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東京23区は大牟田RDF発電の教訓に学べ

鷹取 敦

掲載日:2007年7月2日


 福岡県大牟田市に「大牟田リサイクル発電所」という、ごみ固形化燃料(RDF)の発電所がある。これは福岡県16、熊本県12の合計28市町村のごみを、各地域で「固形燃料化」し、はるばる大牟田市まで燃料を消費して運んで、焼却し、ついでに発電・売電しようという施設である。

 大牟田リサイクル発電所は第三セクタとして設立された株式会社である。

 「固形燃料化」といっても組成はごみそのものであるから、排ガスにも灰にも有害物質が高濃度に含まれ、灰の量も非常に多いため、とても「燃料」などと呼べるものではない。違いがあるとすれば、水分量が少ないこと、嵩が元々のごみより増えていることくらいである。

 この「大牟田リサイクル発電所」では、貯蔵中のRDFが発火して何度も事故を起こし大きな問題となっているから、むしろ元のゴミより危険であると言ってもいい。「固形燃料化」する仮定でエネルギーを投入し、はるばる大牟田まで運搬するのにさらにエネルギーを消費しているので、地球環境の面からみても問題は大きい。

 この「大牟田リサイクル発電所」が開業以来5年連続の赤字で、累積赤字が7億2400万円にものぼっていることが報道された。

西日本新聞
http://www.nishinippon.co.jp/nnp/local/fukuoka/
20070630/20070630_003.shtml

大牟田リサイクル発電所 累積赤字7億2400万円

 福岡県や電源開発などが出資し、ごみ固形化燃料(RDF)発電事業を行っている第3セクター大牟田リサイクル発電所(福岡県大牟田市)の株主総会が29日、大牟田市であった。2006年度決算は約2300万円の赤字で、02年度の開業以来5年連続の赤字決算だったことが報告された。累積赤字は約7億2400万円で、約1億400万円の債務超過。

 06年度にRDFを搬入する福岡、熊本両県の19市町村から徴収する焼却処理委託料を30%値上げしたが、黒字転換できなかった。

 同社によると、売電や焼却処理委託料収入などの売上高は約17億2200万円で、事業計画比で約7000万円減。ごみ減量推進の影響を受け、06年度のRDF搬入量は前年比約5%減の約8万5300トンだった。

 同社は05年度に約5億円の債務超過に陥ったが、06年度に福岡県と電源開発がそれぞれ2億1000万円を増資したことなどから「当面の資金繰りに問題はなく、事業計画の見直しは考えていない」としている。

 記事中にあるように、ごみの減量が進んだためにRDF搬入量が減少し、市町村から徴収する処理委託料を値上げし、税金の負担が増加したにもかかわらず大赤字である。06年に県と電源開発が増資したので当面の資金繰りに問題はないとしているが、ようするに赤字の一部を税金で補填したに過ぎない。


 一方、東京23区では、株式会社を設立して、廃プラを可燃ゴミとして焼却の対象に加え、発電した電気を東京ガスの売電する計画開始が来年度に控えている。ゴミを燃やして発電すること、そのために自治体が出資して株式会社を作ること等、主要な部分において「大牟田リサイクル発電所」と酷似した計画である。

 大牟田リサイクル発電所の大赤字の原因およびその問題は、ごみを「燃料」と位置づけ、それを「民間会社」の事業としたことである。

 「燃料」となれば、その供給を減らすこと、すなわちごみ減量化は「発電事業」にとってマイナスでしかない。ごみの供給が減れば、再度ごみを増やすよう自治体に依頼するか、処理費用を値上げするしかなくなる。ごみ減量化に逆行することは本来あってはならないことだから(日本のリサイクル率は17%程度と、諸外国と比べて極めて低い)、処理費用の値上げを受け入れるしかなくなってしまう。ごみ処理を「民間会社」に依存するシステムを構築してしまったからである。自治体が「民間会社」の下請けとして、税金でごみを集め、燃料として供給し、かつ相手の言い値で税金を投入せざるを得ないシステムである。一度走り始めてしまったら方針転換も困難な硬直化したシステムである。

 大牟田のRDF、23区の廃プラ焼却の計画について、筆者や筆者の所属する環境総合研究所では、これまで本コラムで何度か言及してきた環境面の問題点だけでなく、このような「依存」がもたらす構造についてもかねてから警告してきた。

 東京23区で始まる廃プラ焼却発電事業でも、大牟田リサイクル発電所のような財政面からの問題が起こり、税金投入、自治体の負担増が起こることは、火を見るよりも明らかである。

 23区の「民間会社」である「東京エコサービス株式会社」は既に平成18年10月に設立し、4月から清掃工場運転管理等の受託業務を開始してしまった。しかし、今であればまだ立ち止まって考え、引き返すことが出来るのではないだろうか。