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フォニーな人々の
栄華が潰え始める
 田中康夫

掲載日2006.1.18


 11年前の117日に発生した阪神・淡路大震災で50ccバイクに跨り、避難所やテント村、仮設住宅を回る中で、田中康夫に一つの転機が訪れました。フランス実存主義の金字塔たるジャンポール・サルトルとシモーヌ・ボーボワールが身を以て示した、「状況に自ら関わりながら歴史を意味付ける自由な主体として生きる」“アンガージュマン”の端くれとしての自分に。

 更に遡って25年前の117日、芥川賞候補作の処女作「なんとなく、クリスタル」が選考会で多くの作家や評論家から酷評される中、今は亡き江藤淳氏だけが「後生畏るべし」と過分の評価を与えて下さいました。117日は、敬称略で列挙すれば、堀江貴文や小嶋進、宮崎勤、更には武部勤や安倍晋三、小泉純一郎の面々に留まらず、田中康夫にとっても“転機の日”なのです。

 畏兄・江藤淳氏は僕に繰り返し、「田中君、フォニーか否かを嗅ぎ分ける事が肝要だよ」と述べました。フォニーとは紛い物。即ち、真っ当とは対極に位置する模造品、偽造品を意味します。思えば昨今、耳目を集める事象に共通する心智は何れも、耐震偽装、偽計取引に象徴されるが如く、「偽=フォニー」です。

 法律という名のルールに抵触さえしなければ何を行っても許される、とのアメリカ的強弁を振り翳し、跳梁跋扈してきた小泉構造改革なる弱肉強食な新自由主義に、時代の潮目が訪れています。「人生色々」と嘯き、我が世の春を謳歌してきたフォニーな人々の儚き栄華が、潰え始める潮目であります。

 17日前夜のライブドアに対する検察の動きは、国会に於ける証人喚問を目眩ましするべく官邸発で用意周到に仕組まれたのではないか、と心配性な事情通は絵解きしました。が、“官邸のラスプーチン”なる符丁で口さがなき霞が関官僚が冠する飯島勲氏が、縦しんば斯くなる思惑を実行したのだとしても、証言「拒絶」を繰り返す一方で小嶋某が“暴露”した安倍晋三氏との「接触」は、新たに耳目を集める展開となっています。

 奇しくも伊藤公介氏は長野県高遠町の出身。飯島勲氏も長野県辰野町の出身です。何れも伊那谷の北部に位置する町です。而して、同じく伊那谷の駒ヶ根市には、「適価」な金額での福祉施設建設を提唱し、実績を積む建設会社が存在し、その会社は何故か、遠く離れた神奈川県平塚市での耐震偽装ホテル建設も請け負っているのです。

「偽」の世界は、ゼネコン体質なハコモノ福祉を脱却し、既存の民家を改修してデイサーヴィスを行う宅幼老所に代表される、真っ当な地域福祉を信州で充実させんとする田中康夫にとっても、他人事ではないのです。

とまれ、自民党にとっても公明党にとっても、臑の傷程度では済まされない、との予知能力に優れていたのか、「ヒューザーの耐震偽装問題を追及し過ぎると、日本の政治も経済もガタガタになってしまう」なる趣旨の不遜な発言で指弾された武部勤氏は、今一度、「ライブドアの偽計取引問題を追及し過ぎると、日本の政治も経済もガタガタになってしまう」と絶叫してこそ、朕・純一郎の家臣たり得ましょう。

彼の“豚児”とホリエモンが若き「刎頸の友」で、であればこそ、先の“ええじゃないか総選挙”で刺客の1人として重用したのですから。