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本独立系メディアでも何度か紹介したが、日本軍が戦前つくったソウルにある西大門刑務所の処刑場も、ほぼ現在の処刑場に類するものである。ただし、現在のものに比べると、教誨室、前室などはなく、一方、刑務官、検察官、法務技官(医者)らがいわゆる立合室はあった。 ◆青山貞一:日韓<近代>歴史探訪〜西大門刑務所歴史館〜2006.3 ◆青山貞一:ソウル市 西大門刑務所歴史館再訪 また床が抜けで首つり状態で地下室に落ちる仕組みは同じである。西大門刑務所の場合には、その地下室から死体を外に運び出す階段もあった。以下にそれらの写真を再掲しておく。 このときは、政策学校一新塾の韓国公共政策視察団の団長として韓国国会はじめ韓国の各政党、NPOなどと交流、議論した。その一環として、日本が戦時中につくり、独立活動や政治活動をした朝鮮人(現在の韓国人)を治安維持法で逮捕し、強制収容したあげく、処刑(殺害)したという西大門刑務所も視察した。 事前に、ソウル大学日本語学科の女子学生らが通訳として対応してくれたが、二月で氷点下にもなる点であったことも含め、視察している最中に涙がとまらなくなった。その後、チョンゲチョン(清渓川環境再生事業)の調査研究でソウルを訪れるたびに、また環境総合研究所の社内旅行などでも西大門刑務所を何度も訪問した。 韓国ソウルにある西大門刑務所内の死刑場入口 撮影:青山貞一、Nikon CoolPix 韓国ソウルにある西大門刑務所内の死刑場入口 撮影:青山貞一、Nikon CoolPix 韓国ソウルにある西大門刑務所内の死刑執行室 撮影:青山貞一、Nikon CoolPix 韓国ソウルにある西大門刑務所内の死刑執行監視室 撮影:青山貞一、Nikon CoolPix 韓国ソウルにある西大門刑務所内の死刑執行後の死体引き出し口 撮影:青山貞一、Nikon CoolPix 上の引出し口から引っ張り出された死体は、以下の地下通路でトンネルを通して運び出される。そして近くの山中に捨てられたという。地下通路は日本によって終戦直前埋められたが、戦後発掘されたと、説明してくれたソウル大学日本語学科の女学生は言っていた。 地下トンネル入り口 撮影:青山貞一、Nikon CoolPix 日本政府は朝鮮植民地支配当時、今のソウル市はじめ韓国内に膨大な数の刑務所をつくり、いわゆる治安維持法などの罪状で起訴した朝鮮人(後に大韓民国人)らを強制収容し、適切な司法手続きによることなく、死刑を宣告し、上記の死刑場で死刑執行をしていたとされている。 韓国ソウルにある西大門刑務所内で行われた裁判モドキの様子 撮影:青山貞一、Nikon CoolPix 韓国ソウルにある西大門刑務所内で行われた裁判モドキの様子 撮影:青山貞一、Nikon CoolPix 西大門刑務所ないの死刑場は、今回、東京刑務所にある死刑場のプロトタイプであったことが良く分かった。 下の写真は日本統治下のソウルの西大門刑務所の全景である。現在は主要部分だけが残され他は公園となっている。 元の西大門刑務所の全容 撮影:青山貞一、Nikon CoolPix 現在の西大門刑務所の一部 撮影:青山貞一、Nikon CoolPix |