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ホンモノの改革が嫌われる
この国の行く末
〜長野県知事
選挙結果から見えるもの〜


日刊ゲンダイ

掲載:2006年8月11日


─ Dailymail Businessより ────────────────
■ 限りなく保守化していくこの国。
■ かつて反自民に投票していた無党派層有権者が自民公明与党に投票するようになった最近の世相。安倍政権になったら極めて危ない
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時代を逆転させ侵略戦争を自衛のためと肯定し平和主義を否定し先制攻撃論まで口にするこの国の動きはいつか来た道へまっしぐらというのは決して杞憂ではない

長野県の田中康夫政治を否定した有権者は、政策ゼロの守旧派・村井仁に一体何を期待したのか。ニセ改革が喝采されホンモノの改革が嫌われるこの国の行く末
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 長野県知事選は「大番狂わせ」に終わった。4年前にはダブルスコアで圧勝した現職の田中康夫(50)が、前自民党衆院議員の村井仁(69)に敗北した。

 大新聞・TVは、「田中知事の『独断専行』に違和感」「『壊す政治』を県民否定」なんて書き立てているが、要するに、田中知事のドラスチックな「改革」が否定されたということだ。

 田中知事に既得権益を奪われた守旧派の県議、市議、市町村長、建設会社、業界団体……。さらに自民、公明が“反田中”で結集。県内の豪雨被害を田中知事の「脱ダム」と結びつけるネガティブキャンペーンを繰り返したことも大きかった。

 しかし、県民の判断は本当に正しかったのか。ああ見えて、田中知事は2期6年で確実に実績を挙げてきたからだ。

 「『脱ダム宣言』に象徴される公共事業費のカット、外郭団体の見直しなどで県の借金を5年連続で減らし、00年の初当選時には1兆6400億円あった県債発行残高を923億円も削減しています。それでいて高齢者らを対象とした宅幼老所や在宅サービスの充実、小学校の30人規模学級導入など、福祉や教育にも力を注いできました」(県議会関係者)

 大新聞は触れないが、同じように「改革」を訴えても、口先だけの小泉ニセ改革とはまったく違うのだ。

 「それに対して村井氏は“田中康夫政治ノー”を繰り返すばかりで、これといった政策は掲げていない。『公共事業は悪ではない』などという中身のないキャンペーンで反田中ムードをあおっただけです」(政治評論家・山口朝雄氏)

 大体、村井は当選5回でやっと国家公安委員長に入閣できたような男だ。中央政界では存在感のない地味な政治家で、昨年引退していた。長野県民は、そんな政策ゼロの守旧派に、一体、何を期待しようというのか。

 小泉首相のニセ改革は喝采され、ホンモノの改革は嫌われる、おかしな事態になっている。

◆ 保守化した無党派層が投票行動を一変 ◆

 今回の長野県知事選で見逃せないのは、かつては「反自民」で投票していた無党派層が一転して自民、公明が推した村井氏に投票したことだ。

 朝日新聞の出口調査によると、前回の知事選では無党派層の8割近くが田中氏に投票したが、今回は5割そこそこに減ってしまった。

 大マスコミは「冷めた『田中熱』」なんて報じていたが、この傾向は長野だけが特別なわけじゃない。全国で同じような現象が次々に起きている。

 ほんの数年前まで無党派層は、選挙のたびに「反自民」で動いた。93年の日本新党、95年の新進党、90年代末の民主党と毎回、非自民勢力を躍進させてきたものだ。

 ところが、最近は無党派層が、なぜか自民党に投票するようになった。昨夏の総選挙が典型だ。

 なぜ、無党派層の投票行動が変わったのか。これは急速に「右傾化」している最近の世相と無縁じゃない。

 「10年前、20年前なら考えられないほど、日本は保守化、右傾化しています。自民党の大臣や三役が『創氏改名は朝鮮の人たちが名字をくれといったのが始まり』『核保有はもちろん核使用も憲法上認められている』などと公然と言い放つようになった。ひと昔前なら、国会やマスコミが大騒ぎして間違いなく更迭されていた。それが今は問題にならないどころか、“右寄り”の過激な発言の方が人気を集めてしまう。いかに、世論全体が右傾化し始めたかが分かります」(山口朝雄氏=前出)

 あまりに社会全体の右傾化が進んだために、首相の靖国参拝に反対している、あの中曽根元首相や読売新聞のナベツネ会長がニュートラルに見えるほどだ。

 何しろ、最近では戦争扇動者とされた戦前の評論家・徳富蘇峰にスポットが当てられ、特攻隊員が神格化されている状況。学校では国旗掲揚や国歌斉唱の動きが強まり、愛国教育が必要だと教育基本法を改正しようとしても、それほど抵抗する動きもない。