あるいは一般住民への無慈悲な殺傷事態とかけ離れて考えることはできない。前者がテロだとすると、後者は虐殺である。

テロと虐殺。戦争は一卵性双生児かもしれない。強力な軍事力をかかえた国家や集団は簡単に戦争を選択する。抵抗勢力はゲリラ戦争に訴えるか、あるいはそうした実力がなければ、テロに依存せざるをない。国際紛争を観察するときに必ず直面する事態でもある。

米国が国際社会の反対にもかかわらず、イラク侵攻と占領を強行し、多くの民間人を虐殺、犠牲にするという現実に対しては黙して語らず、テロに対しては激しく非難するというのは逆説的である。

この米軍の占領を間接的、直接的に支援する自衛隊をイラクに派遣して”大きな暴力”を行使している日本政府が抵抗勢力の”小さな暴力”に対して断固として対応をするべきだというのはどう受け取るべきか。

危険地域に行くときにはそれなりに慎重でなければならず、自ら責任を負うべきだ。しかし災難に直面した人々を救うという行動は純粋な人道的支援にほかならない。アルバイトをしながらお金を稼ぎ、その金で戦争孤児を助けようとした高遠ナオコに対してバグダッドの子供たちは今でも、”早く戻ってきてくれ”と手を振っている。

一方で、人道支援だと強弁しえ、イラク人たちが望んでもいない軍服を着ている自衛隊を送り出し、そこへひっかかる人たちの手足をもぎ取ろうとすることは本末転倒ではなかろうか。

イラク侵攻の原罪を背負っている米国のコリンパウエル国務長官は日本のマスコミとのインタビューで、「(高遠ナオコ氏らと同じような)人々がいるおかげで、世の中が少しずつ改善されてくるのだ。」と日本政府の立場とは逆に彼女らの行動に声援を送っており、フランスのルモンド紙は”軽率だという批判があるかもしれないが、外国まで出かけて行き、人々を救おうとする行動する世代が日本にも存在したということを世界に示したことだけでも高く評価できる”と賞賛している。しかし日本はこうした立派な行動をとった高野氏ら日本人人質たちに対してあたかも何か罪を犯した罪人に対するような扱い方をして彼らの帰国を迎えた。」



朝鮮日報(4月20日号)

釈放された日本人人質たちを”村八分”にする日本社会

「”自業自得だ、自己責任を負え”。イラクで拉致されたのちに釈放されて18日、帰国した日本人三名の人質とその家族たちは”村八分”にあっている。

日本政府が人質家族たちへ救出費用でかかった航空運賃や健康診断費用を請求すると伝えられてからの日本国民の一部やマスコミに見られる反応である。国内マスコミも彼らに対して非難する論調が多い。

拉致被害の当事者が逆に非難の標的になってしまったのは人質たちとその家族、そして反抗グループの三者が自衛隊撤退に関して同じ意見をもち、日本政府を悩ましているからだ。

人質たちは釈放されたあとでも、”イラクへ残り、奉仕活動をしたい”と発言したことも、日本政府が感じている不愉快さに火に油を注ぐ結果となったようだ。

読売、産経といった主に右派の傾向を持った新聞などは”自己責任論”を主張しており、一部週刊誌などはこの家族たちの過去や前歴など私生活を暴いては人身攻撃を繰り返している。

人質のなかで一番若い今井紀明君の父親は自衛隊派遣を辛らつに反対する教員団体である日教組所属の教師。これに対して自分の子供の救出よりも自衛隊撤退が目的なのではないかといった反発を露骨に示すグループもあった。

さらに人質たちが自衛隊を撤退させるために犯行グループと手を結び、自作劇を演出したのではないかという疑いがあるから、真相を徹底的に調査するべきだといった主張まで出ている。

右派メデイアである産経新聞のある記者は”人質とその家族の言動をもっと知りたいという読者の反応が圧倒的だった。北朝鮮による拉致事件と違って、今回の人質家族たちは怒りを犯行グループにむけないで、政府のほうにむけたことが読者の反発を誘った決定的な要因ではないか”と分析する。

左派志向のある”週刊金曜日”など一部の媒体は”拉致自作劇説””自己責任論”などは日本政府が意図的に流している悪意あるデマゴギーであると反発しているが、この論争が一段落するまでには時間がかかるだろう」