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●北炭夕張の概要 いうまでもなく、夕張といえば炭鉱。そこで最初に夕張の2大炭鉱、<北炭夕張>と<大夕張炭鉱>について概説する。 北炭夕張炭鉱は、夕張市の北西部、夕張川支流の志幌加別川上流に展開された北海道炭礦汽船(北炭)経営の炭鉱であり狭義の夕張炭鉱を指している。1889年に夕張採炭所が設置された。その後、鉄道(下の写真にある石炭列車)の開通により炭鉱は発達することとなる。 大正時代の夕張炭鉱選炭場と石炭列車/1918年 出典:Wikipedia 夕張炭鉱では優良な鉄鋼コークス用原料炭が産出された。最盛期の1960年代には夕張鉱業所として一砿・二砿・三砿・清水沢砿を有し、年間100 - 150万トンの炭量を誇っていたのである。 夕張鉱業所の南部には北炭平和鉱業所(平和炭鉱・真谷地炭鉱)が隣接していたが、採炭条件の悪化などから夕張市清水沢・沼ノ沢の東部地区に開発された夕張新炭鉱に生産を移行した。 そして1977年の新第二炭鉱を最後に閉山した。 跡地は石炭の歴史村として整備され、夕張市石炭博物館の見学施設として旧坑道の一部が公開されている。私たちが宿泊したホテルから徒歩約15分で博物館に行ける。 夕張市石炭博物館 出典:資料画像 北炭夕張炭鉱では、開山当時からガス爆発事故が続出し多数の死者及び死者数に劣らない規模の一酸化炭素中毒患者を出してきた。 特に、第二次世界大戦以前の過酷な環境下で発生した事故の記録は散逸・風化しており、詳細な事故の状況や死者数は把握出来ない状況にあるという。下の年表を見ると、北炭夕張では、多くの事故があり、実に合計748人が死亡していることが分かった。 私は労働災害や大気汚染に関心がある。これらはあくまで事故による死亡事故である。おそらくそれ以外にジンパイなど粉じんを恒常的に吸引することによる呼吸器疾患による死亡者も多くいたことが推察される。 北炭夕張の歴史 1874年 お雇い外国人のアメリカ人地質学者ベンジャミン・スミス・ライマンが、夕張川上流に石炭層の存在を推定(調査には、坂市太郎も随伴) 1888年 坂市太郎がシホロカベツ川上流にて石炭の大露頭を発見(北海道指定天然記念物「夕張の石炭大露頭」) 1889年 北海道炭礦鉄道会社(後の北海道炭礦汽船、以下北炭)発足、夕張採炭所創設 1890年 北炭が夕張炭鉱の開発に着手 1892年 北炭夕張炭鉱の採炭が開始される、追分駅 - 夕張駅間に鉄道が開通 1897年 石狩石炭株式会社が新夕張炭鉱開発に着手する 1912年 北炭夕張炭鉱(第二斜坑ほか)にて4月と12月に爆発事故。それぞれ死者267人、216人 1920年 北炭夕張炭鉱(北上坑)にて爆発事故。死者209人 1926年 夕張鉄道株式会社が新夕張駅・後の夕張本町駅 - 栗山駅(室蘭本線)間に鉄道を開通 1927年 新夕張炭鉱の権利が石狩石炭(株)から北炭に移る 1931年 夕張鉄道株式会社が栗山駅 - 野幌駅(函館本線)間を開通 1938年 北炭夕張炭鉱(天竜坑)にて爆発事故、死者161人 1960年 北炭夕張炭鉱(第二砿)にて爆発、死者42人 1963年 北炭新夕張炭鉱閉山(旧三砿)、一部は第二会社に移行 1965年 北炭夕張炭鉱(第一砿)にて爆発、死者62人 1970年 北炭夕張新第二炭鉱開発着手 1971年 北炭夕張炭鉱(第二砿)閉山 1973年 北炭夕張炭鉱(第一砿)閉山 1975年 北海道炭礦汽船夕張鉄道線廃止、北炭夕張新炭鉱営業出炭開始 1977年 北炭夕張新第二炭鉱閉山(狭義の夕張炭鉱) 年表の出典:Wikipedia ●大夕張炭鉱の概要 三菱大夕張炭鉱は、北海道夕張市の夕張川上流部で操業していた三菱鉱業経営の炭鉱を指し、広義には夕張市にあった2つの炭鉱のひとつである。 1929年南部地区より移行し、操業開始。優良な鉄鋼コークス用原料炭を産出した。最盛期には、年間90万トンの石炭を産出し、副産品としてコークス、坑内から湧出するメタンガスを原料としたメタノールの製造も行われていた。 1970年には隣接する南部地区に新鉱として三菱南大夕張炭鉱が操業を開始し、同炭鉱に生産を集中させる形で1973年に閉山した。南大夕張炭鉱も海外からの低価格の原料炭輸入に抗しきれず1990年に閉山した。 昭和33年頃の大夕張鉱業所の選炭機、石炭積み込み所 夕張シューパロダム インフォメーションセンターにて 撮影:青山貞一、Nikon CoolPix S8 往時の大夕張炭鉱の関連グッズが展示されている 夕張シューパロダム インフォメーションセンターにて 撮影:青山貞一、Nikon CoolPix S8 炭鉱最盛期の大夕張地区 夕張シューパロダム インフォメーションセンターにて 撮影:青山貞一、Nikon CoolPix S8 炭鉱最盛期の大夕張地区 夕張シューパロダム インフォメーションセンターにて 撮影:青山貞一、Nikon CoolPix S8 1980年頃の南部小学校地区 夕張シューパロダム インフォメーションセンターにて 撮影:青山貞一、Nikon CoolPix S8 有名な石炭列車。だるまストーブが見える 夕張シューパロダム インフォメーションセンターにて 撮影:青山貞一、Nikon CoolPix S8 大夕張炭鉱の歴史 1888年 夕張市南部の夕張川川岸に石炭の露頭発見 1898年 福山坑試掘開始 1906年 京都合資会社が炭坑を買収 1907年 大夕張炭鉱会社創立(1916年に三菱合資会社に買収される) 1911年 清水沢駅〜二股・後の南大夕張駅間に大夕張炭鉱専用鉄道が開通 1929年 三菱大夕張炭鉱、北部に操業拠点を移行。三菱鉱業が南大夕張駅〜通洞・後の大夕張炭山駅間に専用鉄道を延長・開通 1939年 専用鉄道を地方鉄道に改組 1966年 三菱南大夕張新炭鉱開発着手 1969年 石炭鉱業部門を三菱大夕張炭礦(株)、三菱高島炭礦(株)に分離 1970年 三菱南大夕張炭鉱営業出炭開始 1973年 三菱大夕張炭鉱閉山、三菱大夕張炭砿大夕張鉄道線一部路線短縮。三菱三菱高島炭礦(株)と合併し三菱石炭鉱業(株)発足 1985年 三菱南大夕張炭鉱でガス爆発事故、死者62人。 1987年 三菱南大夕張炭鉱の合理化により三菱石炭鉱業大夕張鉄道線廃止 1990年 三菱南大夕張炭鉱閉山 1987年の鉄道廃線記念写真 夕張シューパロダム インフォメーションセンターにて 撮影:青山貞一、Nikon CoolPix S8 つづく |