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2010年7月、かねてから沖縄県宜野湾市にある普天間基地の県外あるいは海外移転を公言し続けてきた鳩山総理が、外務、防衛官僚やそのOBらに取り囲まれた平野官房長官、岡田外務大臣、北澤防衛大臣(ともに当時)の米国追随により、自ら決めた期限内に移転の見通しがとれず憤死直前となった。また政権交代当初から連立を組んできた社民党が政権から離脱した。 移転問題で行き詰まった鳩山氏は小沢一郎幹事長(当時)をいわば道連れに総理を辞任した。 鳩山氏に代わり急遽、副総理、菅直人氏が暫定的に総理となった。私見では小沢氏は一緒に幹事長を辞任する必要はなかったと思う。他方、鳩山政権で副総理にあった菅氏こそ責任の一端を担うべきであった。 事実、鳩山政権時代、副総理などとして内閣にいた菅氏の存在感(プレゼンス、ガバナンス)がほとんどゼロであったこの時点では、民主党代表の任期が2010年までの3ヶ月弱しかなく、いずれ民主党代表選を行うことになっていた。 菅氏は「最小不幸社会構築」、「増税で雇用創出」(小野阪大研究所長の論)など、理解しがたい、またとってつけたような国家ビジョンや政策を打ち出した。その極めつけは、菅暫定政権誕生直後の7月上旬に行われた参議院議員選挙で唐突に提起した消費税率10%である。 これにより民主党が大敗した。その結果、民主党は参議院第一党の座から降りることになった。 この間、「政治とカネ」、「闇将軍」などと揶揄されながらも全国各地を秘書らと歩き人材を発掘し、育てながら政権交代可能な民主党づくりに全力を投入してきた小沢氏(当初代表、その後幹事長)が具現化した政権交代は、参議院議員選挙の大敗で実質水泡に帰すこととなる。このことの重要性を菅政権は十分認識していなかった。 本来、参議院選挙大敗時点で菅総理は責任を取って辞任すべきであった。 にもかかわらず、2010年9月に行われた任期満了に伴う民主党の代表選挙では、新聞、テレビなど大マスコミが「頻繁に一国の首相が替わるのは良くない」とか、それ以前から小沢氏排除の代名詞となっていた「政治とカネ問題で小沢氏は説明責任を果たしていない」などと激しく、囂しく喧伝し、今後、第五検察審査会が第二回目の起訴相当を出せば強制起訴されることを繰り返し報じた。 大メディア各社は情報操作による世論誘導そのものの世論調査を連日連夜繰り広げ、結果として菅氏が代表に選ばれることとなったのである。ことのときの大マスコミによる反小沢、菅支援キャンペーンは、おそらく歴史に残るほどのすさまじいものだった。大メディアの責任は甚大である! 大メディアによる一方的、情宣的な報道が小沢氏の信用、名誉を著しく毀損することについては、以下の論考で具体的に検証したので一読して欲しい。 ◆青山貞一:小沢一郎とメディアと法 東京地検特捜部がここ1年半、異常とも思える捜査を繰り返し、秘書を逮捕し、家宅捜査を繰り返したにもかかわらず、小沢氏を起訴できなかったのは、小沢氏自身が繰り返し述べているように収集した証拠と証言からは起訴しても公判が維持できなかったからに他ならない。 当初、小沢氏、鳩山氏が言明したように、一連の小沢攻撃は、旧政権による国策的な意図そして自民党政権下で指揮権発動に類する指示で検察上層部と特捜部幹部が先走った結果として理解するのがもっとも分かりやすい。 かくも激しい大マスコミと司法的攻撃のなか、2010年9月の民主党代表選挙では、表1にあるように国会議員票において菅、小沢両氏の得票は何と五分五分となった。議員数で示せば200人対206人である。 表1 民主党代表選 選挙結果 2010年9月14日
だが、連日連夜、大メディアの異常とも思える一大キャンペーンと世論調査による国民世論の誘導により、菅陣営はいわゆるサポータ票を大幅にとり込んだ。また2011年に地方議会議員選挙の洗礼を受ける民主党の地方議員が持つ得票も菅氏に大きく流れたと推定される。 私見だが、もし、これほどの国難そして民主党の存亡の危機にあって、国会議員や地方議員が自らの保身を優先し、菅氏に投票していたとしたらそれだけで民主党の将来はないと思える。事実、菅氏を選んだ地方議員らは、たとえば来年の統一地方選の前哨戦として行われた2010年11月下旬に行われた千葉県松戸市議会議員で地滑り的敗北を喫している。これでわかったのは、菅氏を選んだことは自らの保身にもならなかったことである。 ◆松戸市議選 現職全員落選で大騒ぎ/民主党 統一地方選に暗雲 ゲンダイネット
ちなみに11月21日投開票の千葉県松戸市議選(定数44)だが、民主党候補11人のうち9人が落選し、うち6人がワースト10に名を連ねている。厳しい言い方をすれば信念、理念、政策を捨て大マスコミに誘導された世論に迎合した議員の末路を見る思いがする。 つづく |