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橋下大阪市長と
市民社会の組織化

佐藤清文
Seibun Satow
2012年03月04日

初出:独立系メディア E-wave Tokyo
無断転載禁


「感覚は、偽りの見せかけで理性をたぶらかす」。

ブレーズ・パスカル『パンセ』


 橋下徹大阪市長の政治的意見は、「僕の感覚」を乱発するように、未熟である。おまけに、批判に対する反論も子供の悪口の域を出ない。そんな彼への支持率が高い理由の一つにマスメディアの使い方の巧みさが挙げられる。

 マスメディアの利用に長けていた最近の政治家として小泉純一郎元首相が思い浮かぶ。彼は、「構造改革」や「改革なくして成長なし」などキャッチーなフレーズを繰り返し用いて有権者に印象づけ、その手法は「ワンフレーズ・ポリティクス」とも呼ばれている。もっとも、小泉元首相の決め台詞はほとんどが剽窃である。「改革なくして成長なし」は1970年の公害国会での佐藤栄作首相によるスローガン「福祉なくして成長なし」のもじりである。

 一方、橋下市長の場合、こうしたワンフレーズが思い当たらない。話は、むしろ、長い。彼は自ら決め台詞を発するのではなく、マスメディアの報じる言葉や数字の印象の一人歩きを巧妙に利用している。

 橋下市長は大阪市や役所に関する各種の統計の数字を公表する。市職員の電子メールをめぐる調査の中間報告がその一例である。これは事実なので、マスメディアは報道しないわけにいかない。その際、受け手にわかりやすくするため、見出しにより印象的になるよう言葉や数字を構成し、本文に具体例を添えて伝える。有権者の多くはニュースの本質まで読み解くことはしない。また、細かなことまでいつまでも覚えてもいない。断片化されたニュースは具体例と共に印象として有権者に記憶・理解される。その後に、詳細な解説や分析、もしくは訂正が報じられても、そのことに気を留める人は少ない。

 政治家は、概して、この一人歩きを嫌う。自分の真意が伝わらず、曲解されると思うからだ。ぶら下がり会見を避ける現首相がその典型である。

 ところが、橋下市長はその性質を逆に利用する。ニュースは断片化され、具体例が象徴する印象として一人歩きし、その後の修正は稀である。一旦印象を形成してしまえば、少々のことでは揺るがない。彼はこの性質を利用して自分がいかに正しいかを有権者に印象づけられる。

 もっとも、これはアメリカの選挙で普通に見られる手法である。選挙は特有のコミュニケーションであり、そこにリテラシーが生まれる。高等教育機関でこの選挙のリテラシーを教えている。選挙スタッフにはこうした教育を受けたプロが必ずいる。彼らは、その腕を売りこみ、候補者を渡り歩く。映画『スーパー・チューズデー』でその一端を知ることができる。

 一人歩きには後の祭りがついて回る。橋下市長はこれも利用する。市職員への政治運動についてのオンライン調査がその好例である。これは彼とその仲間の弁護士としての悪知恵にほかならない。裁判所は紛争を事後的に解決する。また、弁護士会も事後的に意見を述べる。裁判所や弁護士会が動くまでには時間がかかる。その間にしてしまえば、それは後の祭りである。結果を回収した後で、廃棄せず、批判に対しては凍結すると言えばよい。橋下市長はこの後の祭りを使って公務員への管理統制を続けている。ちなみに、こういう弁護士を世間では「悪徳弁護士」と呼ぶ。

 橋下市長のようなタイプの政治家がのさばっているのは、何も、日本だけではない。旧東側諸国が民主化した後に広く見られる現象である。

 現在の日本政治の最大の課題の一つは市民の政治参加の組織化である。阪神・淡路大震災以降、市民による政治参加への意識が高まっている。戦後日本では自民党の一党優位が長期に続き、市民が積極的に政治に参加しようとする際の組織化が立ち遅れている。業界や団体、組合による動員にとどまる。民主党が台頭し、組織化ができるかに思えたが、松下政経塾出身者が反動的にも市民運動を敵視する有様で、期待外れに終わる。

 組織化が未整備の結果、既成政党が市民社会を十分に代表しているとは言えないため、有権者と政党の間の不信感が増大する。しかも、政党助成制度への依存が増し、市民よりも国家の方を向く傾向が強まる。環境の変化に伴い、分け合うパイが減り、政党内部でも支持者間の利害対立も生まれる。こうした状況から場当たり的な人気の争奪が繰り広げられ、意義ある政策論争ではなく、政局によって統治を競う事態に陥り、政党政治自体への世論の不満が充満してしまう。これが日本政治の現状である。

 市民社会の組織化の経験に乏しい旧東側職では、東西冷戦終結後、同様の事態に陥る。そこに、強いリーダーシップを売り物にした人物が登場し、仮想敵を攻撃して世間の不満に訴え、マスメディアを通じて個人的な人気を自らの政治勢力への投票に誘引して、強権的な支配を行う現象が見られる。こうした勢力は社会の組織化から無縁であり、国家に存在理由を見出す。ウラジーミル・ウラジーミロヴィチ・プーチンがそうした政治指導者の典型だろう。

 市民社会の組織化が弱いと、有権者や政党、政治指導者はアイデンティティと統合を求めて国家との一体化を強める。他の国家に対して受動的に自分の国家への一体化が意識されるので、政党や政治指導者は支持者間の利害対立を外にそらすことができる。有権者には、国家を共通の基盤として、このリーダーを支持することが社会を変えているという意識を与えてくれる。社会を悪化させている敵に対峙する人物を支持することは自分をその側に置くことになる。このヒロイズムのため、自分にとって不利益になるにもかかわらず、賛同する。

 橋下市長の誕生はまさに日本もそういった国と同じ状況にあることを物語っている。ただ、彼は、プーチンと違い、経済の立て直しなど政治的実績は現時点で皆無である。府知事時代に、地場産業の振興や公衆衛生の改善などが進んだという話は聞かない。混乱を助長しているようにさえ見える。今や市役所内の反対勢力の粛清に熱中している。文革さながらだ。文革の後始末はしんどい。

 市民の政治参加のための組織化が進んでいない。当事者意識を持ちたいのに、それがかなわない。それが日本政治の問題なのであって、その現状が「僕の感覚」の恣意的な政治家の暴走を許している。もはや市民自らが組織化に動くほかない。
〈了〉
参照文献
平島健司他、『改訂新版ヨーロッパ政治史』、放送大学教育振興会、2010年
津田和明、「橋下ブーム 『僕の感覚』に厳しい評価の目を」、産経新聞、2012年2月12日