エントランスへはここをクリック   

「柏崎刈羽原発の廃炉を求めるつどい」

参加記


鷹取 敦

掲載月日:2013年3月20日
 独立系メディア E−wave
無断転載禁


 2013年3月10日、柏崎市産業文化会館で「東電・柏崎刈羽原発差し止め訴訟提訴1周年、福島原発事故2周年、柏崎原発の廃炉を求めるつどい」が、東電・柏崎刈羽原発差止め市民の会、脱原発新潟県弁護団、脱原発弁護団全国連絡会の主催で開催された。

 筆者(鷹取)は、Super AIR3D/NPPを用いて、柏崎刈羽原発が福島原発のような事故を起こしたことを想定したシミュレーションを実演して欲しいと依頼され、参加した。

 当日は東京から上越新幹線で長岡駅まで行き、乗用車で柏崎市内の会場まで、送っていただいた。長岡市から柏崎市に向かう道が日本海に近づいたところの先に柏崎刈羽原発がある。晴天であれば車中から原発敷地が見えるそうだが、残念ながら天候に恵まれず、車窓の先は霞んでいた。

 会場は500名は入る広い部屋だったが、560名あまりの方が参加され、椅子を追加しても立ち見が出る状況だったのは、地元の方の原発問題への関心の高さの現れだろう。

会場の様子

 集会のプログラムは次のとおりである。

1 主催者のあいさつ:「市民の会」共同代表・吉田隆介氏
2 福島からの報告:菅野政志氏(郡山在住、ご家族が新潟市に避難中)
3 柏崎刈羽原発で事故が起きたときどうなるのか:環境総合研究所・鷹取
4 「市民の会」中山均 新潟市議によるまとめ
5 柏崎刈羽原発地盤調査結果批評:新潟大学・立石雅昭 名誉教授
6 柏崎刈羽原発差止め訴訟概要報告:脱原発新潟県弁護団団長・和田光弘弁護士
7 閉会の挨拶:「市民の会」共同代表・大西しげ子氏


■主催者のあいさつ:「市民の会」共同代表・吉田隆介氏

 市民の会」共同代表・吉田隆介氏からは、福島から避難されている方は、依然として16万人に上り、事故も収束にはほど遠く危機から脱していない。それにも関わらず再稼働の話が出ている、54基の原発を全国に作ってきた自民党が衆院で多数を取り、原発を再稼働しようとしているのは、「原発をやめよう」という国民の多数の声に対する背信行為であると指摘された。また、過去の原発訴訟のほとんど全てを最終的に門前払いとした司法の責任についても述べられた。

 吉田氏によると、2012年4月23日に柏崎刈羽原発差し止め訴訟を起こしたそうである。東電は福島第一原発の事故についてはその反省を活かすので問題ないと主張し、一方で国会事故調の調査を妨害し当事者意識を欠いていると厳しく批判され、裁判は時間がかかると思うが根気と覚悟を持って取り組んでいくと述べられた。


■福島からの報告:菅野政志氏

 菅野氏はご家族(妻子)が新潟市に自主避難され、ご本人は仕事のため郡山市に残られ、週末自動車で新潟市のご家族のもとに通われているそうである。分かれて居住しており住居費がかかることと、高速無料化が終了してしまったこともあり、郡山市から新潟市への道のり(往復5時間)の半分は高速を使わずに通われているそうだが、毎週末のことでもありとても疲労されているとおっしゃっていた。プライバシーに関わるので、ここではお話しされた詳細には触れないが、離れて暮らすことによる困難な状況について子細に話された。経済的な困難だけでなく、精神的にも、家族とのつながりの面、学校等の問題等、多岐にわたる困難な状況を抱えておられることが伝わった。

 自主避難は、それぞれの事情や判断によるものであり、他人が論評すべきものではないが、菅野さんに限らず自主避難されている方々が直面されている困難な状況を聞く度に、原発事故が与える影響の大きさ、複雑さ、難しさを痛感した。また「現存被ばく状況」(人が生活している環境が放射能に事故等による放射能が存在している状況)において不可避に生じるこのような事態にまともに向き合っていない政府・東電の責任は大きいと思う。

 集会での話題ではないが、日本政府はこのような状況に対処するためのICRP(国際放射線防護委員会)の勧告Publication 111に従わず、数値のつまみ食いして却って混乱を深めた責任がある。それどころか、その基本となる2007年勧告(Publication 103)の批准を議論している放射線審議会は2012年頭以降開催すらされていない。ちなみにICRP 111では、参考レベルの設定=目標値を段階的に下げて最終的に1mSv/年以下に低減することを目標とすること、意志決定に際する透明性、住民等の関係者関与、正確な記録等などが、チェルノブイリ事故の教訓を踏まえて勧告されている。

 放射線防護に関する意志決定に住民が自ら加わり、生活基盤の維持と段階的な被ばくの低減を両立しながら生活を回復させていくことで、このような困難に直面する人を減らすべき、というのが被ばくだけでなく避難による多くの犠牲を生んだチェルノブイリの教訓である。日本でも相次ぐ「災害関連死」が報道されており、すでに原発事故の大きな犠牲が生じている。

 今回の集会の大きなテーマの1つが、ほとんど公的な支援が得られず困難な状況に陥っている自主避難の問題であったと思う。


■柏崎刈羽原発で事故が起きたときどうなるのか:環境総合研究所・鷹取


環境総合研究所 鷹取

 もう1つのテーマが、事故が起こった場合の放射性物質の広がりと、それによる被ばくの予測である。これについては、原告団が購入した Super AIR3D/NPPを用いて、鷹取がその場で、操作しながら解説を行った。

 最初に原子力規制委員会のシミュレーションモデルの問題点を指摘した。内容は下記に掲載したものである。このシミュレーションに基づいて、原子力災害対策に係る地域防災計画を短期間で策定しなければならない自治体は、当然のことながら困惑している。

 ◆地形考慮なき稚拙な原子力規制委拡散シミュレーションの問題点
 http://eritokyo.jp/independent/aoyama-fnp20121024sim..html

 実演ではまず、原子力規制委員会のシミュレーションと同じように原子力の出力に比例した量の放射性物質が放出されたという想定で、事故直後1週間の積算線量を示した。50mSvの範囲が原発から約30km、100mSvの範囲が約20kmである。これはむしろ原子力規制委員会のシミュレーション結果より控えめであるが、オーダーとしては大きく乖離しない結果である。制委員会シミュレーションは問題が多く、上記以外の問題もあるため、整合した結果になったのは偶然である。

 この条件で事故から1年間の積算線量を示した。これが下記の毎日新聞に掲載されたものであるが、1年目に積算線量20mSvを超える範囲が原発から100kmの範囲を超えている。


毎日新聞の記事(画像をクリックするとPDFファイルが開きます)

 この予測は政府の想定と同様に木造家屋による遮蔽を考慮している。福島第一原発事故では、20mSv/年を超えると想定される地域は、当初「計画的避難区域」に設定され、即時避難となった地域でなくとも、住民は約1か月の間に避難のため立ち退くことを求められた。同様の措置を想定した場合、原発から100kmを超える範囲の住民に避難が求められることになる。避難に伴う困難さは既に述べたとおりである。また原発から50kmにも及ぶ範囲において50mSv/年が予測された。これらは、原子力災害対策に係る地域防災計画の策定を求められているUPZ(原発から30km)を遥かに超える範囲である。

 ちなみに、1年目の20mSv/年は、事故後の「現存被ばく状況」において、ICRPの勧告が設定すべきとしている「参考レベル」1〜20mSv/年の上限である。勧告では出来るだけ低い値にするように、としており、これを超える住民がいないよう防護(対策)を進め、超える住民がいなくなったら段階的に下げるように求めている。しかし日本では「参考レベル」は定められていない。20mSv/年という数値だけがつまみぐいされ、いかにも「問題のないレベル」であるかのように説明されているため不信と不安と混乱が生じているのである。いつまでも20mSv/年が継続して「問題ない」わけではなく、生涯を平均して追加被ばくを1mSv/年未満まで下げることと、生活の基盤を壊さない(避難による犠牲を少なくする)ことを両立させるための、過渡的な目標にすぎない。

 このような範囲が原発から100kmを超える広範囲に予測されたことになるのであり、この範囲内の自治体の多くは計画の策定さえ求められていないのである。困難さは面積ではなく人口に比例することから、避難の対象が新潟市、長岡市等の人口密集地に及べば、避難による犠牲だけでも大惨事が予想される。

 事故後1年目の積算線量以外に、幼児の甲状腺等価線量の範囲、各地域における長期的な積算線量の単純計算による予測結果(実際には風雨により低下が早いことが観測されていることの説明も含めて)、食べ物の汚染を旧規制値、新規制値、実際に測定されている濃度等を仮定した内部被ばくによる積算線量に加わる割合等をグラフで示した。

 ちなみに、日本では幸いなことに流通する食品は、検査態勢や農家の努力等により、外部被ばくと比べるとごく小さい割合に押さえられている。一方、チェルノブイリ、たとえばウクライナの場合には、1986年当初の段階で、地域によって内部被ばくが外部被ばくの半分程度から2倍程度までの幅があることが報告されている。日本とチェルノブイリの違いは、食品の流通、経済状況・政治体制(ソ連崩壊の時期)、土壌の性質、検査態勢など様々な前提条件によるものである。

 チェルノブイリ事故後4年ほど汚染地図さえ作られず、10年ほど経ってECからの援助で、ベラルーシに専門家が入り、住民自ら生活の中で被ばくを低減できるよう取り組み(エートス計画など)をするなど、内部被ばく等の低減や生活の質の回復も測られている。チェルノブイリ事故の影響は欧州にまでおよび、各国では今でも防護の取り組みが行われている。このような取り組みについて日本からも福島第一の事故後に地域の住民等が視察に訪れている。


■「市民の会」中山均 新潟市議によるまとめ


中山均 新潟市議会議員

 中山市議からは、菅野氏や鷹取の話を踏まえて話をされた。国の防災計画における取り組みは、緊急時の一時しのぎ(避難)のことばかりを対象にしており、範囲も30kmで区切っている。時間と範囲を区切ってしまい、長期の広範囲な影響を考えていないことが大きな問題であると指摘された。福島の現状をみても分かるように、被災地の住民や社会・経済にとって困難な状況が長期にわたり継続するのが原発事故だからである。一方で避難者の生活、精神的被害、地域の経済への影響を考えると、単純に避難地域を拡大して解決するものではない、原発事故は避難計画で対応できるものではない、と指摘された。

 ◆中山市議のブログ
 http://green.ap.teacup.com/nakayama/701.html


■柏崎刈羽原発地盤調査結果批評:新潟大学・立石雅昭 名誉教授


立石雅昭 新潟大学名誉教授

 立石名誉教授からは柏崎刈羽の地盤調査結果、活断層問題について、技術的な観点から詳細に問題点を指摘され、批判された。


■柏崎刈羽原発差止め訴訟報告:脱原発新潟県弁護団団長 和田光弘弁護士

 和田弁護士より差し止め訴訟の経過および概要について説明され、東電が訴訟において誠実に対応していない状況が報告された。福島第一原発において事故を起こした当事者としては考えられないこと、東電を言い逃れさせないことを表明された。


■閉会の挨拶:「市民の会」共同代表・大西しげ子氏

 柏崎刈羽原発があやうい活断層の上にあるように、私達の生活の根幹が豆腐の上にあるようなものであること、レベル7の事故が意識的に風化されようとしていることを指摘され、60年代のアメリカの公民権運動でアフリカ系アメリカ人が立ち上がった映像を思い浮かべると話され集会を締めくくられた。


 今回の集会に参加して、放射線による直接の影響(汚染の広がり)はもちろんのこと、それに関連して発生する甚大な影響を改めて認識することとなった。原発の事故が、地域の社会や経済、コミュニティや家族のつながり、生活の基盤を壊すこと、放射線防護のために発生するさまざまなコスト、放射線の影響に関するさまざまな社会的混乱など、多くの深刻な影響は電力事業者の賠償で回復されることは無い。そのような潜在的なリスクを抱える原発を、十分な対策も賠償の準備、事故対応の費用や人材の備えもなく再稼働することは、地域社会、日本社会にとってどういう意味を持つのか、あらためて考え直したい。