エントランスへはここをクリック   


「米軍の現れるところ、

災難ばかり」

ロシア国連大使

リアノーボスチ通信
掲載月日:2015年3月9日
独立系メディア E−wave Tokyo





◆ロシアの国連大使:「米軍の現れるところ、災難ばかり」
                          リアノーボスチ通信

 実質、報道規制がある日本にいると、信じられないが、アメリカというのは、悪さばかりしている。

  アメリカの功績について、すべてを否定するわけではないが、私は、アメリカの支配層の心の中に「神」がいなくなったのが、大きな原因のような気がしてならない。

 冷戦に打ち勝ち、世界唯一の超大国にのし上がってから、アメリカが大きく揺らぎ始めたような気がする。

 私は、すべてのアメリカを全否定するつもりはない。

 上田篤氏の著書「都市と日本人−「カミサマ」を旅する-」の中にこんなことが書いてあった(P15〜16)。

 そういえば、私の友人がニューヨークのさる経済人の集まりで講演をしたとき「私は金のためでなく、世の為、人の為に働いている」といって、なんと聴衆の顰蹙(ひんしゅく)を買った、という話をおもいだした。「日本なら大受けするはずなのに、アメリカではさっぱりだ」とかれはぼやく。

  そこで彼が現地に長く住んでいる日本人の友人に「どうしたらいいのか」と尋ねたら、その友人は「神様のために働いている、といいなさい」と言ったそうである。

 社会学者のマックス・ウェーバーは、人間は神の恩恵によって与えれてた財貨の管理者にすぎない。(大塚久雄訳『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』)といった。確かにアメリカでは、大学や病院の多くの建物が功なり名とげたひとたちの寄付によって建てられているが、それが聖書の、「あなたがたは地上に富を積んではならない・・・富は、天に積みなさい・・・あなたの富のあるところに、あなたの心もあるのだ。(「マタイ伝」6.19-21)」によっている。

  したがって死ぬときは「財貨は多くの子孫に残さず神の下に返す」という気風がある。つまり、社会の福祉施設などに寄付していく人が多いのだ。

 となると、アメリカの大都市のスカイスクレーパー(摩天楼)も「神のために働く人々」にとっての「現代のカテドラル(大聖堂)」なのかもしれない。

  共産主義であれ、資本主義であれ、またどんなすばらしい法律を作っても、そのような制度をを使いこなす人々の心の中に何かが存在しないとけっして社会は成り立たない。

 「公共心」とか、「社会の為に」とか、我欲を削り、少しでも全体の為に一人一人が心がけないと、社会は崩壊する。

 「自由」と「自分勝手」とは明らかに違う。

 各々が、自分勝手に行動すれば、社会などもつはずがない。

  何でプロテスタントが発展してきたか、何でアメリカが発展してこれたのか、資本主義の中に、このような考えが根本にあったからではなかろうか。プロテスタントでは、「カミサマの為に働け」としている。日本的思想の場合は「世の為、人のために働け」ということになる。

 結果的には、同じこと。「社会の為に、、」ということになる。

 もし、その箍(タガ)が外れてしまったら、どうなるか?

 今のアメリカを見れば分かる。

 資本主義が、ドンドン尖鋭化していって、新自由主義へと進んでいく。

 そうなると、ドンドンと神から離れ、我欲へと突き進む。

 「市場には神の手が存在する」というのもプロテスタント思想も、その「神の手」さえ操り、自らが神にでもなったつもりなのだろうか。

  餓鬼道と化したアメリカ。世界中で謀略を繰り返し、戦争を繰り返す。

 世界通貨のドルにも、大きく蔭りが見え始めた。

 ほんの一握りの金持ちと、大多数の貧困層。

 我欲に取り付かれた一握りの人々が、すべてを食い尽くしてしまう。そして、そのアメリカに対し、正気を取り窓させるために必死になって戦っているのが、ロシアのプーチンだと、私は思う。

 ありとあらゆる嫌がらせに対して、ホントよく耐え忍んでいる。

 そんなロシアを周りが放っておくのだろうか。

 世界中で、嫌がらせの限りを尽くすアメリカ、、、。

 多くの人を次々に貧困に陥れていく、アメリカ流の経済システム、、。

 ここらでしっかりと体を張って阻止しなくてはならない。