■クロアチア&モンテネグロ紀行 2007.3.9〜16


                                 青山貞一   武藏工業大学(横浜)
                                 池田こみち  環境総合研究所(東京)
                                 Ranko Boka Sky Communications
                                          (Herceg Novi, Montenegro)

                

 2007年3月9日より16日まで、大学で研究している公共政策、都市政策の調査の一環として、オーストリア・ウィーン、クロアチア・ザグレブ経由で、クロアチア最南端のドブロブニク、そして昨年6月3日、わずか60万人の人口規模で独立したモンテネグロに現地調査を敢行した。

 ドブロブニクといえば、「アドリア海の真珠」、またかのバーナード・ショウが「ドブロブニクを見ずして天国を語ることなかれ」といった言葉を思い起こす。旧市街の入り口には、「自由はお金では購えない」と書いてある。世界広といえ、これほど自分たちのまち(都市国家)を自分たちで一からつくり、まもりつづけてきた、今流の言葉で言えば、「持続可能そして専守防衛の都市」はなく、市民は皆、それを最大の誇りとしている。

 歴史的事実として、ドブロブニクは世界で最初に奴隷を解放し都市国家、そして自由国家であり、同じアドリア海の一大都市国家、ヴェネツィア共和国のように、軍事力を背景に他国の領土を占有することなく、数100年にわたり、あまたの国の攻撃を受けながら、一貫して専守防衛につとめた、いわば21世紀私たちが向かうべき、国家像を示している。




クロアチア最南端、ドブロブニク全景(中央が旧市街)。

 さらにドブロブニクは、福祉、医療、薬事などの行政サービス、下水・浄水などの都市基盤整備、また共和制のなかでの政治、行政システムでも欧州諸国の中でも抜きんでているといえる。直近では10数年前まで、幾多の攻撃にさらされ、旧市街を中心にまちが壊されながら、市民がその都度立ち上がり、修復し、今なお、町全体が中世の時代そのままに再現されている点でも希有なまちである。

 少々、大げさに言えば、私たちがドブロブニクから何を学べるかによって、21世紀の日本の将来がかかっているといっても過言ではないかも知れない! 市民が安寧に生活してゆくための基礎的要素がこのドブロブニク旧市街にあるからである。

 一方、モンテネグロだが、歴史的に見ると、旧ユーゴスラビアを構成したクロアチア、セルビア、ボスニア・ヘルツェゴビナ、マケドニア、スロベニアのなかで、ドブロブニクとともに古い歴史をもつ地域である。

 他の地域は、歴史的にサラセン、東ローマ帝国、ヴェネチア共和国、オーストリア・ハンガリー帝国、オスマントルコ、ナポレオン率いるフランスなどに占有されていたが、ことドブロブニク(その昔はラグーサ共和国、都市国家)とモンテネグロは中世以前から、いわば独立した都市国家そして地域であったことがわかっている。

 今回の現地調査では、そのモンテネグロ共和国のなかで最も古い小さな都市国家であり、ドブロブニク旧市街同様、世界遺産にも登録されているコトルとその周辺地域を2日に渡り視察した。

 モンテネグロは、イタリア語の方言で「黒い山」を意味する。その名の通り、モンテネグロは行く先が山また山である。それもアドリア海の入り江、コトル湾に急角度で落ちる地形と相まってコトルやプラストなどは特異な地形は、すばらしい景観を訪問者に見せてくれる。

 なお、ドブロブニク、コトルなどに関しては、別途詳細なブログ、現地調査報告を執筆しており、近日中に写真とともに公開する予定である。こうご期待。

オーストリアからザグレブに向かうプロペラ機前で クロアチア・ドブロブニク旧市街の城壁にて
クロアチア・ドブロブニク旧市街の城壁にて クロアチア・ドブロブニク旧市街の城壁にて
クロアチア・ドブロブニク・マリーナにて クロアチア・ドブロブニク旧市街の城壁にて
クロアチア・ドブロブニク旧市街を背景に
ドブロブニク旧市街プラツァ通りにて モンテネグロ・ヘルセグノビ旧市街にて
ドブロブニク旧市街フランシス修道院にて モンテネグロ・ヘルセグノビのピアにて
ドブロブニク旧市街プラツァ通りにて
ドブロブニク旧市街マリーナにて
モンテネグロ・ヘルセグノビの旧市街で友人と モンテネグロ・ヘルセグノビの旧市街で友人と
モンテネグロ・パレストにて モンテネグロ・パレストにて
モンテネグロ・コトルにて モンテネグロ・パレストのカフェの前にて
ドブロブニク旧市街背後の山頂にて ドブロブニク旧市街背後の山頂にて