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鞆の浦の世界遺産を実現する
生活・歴史・景観保全訴訟


落合真弓(福山市議会議員) 投稿

2009年2月17日 無断転載禁



 鞆の埋立て架橋事業は、1983年から始まり紆余曲折を経て、三好章前市長の時、排水権全員同意取得を断念し、事実上凍結されましたが、羽田晧市長が2004年9月就任してから事業推進を表明。

 危機感を持った事業に反対する住民らが原告になり、2007年4月埋立て免許差し止めを提訴。

 2007年5月福山市は、広島県に埋立て免許申請。2007年9月市議会は、賛成派住民の事業早期実現を求める請願を採択し、12月には事業同意。2008年6月広島県が国に埋立て免許許可申請。



 2008年7月鞆で構想を練った宮崎駿監督の『崖の上のポニョ』が公開。2008年10月反対派住民が国に10万人を超える反対署名を提示。2008年12月賛成派住民や市議団が国に早期実現を陳情。同、藤田雄山県知事と金子一義国交大臣が会談。2009年1月羽田市長と金子国交大臣が会談。

 2月4日藤田知事と羽田市長が会談。その間イコモスが計画の中止を求める要望を4回にわたり国や県、市に提出。そしてついに、埋立て免許の差し止めを求めた「鞆の浦の世界遺産を実現する生活・歴史・景観保全訴訟」は2009年2月12日、結審しました。
http://mytown.asahi.com/hiroshima/news.php?k_id=35000000902130001
 (朝日新聞)

 鞆港の埋立架橋事業に反対する住民が広島県を相手に埋立て免許の差し止めを求め2007年4月24日提訴してからですから、約1年10ヶ月。「はじめはどうなるだろうと不安がいっぱいの裁判でしたが、回を重ねるごとに自信が出てきた」と原告の皆さんはおっしゃっていました。また、金子国交大臣の言葉は大変励みになったようです。



 金子国交大臣は、住民以外の人がどのように思っているのかを知る視野の広さを福山市長に求められ「国民同意を」との発言になったのですが、福山市長は、まだ考えを変えていないようで、2月6日には「地元推進派の方たちと決起大会を!」と鞆に出向きましたが、市長と随行の市職員を含めても20名しか集まらなかったそうです。

 20〜40歳代の若い世代の鞆の出身者は、「もう橋は無理なんじゃろ?」と口々に言います。マスコミ報道とその空気を敏感にキャッチしているようです。鞆町内で今まで先頭で推進されていた方々は、現在の事態に非常に危機感を持ち、金子国交大臣宛てに埋立て架橋の早期実現をお願いする手紙を書いたりされている人もいます。もしも埋立て架橋計画が中止、凍結されたら鞆の整備はもう永久にないのでは?という不安も耳にします。

 鞆の多くの人は埋立て架橋計画以外に鞆を活性化する方法はないと断言する行政サイドの意見を鵜呑みにしているので、国の判断や裁判の結果などで埋立て架橋計画が凍結されると、鞆は何もしてもらえないという受け方をしているようです。お上意識が強く、市に逆らえば何もしてもらえないという不安が住民にあるようです。



 県と市は、国からの埋立て架橋によって得る利益が失う利益より大きいことを証明するという宿題にいまだ、回答ができていません。何回かは提出を試みたのですが不十分と突き返されています。多分、回答することは出来ないでしょう。

 鞆地区まちづくりマスタープランとして福山市は、ホームページにこの計画について詳しく載せていますし、広報でも3回も載せています。
http://www.city.fukuyama.hiroshima.jp/tomo-machidukuri/tomomasu.html

 しかし、真実を伝えているのでしょうか?分かりやすく誰でもわかるように工夫し伝えているのでしょうか?住民とのまちづくりの議論はされたのでしょうか?行政手法として、いつの間にか問題をすり変えて、行政が事業を進めるために都合のいい情報のみを歪曲して伝えているのではないでしょうか?議会は一体何をしてきたのでしょうか?

 私は、有識者や住民による鞆のまちづくりの会合や裁判を傍聴して、福山市は今すぐにでも取り組めることがたくさんあるのに、埋立事業を推進するためにこれらのことをなおざりにしてきたと思わざるを得ないことをたくさん見聞きしました。被害者はまさに鞆の住民です。この行政手法や議会の状態を放っておいてはいけないとの思いで昨年4月の選挙に出馬し、市会議員になりました。

 2007年2月12日最後の意見陳述で原告の松居秀子さんが「私たちが、訴訟を起こしたのは、「対立」でも「争い」でもありません。人間の叡智と道理と正気をもって解決にあたりたいと、願ったからに他ならないのです。」と語られました。被告でさえ涙を流されていた方がおられました。

NPO法人鞆まちづくり工房代表 松居秀子さんの意見陳述
http://tomo-saiban.net/download/matsui_h.pdf



 この裁判は、大きく3つのことが問われました。

 一つ目は、この裁判で、行政は、決めたら止めることができない姿『無謬性』を露呈しました。行政の無謬性が住民をも賛成派、反対派と対立させる構造を作り、協働のまちづくりとかけ離れた悲劇を生み出した行政手法の問題点が白日の下にさらけ出され、行政のあるべき姿が問われました。

 二つ目は、労働者を商品化し使い捨て、金融経済が、実体の経済を脅かしている現状を省みて、利便性や効率を求めてきた国のやり方がよかったのか、この国のあり様が問われました。

 三つ目は、鞆の景観は守るべきものかどうか、わが国の文化度が問われました。鞆の今ある景観、港、町並み、祭などは、先祖代々受け継がれてきた日常を大切にし、文化として熟成させたすばらし遺産であり、生活そのものです。この文化遺産を残し伝えてきたのは、鞆の方々がこの文化に誇りを持って生活されてきたからです。鞆の皆様の文化的感性を称え、同時に、国民の皆様には私達が忘れてしまったものを、鞆から多く学んでいただきたいと思います。

 この裁判では、12名の原告の意見陳述がされましたが、いずれもすばらしい陳述で住民が何を思い立ち上がり、何によって支えられ、何を守ろうとし続けているのかということが被告側の良心にさえ届いたようなのです。裁判官もこの陳述を楽しみにされていました。このようなすばらしい有形無形の宝を受け継いで見せてくださっている鞆の皆様に感謝です。

 本当にたくさんの皆様の応援や励ましによって結審したことを厚く御礼申し上げます。判決の日時は指定されませんでしたが、今春には出る予定です。画期的な判決が出ることを期待しています。裁判はいよいよ判決を待つのみとなりましたが、控訴審や新たな訴訟(取消訴訟)などが始まる可能性も否めません。

 このように提訴されなければならない状況は、行政だけではなく議会にも大きな責任があります。私は、一日も早く、まともなまちづくりの核心に入れるよう、市民が情報を正しく分かりやすく知り、まちづくりに積極的に参加できるようなシステム作りや鞆の住民の方々が、歴史まちづくり法の支援が受けられるように議員として、尽力していきたいと思っています。