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「すき焼き食いたい」の一念の
中内イズムを想う


 田中康夫

掲載日2005.11.16

 
83歳で逝去した中内功氏のお別れ会が113日、神戸市西区に位置する学校法人中内学園流通科学大学で開かれました。

9時から18時迄、訪れられる時間に訪れて、写真の前に一輪のカーネーションを捧げた後、万年筆や時計を始めとする彼の持ち物が展示され、講演のヴィデオが流れる空間に、居られるだけ居る事が出来る学園葬。

 20年近く前、彼に招かれて毎月、お互いが捉える社会状況を語り、共に様々な流通の現場を視察し、ダイエー社員と議論し合う。数年間に亘っての記憶を僕は辿りながら、「時代と共に変わる『よい品』を、だれでも、いつでも、どこでも、欲しい量だけ買える仕組みを作る」事に人生を捧げた彼に相応しいお別れ会の時空だと感じました。

「『戦争の世紀』と決別し、人間が自由に、自主自律、自己責任で生きる『人間化(ヒューマナイゼーション)の世紀』をつくる。そのために、世界の中の日本人、アジアの中の日本人として一人ひとりがどう考え、どう行動すべきか。流通科学大学の教職員、学生、卒業生と共に国民的議論を巻き起こしたい」。

「第一次世界大戦は石炭と鉄の取り合いで始まり、第二次世界大戦は石油の奪い合いで勃発した。流通が機能し、世界中に食料や資源が行き渡れば、人が殺し合い、物を取り合うことはなくなる。私はこの信念を戦争を知らない世代に伝えるために流通科学大学を創設した」。

「日本経済新聞」の「私の履歴書」で今から6年前に述べた彼の原点を、哲学も気概も無き小泉・竹中亡国コンビの市場原理主義が跳梁跋扈する今こそ、我々は虚心坦懐に拳々服膺すべきではありますまいか。

「人々の日々の暮らしが姿を消し『お国のために』が前面に出てきたとき、戦争が始まった。流通が消え、配給が登場した」。「私は『すき焼き喰いたい』の一念で飢餓戦線から生還し、食いたいものが腹いっぱい食える社会を作ろうと決意した。その超リアリズムの旗印が『主婦の店ダイエー』だった」。

「作る側・売り手側が『この牛肉はうまいよ』と薦めても、主婦が自分で食べて口に合うかどうかで買う買わないを決める。ささいなことだが、日々の暮らしの中で主体性を持って商品を選択し結果に責任を持つ。この『自主自律、自己責任』の原則こそが、『大和魂さえあればなんでもできる』式の精神主義のまん延を防ぎ、世界の孤児への道を二度と歩まない基盤となる」。

「選べない社会から選べる社会へと『人と物の関係』を変える。当たり前でなかったことを当たり前にして、その当たり前を維持する」。

「自分の買いたい品を自分で選ぶことの重要性を、物やサービスの提供を通じて訴えていく。たとえ『売り場の牛乳一本』といえども、私には理念を具体化したものだから」。「それが私の考える『流通革命』である」。

 へーっ、中内さんは九条護憲の理想主義者だったのかい、と死者に鞭打つが如き冷笑を行う向きも、ここはウラジミール・プーチンか金正日が統治する国かと錯覚する程に大政翼賛な朕・小泉純一郎の御代を反映して、居られましょう。

が、であればこそ、真っ当に疾走し続けた中内功なる異才の軌跡を、次週の拙稿でも伝える責務が、僕には課せられているのだと痛感します。