新刊紹介 あの戦争を伝えたい 東京新聞社会部編、岩波書店発行 紹介者:青山貞一 武蔵工業大学教授、図書館長 2006年3月20日、4月8日 |
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本書は、東京新聞社会部の佐藤敦総括デスクと社会部の記者たちが足を使ってアジア、太平洋地域を歩き回り、今なお戦争体験を持つひとびとに直接インタビューした非常に貴重な記録である。 現地で直接本人に取材。帰国後記事を執筆し、東京新聞に連載した。それら57本の記事を、「あの戦争と伝えたい」という題で一冊にまとめたものである。 社会部にいる友人の佐藤直子さんから届いたメールによれば、本著は、「戦後60年の取材で沖縄、韓国、インドネシアを旅しました。戦時下のメディアの責任を考えるシリーズでは、当時記者だった東京新聞のOBにもインタビューしました。それらは連載として57本の記事になりましたが、このたび、それを一冊にまとめましたので、お送りさせていただきました」というものである。 東京新聞社会部編、岩波書店刊 装画、木内達朗、装丁:後藤葉子 数々の生々しい証言を通して60余年前の戦争の実像に迫る労作である。そういう私も、1946年11月生まれ、現在60歳。戦後世代一回生である。太平洋戦争が終わり半世紀をゆうに超えた今、戦争を伝える意味は後述するようにきわめて大きいはずだ。 ところで、私が60年近く住んでいる東京品川区小山(通称、武蔵小山)からも、いわゆる満州開拓団に1,000名近くが参加した。 いずれも、国家のうまい言葉に誘われ、連れ出されたといえる。 結局、大部分の人々が帰らぬひととなった。私の父(故人)は、たまたま参加しなかっただけだと、現在、90歳になる母から聞いた。 私が生まれたのは昭和21年だから、もしこの棄民政策、「満州開拓団」に父、母が参加していたら、私は生まれていなかった可能性が大である。 この満蒙開拓団については、以下を読んでほしい。「あの戦争」は、遠いようで誰にとっても近い存在なのである。 友人の田中康夫知事が泰阜村にしきりにこだわったのも、実は泰阜村の村長から村の人々が多数満蒙開拓団に参加し、非業の死を遂げた話を聞いて感動したからだと聞いたことがある。
ところで本書では、東京、沖縄、広島、韓国、中国、インドネシア、サイパンなど、激戦が繰り広げられ、あるいは日本による韓国併合など、民族の尊厳を失わされるような大きな傷が残っている地に、社会部の多くの記者が直に足を運び、取材し、写真を撮り、資料を入手することによってできた労作である。 推定するにその大部分は私よりはるかに若い方々であり、戦争の実体験などないひとびとだと思う。 私が本著の紹介を書いたのは、3月18日、旅先のEUから帰国した3月20日である。ひさしぶりに佐藤直子さんからメールがとどき、その翌日、本著が自宅に届いた。その後だ。 その後、3月23日から青山研究室にいる留学生の修士論文に関連する調査で別件で韓国のソウルにでかけた。その際、以前から一度行ってみたかった韓国・独立記念館にも足をのばしてみた。 記念館には、まさに「あの戦争を伝えたい」にもでてくる朝鮮半島の痛ましい悲劇が史実をもとに例証、再現されていた。 行きの大韓航空の飛行機の中で佐藤さんが書かれた韓国編の部分を集中的に読んでいったこともあり、独立記念館ではリアリティをもって見ることが出来た。 本著を読まれるひと、読んだ方は、ぜひ、以下の私のブログもあわせてお読み頂きたい。またアジア、太平洋地域に行かれる方はぜひ、本著をあらかじめ読まれることをお勧めする。
本書は、上述のように韓国のみならず東京、沖縄、広島、中国、インドネシア、サイパンなどで、直接、あの戦争を語り継ぐひとびとからの得た貴重なドキュメントである。被インタビュー者はいずれも70〜90歳の高齢者であることから、この時期を逃すと伝えたくとも伝えられないと言う意味でも重要なドキュメントだ。またこのような企画をたて実行された佐藤デスクらの関係者にも、敬意を表したい。 ぜひ、若いひとにも読んでもらいたい。 追記 4月1日から大学の図書館長になったこともあり、以前にも増して本を読むように心がけている。そんなこともあり、4月上旬、毎日大学に通う田園都市線など電車のなかで本を読むことにした。 その第一号が本書だった。57編のうち毎日、3〜5編をじっくり読むことにした。いずれもお政治抜きに玉稿である。被インタビュー者はもとより記者の心もつたわってくる。 たまたま4月8日土曜の夜、この本を企画、編集された東京新聞の佐藤敦総括デスク、そして佐藤直子さんと川崎でご一緒する機会を得た。話は必然的にこの本をつくられた経緯、内容に及んだ。 上述のように、この時期に本書を刊行したことの意味は実に大きいと思う。その理由は先に述べたが、それだけではない。 ここ数年来、憲法改正、就中、第九条の改正が具体的日程に上りつつある。そして日本が戦争ができる普通の国になることが、それほど彼岸のことではなくなっている。 過日、民主党の小沢一郎代表は、演説でこれからは「共生」が最も重要な社会理念となると述べた。小沢氏は、人間と人間の共生が平和問題、人間と自然との共生問題が環境問題であると説明した。まさにその通りである。 おそらく平和という共生を実現するためには、その前提としてそれぞれの国、民族の多様な立場、歴史をしっかりと見つめ、正しく認識することが不可欠である。多様性を認めてこそ、相互理解が生まれるからだ。 本著で被インタビュー者が共通、一様に述べていることは、いとも簡単なことだ。 それは戦争を二度と起こしてはいけないことである。 このいわば当たり前のことを、私たちは次世代、次次世代のためにも肝に銘じなければならない。そのためには、単なる標語としてではなく、国家主義が強まるこの日本で具体的に、二度と戦争を起こさないように私たち国民ひとりひとりが、本書にあるさまざまな出来事を心に焼き付ける必要があると思う。 新聞やテレビなど大メディアが思考停止に陥って久しい。表面的、現象的な事象、うわべの記事が多い中、社会、人間の真相に分け入り、心のひだを緻密に記述している。 その昔、共同通信からの依頼で山崎豊子さんの中国残留孤児の本について書評を書いたことがある。文学者、作家でない社会部記者らが社会、人間の真相に分け入り、心のひだを緻密に記述した本著を私の図書館で、永久保存としたい。 青山貞一 以下に目次を示します。 東京新聞社会部編 あの戦争を伝えたい 岩波書店刊 はじめに 東京大空襲 (1)「敵国の母」祈りは海を越え、(2)絵で語る「地獄の橋」、 (3)母への思い、介護の心 山の手大空襲 (1)炎の表参道、書店の軌跡、(2)連夜の猛爆、渋谷灰儘 キリスト教徒弾圧 (1)投獄、枕元に聖書、(2)「スパイの子」に耐え、 (3)苦しみ半世紀...若い 沖縄戦 (1)肉親に手をかけ....、(2)血と泥の病院壕、 (3)「戦場」、今も変わらず 原爆投下 (1)「ピカ」の後、地獄絵図、(2)「うつる」偏見を恐れて、 (3)胎内被爆、奪われた怒り、(4)それでも語り続ける サイパン陥落 (1)玉砕より「生きたい」、(2)逃避行三ヶ月、自決の崖、 (3)玉砕の島から原爆出撃 硫黄等玉砕〜任務は自爆攻撃〜 回天特攻 (1)愛する者のために死ぬ、(2)戦友を送り出した痛惜、 (3)「人生、意味あるものに」、(4)最後の式辞で伝えた平和 大和沈没 (1)きしむ鋼、断末魔、(2)重油の海で「生」への切望 加害と向き合う:中国編 (1)兵士が背負った”罪”、(2)捨てた毒ガス弾は、 (3)秘密に縛られた半生 加害と向き合う:韓国編 (1)”傷”うずく日本名、(2)皇民を強要した学舎、 (3)苦学の日本語が「恨」に シベリア抑留 (1)ごみのように逆送、(2)愛した地で獄死、 (3)非業の死を刻んだ、(4)日本人妻、受難の日々 満州棄民 (1)四千五百柱、公墓に眠る開拓民、(2)那須には緑、 開拓はしなない 南方戦の傷跡 (1)友を思い涙、「証人」の孤独、(2)夢を奪われ、 療養所の半生、 (3)遺骨の無念を忘れまじ 米兵になった日系二世 (1)ヒロシマ通訳の苦しみ、(2)オキナワに寄り添い、 (3)止められぬ「自決」、こころに通じず BC級戦犯 (1)収監八年、「自分の愚かさ」を責める、(2)事実を信じ、 妻は闘う、 (3)名誉回復を訴える韓国・朝鮮須人元軍属 日本人「逃亡兵」の記録 (1)「どうせ死ぬなら戦う」、(2)用心棒から”ゲリラの星”に、 (3)日本・インドネシアの繁栄を下支え 戦時下の記者・その後 (1)国民を誤らせた責任、「私も被告席」、 (2)捨てたペンを再び手に 語り継ぐ意志 |