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千年に一度の地震が30年の間に起こる確率は、およそ1/30である。これのどこが無視できるリスクなのか?


吉村犬太郎

2011年3月25日
独立系メディア E-wave Tokyo


 東日本大震災に伴う福島原発の危機について、原発推進派の側からの「千年に一度の地震だから」という言い訳が盛んに聞こえてくる。しかし、これはそもそも言い訳になっていない。

 というのは、千年に一度の地震が、例えば原発の設計上の運転期間である30年の間に起きる確率は、およそ1/30(≒30×1/1000)である。そして、起こってしまった場合の被害の大きさを考えると、この1/30という数字は、到底許容可能なものではない。

 また原発依存を100年続けるつもりであれば、この確率はおよそ1/10まで上がる。あるいは1000年続けるつもりなら、その間にほぼ確実に一度は「千年に一度」の地震に襲われることになる。

 従って、千年に一度の地震の可能性というのは、原発の設計上当然考慮に入れられていなければならなかったはずのものであり、ここで「千年に一度」を言い訳として持ち出すのは、原発の設計に際し、元々まともなリスクアセスメントが行われていなかったということを、自ら暴露するようなものである。「1/30の確率で大惨事を引き起こす絶対安全な原子炉」というわけだ。

 地震の場合には「自然現象だから」という話になるので、比較のために次のような仮想的な例を考えてみよう。

○原発のある重要な部品があって、その部品が故障すると、原子炉が冷却不能になって危機的状況に陥る。(バックアップは存在しない)。

○この部品は、設計上の運転期間30年の間に、約1/30の確率で故障する。

○この部品は、原発が運転を開始すると、検査も交換もできない。

 このような部品を必要とする設計を「安全」と主張する人はおそらくいないだろう。(当然「絶対安全」でもない)。しかし、「千年に一度の地震は無視して良い」というのは、実のところ、このような設計を認める、ということなのである。

 さて、1/30という数字が許容できないとして、ではどの程度の数字なら許容できるだろうか。私の個人的な感覚では、このような場合、1/300の確率ですら到底許容可能ではなく、1/3000まで下げてようやく、「まあこのぐらいなら許せるか(でもまだちょっと心配)」という感じになる。そして、確率を1/300まで下げようとすると、「一万年に一度の地震」、1/3000まで下げようとすると「十万年に一度の地震」を考慮に入れなければならない。

 しかし、「千年に一度の地震」ですら「そんなことを考えていては原発は設計できない」と言われているのであるから、「十万年に一度の地震」を考慮に入れるなどということは、そもそも論外だろう。そうなると、ここから得られる結論は、「原発はそもそも作るべきではない」ということ以外にはないはずである。

 というわけで、今になって「千年に一度」を言い訳として持ち出す原発推進派は、自ら墓穴を掘っている、と言う外ないのではないか。