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「消費者が見えなくなった」と
呟いた中内イズム


 田中康夫

掲載日2005.11.18

「時代と共に変わる『よい品』を、だれでも、いつでも、どこでも、欲しい量だけ買える仕組みを作る」との信念で「流通革命の道の一筋」を疾走し続けたのが、「主婦の店ダイエー」の創設者・中内功氏でした。

しかし、「『戦争の世紀』と決別し、人間が自由に、自主自律、自己責任で生きる『人間化(ヒューマナイゼーション)の世紀』をつくる。そのために、世界の中の日本人、アジアの中の日本人として一人ひとりがどう考え、どう行動すべきか。流通科学大学の教職員、学生、卒業生と共に国民的議論を巻き起こしたい」と晩年、語った彼は同時に、「消費者が見えなくなった」と呟きました。

「私は生ある限り、日々の暮らしを自分の目で見つめ、自分の買いたい品を自分で選ぶことの重要性を、物やサービスの提供を通じて訴えていく。たとえ『売り場の牛乳一本』といえども、私には理念を具体化したものだから」。

“ディテールからの変革”を実践し続けた彼の危機感を、「大企業ダイエー」であるが故に就職ならぬ就社したのであろう社員の多くは残念ながら共有し得ず、「選べる社会へ『人と物の関係』を変える」筈が、仕入れ先等へ居丈高に接する「選べない『人と物の関係』」をダイエーに齎してしまったのです。誰もが指摘する点です。

 が、他方で「主婦は、使う側・買い手側の立場に立つことに目覚め、強くなった」と中内氏が大いに期待した消費者の側に実は、「『自主自律、自己責任』の原則」が稀薄だったが故に、我が儘な消費者が「量産」されてしまった。これも又、真理なのではありますまいか。

JF・ケネディ大統領が提唱した『消費者の四つの権利(安全である権利、知らされる権利、選ぶ権利、意見を聞いてもらう権利)』を持つ生活者として主体的に考え、発言し、行動する」とは即ち、インフォームド・コンセント(情報開示)された側がインフォームド・チョイス(情報選択)する意識を抱き、「だれでも、いつでも、どこでも、欲しい量だけ買える仕組み」を共に維持し、充実させる謙虚な意欲と行動が不可欠なのです。

 それは、「権利と義務」などという使い古された時代遅れなトレード・オフの認識を超えた、優勝劣敗な新自由主義とも、官僚統制的な社会主義とも異なり、旧来的イデオロギーとも無縁な「第三の道」の実現であり、これこそは、アンソニー・ギデンスが唱える遙か前から実は、中内氏のミッションだったのです。

 が、権利としての「インフォームド・チョイス」には熱心でも、それを維持し、充実させる上での「自主自律、自己責任」を必ずしも的確には多くの消費者が認識し得ていなかった。

それが、“流通の真実”を彼が真っ当に求めれば求める程、ファッションとしての“流通の幻想”を求める消費者との乖離を生じさせる悲劇へと繋がったのではないか。

失意に近い境遇の中で、けれども、「ネアカ のびのび へこたれず」をモットーに流通科学大学で、次代の革命児を養成せんと教壇に立ち続けた中内功氏の矜持と諦観を、創業者の社葬を敢えては行わなかった新生ダイエーの経営陣は果たして如何程に理解しているのでしょうか。