伊能忠敬と日蓮の足跡を たどる千葉の旅 参考・日蓮四大法難 青山貞一 Teiichi Aoyama・池田こみち Komichi Ikeda Dec. 12,, 2018 独立系メディア E-wave Tokyo 無断転載禁 |
千葉視察総合目次 日蓮寺1 日蓮寺2 日蓮四大法難 誕生寺1 誕生寺2 誕生寺3 誕生寺4 誕生寺5 誕生寺6 誕生寺7 ◆日蓮四大法難とは 日蓮寺が関係する小松原法難は、日蓮上人が遭遇した四つの法難のひとつです。日蓮四大法難(にちれんよんだいほうなん)は、日蓮宗(法華宗)の宗祖である僧・日蓮に関わる以下の四つの事件を指します。 伊豆法難 - 佛現寺、蓮着寺 小松原法難 - 鏡忍寺 松葉ヶ谷法難 - 本圀寺 龍ノ口法難 - 龍口寺 ◆小松原法難とは 小松原法難(こまつばらほうなん、小松原の法難)は、文永元年(1264年)に、天津に向かっていた日蓮一行が小松原(現千葉県鴨川市)に差し掛かった際に襲撃された事件を指します。 日蓮による念仏批判を受けて激しく敵対心を抱いていた東条景信らが日蓮一行を襲撃した結果、弟子の鏡忍房日暁と信者の工藤吉隆が殺害され、日蓮自身も額を斬られるとともに左手を骨折するなどの重傷を負いました。 斬りつけた東条景信も落馬して逃亡したことにより、日蓮は難を逃れたとされています。現在、法難跡地には、小松原山鏡忍寺が存在しています。 略歴 1263年(弘長3)日蓮が伊豆での流罪が許されます。 1264年(文永元)故郷で病床にあった母を見舞うために帰郷します。 その後、小松原で、法難に遭います。 以下は小松原法難に関連する鴨川市にある鏡忍寺の概要です。 ◆鏡忍寺 今回の旅行では参拝できませんでしたが、以下に鏡忍寺の概要を紹介します。 出典:グーグルマップ 鏡忍寺(千葉県鴨川市広場)祖師堂 Source: Wikimedia Commons 鏡忍寺の概要 ・所在地 千葉県鴨川市広場1413 ・山号 小松原山 ・宗派 日蓮宗 ・寺格 霊跡本山 ・本尊 久遠実成本師釈迦牟尼仏 ・創建年 1281年(弘安5年) ・開基 日隆 ・正式名 小松原山鏡忍寺 鏡忍寺(きょうにんじ)は、千葉県鴨川市にある日蓮宗本山(霊蹟寺院)。山号は小松原山といいます。 略歴 ・1264年(文永元年)日蓮が、東条景信に襲撃され、同行の鏡忍坊日暁と共に天津(現在の鴨川市)の城主工藤吉隆が討たれた。(小松原法難) ・1281年(弘安4年)小松原法難の地に、工藤吉隆の子、日隆が日蓮の命により建立。妙隆山と号す。後に鏡忍坊の名に因み小松原山鏡忍寺と改める。 ・2008年(平成20年)9月6日、祖師堂落慶法要が営まれる。 ・2013年(平成25年)11月11日、小松原法難750年宗門法要が厳修される。現住職は43世 原 俊道貫首(平成29年4月4日遷化 中興 唯信院日透上人) ◆他の日蓮小甚法難の概要 伊豆法難 伊豆法難は、伊豆(現在の静岡県伊東市)流罪となった日蓮が、伊豆に到着前に伊東沖の「俎岩(まないたいわ)」という岩礁に置き去りにされた事件です。漁師の弥三郎に助けられました。日蓮四大法難の一つです。 蓮着寺の沖合いにある「俎岩」。 (2014年11月21日撮影) Source: Wikimedia Commons 松葉ヶ谷法難 日蓮四大法難と呼ばれるものの一つ。日蓮が、文応元年(1260)7月16日[1])に鎌倉幕府の五代執権北条時頼へ『立正安国論』を提出し、その内容が当時起こっていた地震、異常気象、疫病、飢餓は、法然を始めとする念仏教や禅教などの邪教に起因するものとし、幕府へ宗教政策の転換(正法を法華経とする)を促す内容であったため、その約1ヶ月後の8月27日に浄土教信者である念仏者たちによって草庵を夜間襲撃・焼き討ちされた事件を言います。 日蓮は富木常忍のいる下総国中山に避難しました。襲撃の黒幕に幕府為政者、鎌倉宗教界の実力者である北条重時、6代執権北条長時(極楽寺北条氏)、大仏朝直、極楽寺忍性、蘭渓道隆、念阿良忠がいたと言われています。その後、日蓮は鎌倉に戻り、弘長元年(1260)5月12日に伊豆(伊東)へ流罪(伊豆流罪)となります。 龍ノ口法難 龍ノ口法難(たつのくちほうなん、龍ノ口の法難)は、『立正安国論』を著して鎌倉幕府に呈上した日蓮を捕らえ、龍ノ口刑場で斬首しようとした事件。日蓮四大法難の一つです。 文永8年9月12日(ユリウス暦1271年10月17日)、 平頼綱により、幕府や諸宗を批判したとして佐渡流罪の名目で鎌倉の松葉谷草庵にいた日蓮を捕縛し連行、翌日の9月13日子丑の刻(午前2時前後)、日蓮を土牢から引き出し斬首しようとしましたが、何らかの理由により刑は中止されたといいます。 刑場跡地には、現在、寂光山龍口寺が存在しています。 寂光山龍口寺 Source: Wikimedia Commons 日蓮寺お参り後、私たちは、208段の階段を降り、駐車場に停めてある車に乗って、小湊の港近くにある大本山 誕生にに向かいました。 誕生寺1につづく 千葉視察総合目次 |