「核実験は断じて許されない。国際社会で厳しい対応を取る」。
原水協(原水爆禁止日本協議会)や原水禁(原水爆禁止日本国民会議)の皆様が発した声明かと思いきや、第90代内閣総理大臣・安倍晋三氏の科白です。流石は「美しい国、日本。」を目指す御仁ならではの、傾聴に値する覚悟の程です。
と素直には記せないのが、「美しい国、日本。」の誇る社会的共通資本たる山河や街並みを護り育むべく、「『脱ダム』宣言」や「『マンション軽井沢メソッド』宣言」を掲げて、「排他的な山国、長野。」の既得権益者と闘ってきた田中康夫の“哀しみ”です(苦笑)。
何故って、安倍氏は今から4年半前に早稲田大学で講演した際、以下の見解を述べているからです。曰く、「日本も小型であれば原子爆弾を保有する事に何も問題は無い」、「核弾頭を付けた大陸間弾道ミサイル(ICBM)の保有も憲法上、問題無し」と。
核保有国を目指そう、と広言した人物が、北朝鮮の核実験は罷りならぬ、と高言する。核実験に賛成する筈もない善男善女とて首を傾げざるを得ないダブルスタンダードな御都合主義です。
況して、御用メディアの朝鮮中央通信が報じた今回の「核実験」声明は、「日中・日韓首脳会談を控えての北朝鮮特有の牽制球。アメリカを交渉に引っ張り出す為の脅しに過ぎぬ」、との冷静な認識を、防衛庁を始めとする関係者が一様に抱いているのですから。
教条主義的な旧来型市民活動家の発言かと見紛う程に硬直した、冒頭で紹介の義憤を一国の宰相が抱くならば寧ろ、順法操業していた「美しい国、日本。」の漁船と船員を、領海侵犯と一方的な事実誤認の下に銃撃・拿捕し、人命を奪った後も1ヶ月半に亘って船長の身柄を拘束し続けたロシアに対してこそ、「厳しい対応」を取るべきではありませんか。
が、「主張する外交で『強い日本、頼れる日本』」を目指す安倍氏の下で官房長官を務める、当時の塩崎恭久外務副大臣は、モスクワの地まで出向いて猶、「厳重抗議」に留めていたのです。
果たして膨大に埋蔵されているのか否か、神のみぞ知る“捕らぬ狸の皮算用”とも悲観的見解も囁かれる東シベリアの天然ガス油田採掘で弱い立場の日本は、ここでも御都合主義なのです。
にも拘らず、「『戦後レジーム』から、新たな船出を」と政権構想を掲げる安倍氏は、漸く帰国し得た船長が根室市で、「無防備な漁船員を撃つのはあってはならないこと。ロシア政府に怒りを持っている」と述べても猶、無反応です。
社会主義から拝金主義へと「戦後レジーム」を一大転換したロシアに対しては、日本も“見ざる・言わざる・聞かざる”レジーム(体制)へと転換を図るが得策、との政治的判断だと嘯くのでしょうか。国民の生命と財産を護れずして、焉んぞ「強い日本、頼れる日本」を信じられんや。と慨嘆したい衝動に駆られます。
因みに安倍氏は、「核保有国を目指そう」の広言が報じられた4年半前、「発言を外に一切出さない事を学校側も了解した。それを報じたのは学問の自由を侵す」と巧言し、失笑を買いました。
今春に靖国参拝をしたかどうか、公式に述べる必要は無い、と秘密主義を貫く氏は、矢張り、第三次岸信介内閣と呼ぶに相応しい心智の持ち主なのでしょう。
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