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千葉県北東部短訪

①旭市と大原幽学
 

青山貞一 Teiichi Aoyama・池田こみち Komichi Ikeda
独立系メディア E-wave Tokyo

大原幽学 出典:大原幽学記念館

1:大原幽学  2:大原幽学  3:椿海  4:香取神宮  5:犬吠埼 6:猿田神社 


 2021年7月21日、かねてから気になっていた千葉県の旭市と香取市を短時間であるが訪問した。

 以前、佐原市に有人がおり、佐原には何度も来ており、前回は2泊3日で千葉県縦断を行った際、市原市の法華経寺の次に訪問したのが佐原であったが、周知のように現在佐原は香取市佐原町となっている。

 今回は大学の教え子が旭市にいたこともあり、ぜひ一度千葉県旭市を訪問したいと考え、地図で調べていたら旭市に「大原幽学記念館」あることを知り、まずはこの「大原幽学記念館」を訪問した。

 なお、大原幽学記念館がある千葉県旭市は、2020年12月1日の時点で、推定人口は26,510世帯で64,690人であり、人口密度は1km²あたり500人である。市の総面積は129.91平方キロメートルである。

 さらに旭市の農業は、農業産出額ベースで、千葉県内順位1位、全国順位6位となっている。 また、旭市の農業において、耕種農業の割合は、48.1%、畜産農業の割合は51.9%となっており、農業産出額で見た旭市の農業は、耕種農業と畜産農業の両方でバランスよく構成されている。

 つまり旭市は農業産出額ベースで千葉県を代表する農業自治体であり、全国的にも6位と、まさに秀逸な農業自治地であるが、これには何か訳がありそうだ!


出典:グーグルマップ

 2021年7月21日は、友人の奨めで佐原に行くときは必ず立ち寄る鰻蒲焼の山田別館に行き、蒲焼をたらふく頂いた後、「大原幽学記念館」に向かった。途中、香取神宮にお詣りしたが、これについては後で紹介する。

 大原幽学記念館は広大な農地の北外れ、香取市との境の旭日市側にあった。


出典:グーグルマップ



 ここでまず大原幽学について概要を紹介しておきたい。

 大原 幽学(おおはら ゆうがく、江戸時代寛政9年3月17日(1797年4月13日) ~ 安政5年3月8日(1858年4月21日))に生まれ活躍した武士だが、江戸時代後期、農業経営に大きな関心を抱き、最終的に農政学者、農民指導者となっている。

 大原幽学は下総国香取郡長部(ながべ)村(現在の旭市長部)を拠点に、天保9年(1838年)に先祖株組合という農業協同組合を世界で初めて創設した。


大原幽学  大原幽学記念館にて
撮影:池田こみち Nikon CoolpixS900


撮影:青山貞一 Nikon CoolpixS900

 その大原幽学は、出自は明らかでないが、尾張藩の家臣大道寺直方の次男として生まれたとの説もある。若き頃は大道寺左門と名乗っていたという。号は静香。

 幽学の語るところによると、18歳のとき故あって勘当され、美濃、大和、京、大阪を長く放浪していたという。初めは武芸、のち知友から占いの手法を身に付け、易占、観相、講説などで流浪の生活を支えていた。

 その後、神道、儒教、仏教を一体とする、独自の実践道徳である「性学」(「生理学」「性理道」ともいった)を開いた。天保2年(1831年)に現在旭市がある房総を訪れ性学を講ずるようになり、門人を各地に増やしていった。そして、天保6年(1835年)に椿海の干拓地の干潟八万石にあった長部村に招かれ農村振興に努力することになった。
 
 ※注 椿海
  椿海(つばきのうみ)は、九十九里浜の北部、現在の千葉県
  東庄町・旭市・匝瑳市の境界付近に、江戸時代初期まで存在
  した湖である。江戸時代に作成された『下総之国図』(船橋市
  西図書館所蔵)では、太田ノ胡水と表記されている。伝えられ
  るところでは東西3里南北1里半(約51平方キロメートル)の大
  きさがあったと言われている。

  
  江戸時代に存在した椿海
  出典はいずれも千葉県

 幽学は、先祖株組合の創設のほかに、農業技術の指導、耕地整理、質素倹約の奨励、博打(以下の注参照)の禁止、また子供の教育・しつけのために換え子制度の奨励など、農民生活のあらゆる面を指導した。

 ※注)博打(ばくだ) Wikipedia「賭博」より
  かつて博(ばく)というボードゲームがあり、それをプレイする
   (打つ)ことから「博打」と言う言葉が生まれた。よって「博打を
  打つ」「博打打ち」という言葉は本来二重表現であるが、「博打」
  が「賭博」の同義語として扱われるようになると、二重表現とは
  みなされなくなった。

 「改心楼」という教導所も建設された。嘉永元年(1848年)2月に、長部村の領主清水氏は、長部村の復興を賞賛し、領内の村々の模範とすべきことを触れている。嘉永5年(1852年)、反感を持つ勢力が改心楼へ乱入したことをきっかけに村を越えた農民の行き来を怪しまれ、勘定奉行に取り調べられる。

 安政4年(1857年)に押込百日と改心楼の棄却、先祖株組合の解散を言い渡される。5年に及ぶ訴訟の疲労と性学を学んだはずの村の荒廃を嘆き、翌年、墓地で切腹した。

 著作として『微味幽玄考』『性学趣意』『口まめ草』等を遺した。

 現在、千葉県旭市には旧宅(国の史跡)が残っており、切腹した場所には墓が建立された。長部には「大原幽学記念館」がある。愛知県名古屋市の平和公園(公園内の萬松寺墓域)にも墓碑がある。

 昭和3年(1928年)、正五位を追贈された。


 下はその大原幽学記念館の入り口である。


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900 2021-7-21

 私達は記念館に入ってすぐのところに、大原幽学を紹介するビデオがあり、ソファに座って30分ほどビデオを見た。その後、記念館内の展示物を見て回った。


記念館周辺の風景
出典: UPCLOSE CORP. グーグルストリートビュー

 幽学記念館の周辺は、大原幽学遺跡史跡公園として整備されており、一般に公開されている。園内には散策路が設けられ、数々の遺跡と豊かな自然を満喫できる。


◆大原幽学関連情報


出典:グーグルマップ


出典:Kkhimeshara kakisan氏、グーグルストリートビュー

 以下の出典は大原幽学記念館Webサイト

旧林家住宅-千葉県指定文化財


出典:吉谷孝義氏、グーグルストリートビュー

 幽学の高弟だった匝瑳郡十日市場村(現旭市)の名主役を勤める林伊兵衛の住居。幽学の指導を受けて建てたと伝えられ、天保15年(1844)の銘が部材にあのこっている。

 昭和54年(1979)に千葉県指定有形文化財となり、昭和63年(1988)に、保存のため同地より復元移築され。押入などの収納場所が多く、納戸部分が明るいこと、太い梁を使い柱を減らしているなど、全体に合理的で開放的な造りが特徴。

大原聖殿(改心楼跡地)


出典:千葉県旭市

 幽学没後、昭和12年(1937)に建立された。この年は80年忌にあたった。またこの場所は、幽学生前の教導所である改心楼跡地でもある。

 当時の建築費(約2,500円)のうち6割は道友で組織された(財)八石性理学会が出し、残りは県内の小中学校、篤志者の寄附で賄われた。当初「大原神社」として神社申請もされたが、許可がおりずこの名称になった。本殿の後方には奥殿ももうけられている。その後、地元では学校などにも使用されたりした。 普段は内部の公開をしていない。


出典:千葉県旭市

 改心楼とは幽学嘉永3年(1850)に、門人の増加に伴い建設された専用の教導所。幽学の設計で竣工された。間口7間×5間の改心楼の建築は、ほとんどが門人たちの協力によって行われ、資材の提供などもしている。晩年の裁判で判決により取り壊しを命じられ、建物は現存しない。

長部城址


出典:Pocha Mochi氏、グーグルストリートビュー

 三方を水田に囲まれた半島状台地丘陵を利用した、単郭方形の城で水城ともいわれている。幽学遺跡全体が、この中世城址の一部に位置し、公園は城郭の雰囲気をそのまま残す地形となっている。

 かつては要害とよばれていましたが、現在は龍ケ谷と称する高台を中心として、空濠の一部と月見台と称する物見台の跡がある。

 もともとは府馬城の一族である松沢氏が9代に亘って居住していたと伝えられている。天正年間に里見義康によって攻略され、落城してしまったといわれている。

大原幽学遺跡史跡公園 椿の里について

椿伝説

 かつて、この地には「椿海(つばきのうみ)」と呼ばれる大きな湖がありました。この湖にまつわるこんな伝説が残されています。

 昔々、香取・海上・匝瑳をおおってしまうほどの大きな椿の木があり、そこには鬼が住みつき悪さをしていました。あるとき香取命(かとりのみこと)と猿田彦命(さるたひこのみこと)が矢を射って退治したところ、鬼は椿の木とともに飛び去ってしまい、その抜けた跡が湖となり、椿海(つばきのうみ)と呼ばれるようになったと言われています。

椿の里

 大原幽学記念館の出入口にあった椿の写真。  


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900 2021-7-21

 旭市の広大な穀倉地帯は、「椿海」を干拓してできたので、椿が市の花に定められました。

 幽学公園は、「椿の里」として521種類、約3,000本の椿が植えられています。

椿の見ごろ
 
 椿は種類によって開花時期が異なります。 例年、2月下旬から4月中旬までに見頃を迎えます。 4月上旬には桜も開花、春の訪れをたっぷりと感じていただけます。


2:大原幽へつづく