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『官の詭弁学−誰が規制を変えたくないのか』
著者 はしがき
福井 秀夫
政策研究大学院大学教授


掲載日:2004.8.27

 行政や裁判所は、多くの重要な国民生活や企業活動を左右する。民間活動だけに委ねるのでは社会の豊かさが損なわれるような市場の失敗がある場合、それに対処する限りでの政府の関与はありうるが、不幸にして日本では、本書で氷山の一角を紹介したように、多くの政府関与は過剰または不要である。 
                                             
 いわゆる規制改革や司法改革の推進組織は、政府部内にもあり、著者もそれらに直接関わってきた。規制等を所管する官庁と民間委員とのやり取りの大部分は、政府ホームページから公開議事録として誰でも読むことができる。

 本書は、これらの素材を基に、国民や企業を統制する側であるところの「官」に顕著に見られる特有の論理と心理に対して、批判的に考察を加えたものである。本書で取り上げたトピックの多くについては、著者自身学術的な分析を行うとともに、政策のあり方に関しても論じてきているが、本書では、政策そのものというよりはむしろ、特定の規制などを是とする立場の組織・人物の思考様式に首尾一貫性があるのかどうか、という側面に光を当てて、論理や事実認識の矛盾点を明らかにすることに力点を置いている。

 日本の思想や文化の根底で鳴り響く、いわば官尊民卑の執拗低音ともいうべき思考様式は、分野を問わず満ち満ちている。権力が国民を子供と見る父権主義(パターナリズム)は、思想として止まる限りは、公務員の矜持を支える一要素たりうるのかもしれない。しかし、それが一人歩きし、特定の規制などを支える論理やデータが欠落していてもそれを無視し、現状や既得権を正当化するための問答無用の免罪符として機能するならば、官は栄えても国民は不幸だ。

 著者自身、十数年にわたり行政官を経験し、規制や許認可を「護持」する側での理論武装やデータ収集にも実際に携わった。公務員が組織で仕事をする以上、多くの場合、個人の良心とは別に、組織の論理から来るしがらみや打算に基づいて言動が拘束されざるを得ないことは理解できる。私は自らの経験から霞ヶ関の論理と心理、平均的官僚像も熟知してきたつもりでいたが、本書に示した公開議事に参加するようになって自らの認識の甘さを恥じることになった。著者のそれまでの常識を大きく外れる、耳を疑う詭弁や強弁が頻発したからである。

 しがらみや打算は、「利害」に基づく一種の費用便益分析であるから、公務員や組織に対して、自らの利益を追求することが、民の利益を同時に追求することとなるように、制度の枠組みや動機付けの与え方を再設定するならば、より国民利害にかなう別の結論にも導き得る。

 これに対して、いったん身に着けた自己の信念であっても、別の見方に接し、論理と良心に照らしてそれを柔軟に修正するという思考回路が、一つのことに溺れて正しい判断に惑うという「惑溺」に基づく刷り込みによって欠落してしまっている場合には、当人が善意であればあるほど、事態は深刻である。本書に示した数々のおかしくも物悲しい詭弁の諸形態においても、さまざまな官の心理が交錯していることが伺える。それぞれの要素が「しがらみ・打算」に基づくものであるのか、「惑溺」に基づくものであるのかを正確に判定することは難しいが、せめて多くが前者によることを祈るばかりだ。

 霞ヶ関のキャリア官僚にも司法官僚にも、有能で論理を尊び、国民の利益を守ることに対して鋭敏で、人間的魅力に溢れる人物は多い。本書に引用した人々の中にも、別の場面や私的な会話では、実は十分に理性を発揮し、誠実さを備える人物は存在する。

 本書が、特定の個人や組織に対する攻撃を意味するものであるかの如き反応を誘発することは本意ではない。本書の主たる意味は、実は現在とも連続する「超国家主義の論理と心理」が吹き荒れた時代よりもはるかに遡り、古来脈々と流れる「権力の偏重」の思考様式の病理的側面について、現代的課題に関する官の見解を素材としつつ検証を加えることにあると考えている。

 表題などに掲げた「古習の惑溺」、「権力の偏重」、「物の貴きにあらず、その働きの貴きなり」、「議論の本位を定ること」は、福澤諭吉の『文明論之概略』に、「執拗低音」、「『である』論理と『する』論理」、「タコツボ文化・ササラ文化」は、丸山真男の『日本の思想』ないし『忠誠と反逆』にそれぞれ用いられている。時代と対象は違っても、これらの用語に象徴される福沢・丸山の分析の枠組みが、今も正確に当てはまることに改めて驚かされる。

 本書では、法や制度が誰にどのような利益や不利益をもたらしているのかを分析する方法として、米国などで広く定着している「法と経済学」も活用しているが、その最近の成果は、個別の政府関与に関して、どの点がどの程度社会の豊かさを損ね、不公正をもたらしているのか、それをどのように改善することが効果的であるのかを正確に教えてくれる。福沢・丸山の分析も、実は日本の仕組みを対象とした法と経済学的分析の古典といえる。

 総合規制改革会議の公開議事等における建設的議論を主導された鈴木良男、八田達夫、宮内義彦、村山利栄、森稔、八代尚弘はじめの委員各氏に大いに啓発された。安藤治孝、大川政則、成吉栄、藤原豊、森毅彦、吉屋拓之はじめの各氏には、同会議の事務局として膨大な情報を的確に整理・提供いただいた。

 阿部泰隆、安念潤司、川本明、久米良昭、下村郁夫、玉井克哉、三宅伸吾、吉田修平、吉村融の各氏には、折に触れ法的論点や政策論について有益な教示をいただいた。本書は、2003年から2004年にかけてフォーサイトに連載された情報公開ウオッチング1から13までの論文に大幅な加筆修正を施したものを中心としているが、連載時の編集を担当された横手大輔氏には、毎回のテーマ選定、議事録の取捨選択、表現振りなどに関して、論点をわかりやすく提示するための多大な助言をいただいた。

 日経新聞出版局の桜井保幸氏には、出版をお勧めいただくとともに、本書の構成、趣旨の明確化、タイトルはじめに対して適切な助言をいただいた。当研究室の舟田絹子氏には、連載時・加筆修正時とも、膨大な口述原稿の入力・編集を迅速・正確に処理いただくとともに、論述の改善のための市民感覚に基づく鋭い意見感想をいただいた。

 記して心より感謝申し上げる。

2004年7月
福井秀夫