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アンコール遺跡群現地調査報告


西バライWest Baray

青山貞一 Teiichi Aoyama 池田こみち Komichi Ikeda
2019年1月24日公開
独立系メディア E-Wave Tokyo 
無断転載禁
アンコール遺跡全体目次

<西部の寺院・遺跡>
西バライ   西メボン  アック・ヨム


◆西バライ(West Baray)

 西バライ(West Baray)は、カンボジアのアンコール地域にあるバライすなわち貯水池です。

 西バライは東西に延び、城壁を巡らした都市アンコール・トムのすぐ西に位置します。形は長方形で、およそ東西8キロメートル、南北2.1キロメートルにおよび西バライはアンコール地域最大のバライです。

 水域は高い土堤によって囲まれています。西バライの中央には、人工の島に建設されたヒンドゥー教寺院の西メボンがあります。


アンコール遺跡・寺院地図


アンコール遺跡広域地図

 以下のようにグーグルマップの衛星写真で見ると、西バライは、アンコール・トム、アンコール・ワットの西の広大な人工水域であることが分かります。


出典:グーグルマップ

 さらに広域を見るとシエムリアップ国際空港が南側に見えます。また東にはタ・プローム寺院も見えます。


グーグルマップの衛星写真で見た西バライ
出典:グーグルマップ

 まず、以下は「バライ」とは、の解説です。

バライとは

 バライ (baray) は、東南アジアのクメール王朝における建築様式の共通要素となる人工水域です。最大のものはアンコール地域にある東バライおよび西バライであり、形はどちらも長方形で東西に延び、およそ東西8キロメートル、南北2キロメートルにおよびます。

  歴史学者は、バライの目的および機能に関して意見が分かれています。一つに、それらは主として宗教的な目的として、ヒンドゥー教の世界の源である須弥山(メル山)を取り囲む海を象徴するものであったとする説があります。

 一方で、それらは田畑の灌漑用水を保持したとも理論付けられています。バライの役割は、これらの見解あるいは他と組み合わさったものであったとも考えられています。

参考:Wikipedia



衛星写真で見た西バライとアンコール・トム
Source:Wikimedia Commons


歴史

 バライの建設は、おそらく11世紀の王スーリヤヴァルマン1世(在位1002-1050年)の統治時代に始まり、その後の王ウダヤーディチャヴァルマン2世(在位1050-1066年)のもとで完成しました。

  西バライを造ったアンコールの技術者は、それ以前の建築様式を所々で取り入れています。例えば東の堤防の大部分は、中心にプノン・バケン寺院をもち、王ヤショヴァルマン1世の首都を囲んだ防壁域であるように見えます。

 他の箇所においては、西バライはより以前の人が造った地域を、破壊もしくは水没させました。例えば南の堤防は、レンガのピラミッド寺院であるアック・ヨムを部分的に埋めています。また、バライの西面はかつて居住されたことがあるようで、考古学的調査が壁の基部、踏み段、および土器の破片をそこに見つけました。

 その地域で発見された銘石碑は、西暦713年にさかのぼる女王ジャヤデーヴィ (Jayadevi) に提供された田を定めており、初期の定住の更なる証拠を示しています。

機能


西バライの岸辺
Source:Wikimedia Commons


西バライの水域
Source:Wikimedia Commons


  当初フランスの専門家は、例年の米の多収穫を考慮に入れ、西バライは乾期に灌漑用水路に供給し、水の巨大な貯蔵槽として機能したと考えていました。しかし後の多くの研究が、バライはその中心にある西メボン寺院とともに、ヒンドゥー教の天地創造の海の広大な描写としての役割を果たし、主に象徴的役割があったことを理論づけています。

  現代では、西バライの南側の堤防には灌漑の水門が造られ、水位を上げて、南の田畑への水の供給に充てられています。

 西バライは今日、西端では一年を通して水が保持され、雨季には水が東側の堤防に達します。

  澄んだ穏やかな水域で、今日の西バライは地元住民による水泳や船遊びに人気がある場所です。西バライは時折、水上飛行機のための着陸地点として使用されました。


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