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マニュアル野郎は
ポカミスだらけ



  田中康夫

掲載日2006年4月28日



 カエルは、摂氏10度になると冬眠します。が、その瞬間に突如、眠り出す訳ではないのです。徐々に外気温の変化を感じ、体躯が準備していくのです。これを「閾値(いきち)」と呼びます。即ち、デジタル表示される数値のみでは表し得ない、微妙な変化の兆しです。

 今から9年前、毀誉褒貶相半ばする長野冬季五輪に先駆けての新幹線開業に伴い、軽井沢駅以西の信越本線は並行在来線「しなの鉄道」として再スタートしました。

 如何なる根拠を以てか、103億円もの巨額を血税から投じて地元が引き受けた件の運行会社は、県職員出身者が社長を務め、僕の就任時には"士族の商法"で破綻し掛けていました。外部から社長を招聘すると共に減損会計を導入し、負の遺産を一掃する中で自律的経営を目指し、今や単年度収支も黒字基調です。

 その一方で県本庁舎内の有為な県職員を交代で、しなの鉄道へ研修派遣しています。改札や車掌、更にはトイレ清掃、物品販売。あらゆるサーヴィスの現場を体験します。その彼等が提出するレポートには決まって、以下の保線作業での感銘が記されています。

 熟達した保線工と共に一本一本、レールを叩き、その音の具合に耳を澄ませ、繋ぎ目のボルトを締めたり緩めたり。更には内規で定めた年数や頻度に達していなくても、目視の結果、このレールは交換すべきだ、と申し出る保線工の職人気質なマイスター精神に、彼等は「暗黙知」の凄さを感じ取るのです。

 物理学者で哲学者でもあったマイケル・ポランニーは、全ての生産的知識の根底には言語化されない知識がある、と唱えました。閾値を的確に認知する。これが暗黙知です。「智性・勘性・温性」と僕が十数年前から形容する"考える葦"としての勘所です。

 無論、科学的な教育を受けねば、知識は形成されず、新たな科学的発見にも至りません。が、同時に、科学的発見を得るには、座学での知識に留まらず、経験を積む中で、研ぎ澄まされた勘所が養われているかどうか、が肝なのです。

 過日、伊藤忠商事の丹羽宇一郎会長と歓談しました。その際に意見の一致を見たのは、マニュアル化されたアルゴリズムとも呼ぶべき、ビジネススクールの勝者ばかりが跳梁跋扈する社会では、様々な「過誤」の続出は防ぎ得ないのではないか、との懸念です。

 普通では考えられないポカミスが、世界に冠たる日本のモノ作り産業の現場で頻繁に発生しています。頭でっかちな優等生には、物事を察知したり想像したり、その上で如何に対処すべきかを瞬時に掴み取る勘性が稀薄なのです。

 マニュアル通りに仕事を行いさえすれば事足れり、なのではなく、五官を駆使して微妙な変化を嗅ぎ取る力。JR西日本の列車事故から奇しくも丸1年が経過した日に発生したJR東日本の線路隆起も、そうした勘性の欠落が原因です。

 而して、お金を頂戴してお乗り頂いた通勤・通学途中の人々を、1時間も列車内に閉じ込めておく神経。トイレに行きたい方が居らっしゃるに違いない、と想像力を働かせ、ならば如何に対処すべきかと判断し行動する勘性も持ち合わせぬ運行司令室の面々。誇るべき日本の力は揺るいでいるのです。